飛んだ先は、洞穴の手前だった。
「うにゃっ!!」
着地に失敗して派手に落ちるザジ。腰を大きく打ちつけたが、起き上がれないほどのダメージではなかった。手に持っていたケーリュイケオンも無事だ。
腰を何回か叩いて起き上がると、何故か荒れた風が吹く。今の季節には合わない方向からの風は、ザジに何かを訴えかけているかのようだ。
つい習性でスカートのすそを押さえてしまうと、弾みでケーリュイケオンが落ちた。転がり落ちたケーリュイケオンはザジではなく、何かを映す。
「……酷い風ですね」
いつの間にか、隣にリタがいた。
「……リタ」
「お久しぶり…ですね。ザジさん、セイさん」
何日かぶりに見た女友達の顔は、どこか大人びていて一瞬別人かと思ってしまった。
いなくなって数日しか経っていないのに、何故かその数日間がやけに長く感じる。それは隣にいる彼女が親友だからだということもあるが、一番の理由は彼女自身の変化にあった。
陰りだ。リタが半ヴァンパイアになる前あたりにジャンゴが見せていたあの陰りによく似たものが、リタの眼に宿っている。
ジャンゴとは違う陰り。ジャンゴとは違う闇。それが今のリタにあるモノだった。
「なぁ、何かあったん?」
固く口を閉ざされるとわかっていても、ザジはあえて尋ねてみる。自分の知らない数日間、リタは何を見て、何を感じたのだろうか。
自分の見た星読みでは、リタは重要な位置にあった。――というより、彼女から全てが始まったようなものだった。
――泣いていては日は昇りませんよ……。
――私は貴方を忘れません……。
そう言って彼女は逝った。それが全ての始まりだった。
暗黒の力を暴走させたサバタ、闇が一日一日迫り来る恐怖、意味のなかったイモータルとの最終決戦、最後の選択、そして……。
「ジャンゴさまは、どうしてるんでしょうね」
問いかけた答えとは全く違う言葉に、ザジは一瞬身を固くしてしまった。
自分の思考を覗かれた気がして、一瞬リタをまじまじと見てしまうが、彼女は全く自分の方向を見ていなかった。空を見ているようだが、本当に見ているのかは定かではない。
「ジャンゴ、か」
恋人とも言える相手を心配するのは、人として当然のことだ。ザジも先に行ったジャンゴやサバタにカーミラ、消えたおてんこさまのことが心配だった。
今ジャンゴはどうしているのだろうか。「理性の宝珠」を使って、上手くここまで来れるだろうか。隣にいたユキという少年は、ジャンゴの足を引っ張っていないだろうか。
色々な事が心配だったが、一番の心配は「真実を知ったらどうするつもりなのか」だった。
全てを知った時、ジャンゴはどの選択をするのか。それは星読みでは読めなかった。もし最悪の選択を選んでしまったら、世界の形が崩れるかもしれないのだ。
全ての始まりはリタで、全ての結末の選択肢はジャンゴが握っている。二人の絆が、大きな鍵を握っているのだ。
「どうしました?」
「んにゃ、何でも」
さすがに見つめられているのに気づいたリタが、少しだけ顔を赤らめてこっちの方を向いた。聞いていた事を忘れて、ザジは首を横に振る。
そんな時、ケーリュイケオンがきらりと光った。
「?」
――敵が来るぜ!
セイの一言にザジははっとなって空を見上げると、ついさっき見た鳥に似た影――飛天王カリフスの姿が見える。隣のリタも気づいたらしく、戦闘態勢を取った。
前と同じように、墜落に等しいスピードでカリフスが降り立つ。轟音に木々が大きく揺れ、鳥が一気に飛び立った。
「……二人まとめて、か」
構えるザジとリタを見て、カリフスはぼそりと呟く。それが戦いのきっかけとなった。
最初に動いたのはカリフス。全ての翼が大きく広がり、羽を大きく撒き散らした。剣技で来ると思っていたザジとリタは、驚きながらも突然撒き散らされた羽を振りほどく。
羽がリタとザジの周りを取り巻いた瞬間にカリフスが指を軽く鳴らすと、羽は全て鋭いナイフのようになり、ザジたちに襲い掛かった。
ナイフが体を切り裂くかと思われたが。
「来たれ……」
草木のざわめきのような静かな声が響き、声に誘われて舞い上がった木の葉がシールドとなりザジたちを守った。
「リタ!?」
慌ててリタの方を見ると、いつの間にか彼女は半ヴァンパイアの姿になっていた。大分日差しを遮ってくれるこの森の中なら、日焼け止めを塗らなくても大丈夫なのだろう。
ともあれ、戦闘能力が高い彼女がいてくれるなら今度は勝てるかもしれない。ザジはケーリュイケオンを強く握り締めて、精神を集中させた。
全力を込めた魔法弾をカリフスに向って撃ちこむと、それにあわせてリタが突っ込む。急造コンビながらも、息はぴったりだ。
とは言え、相手は一度自分たちを追い詰めた飛天王。魔法弾は翼で弾いて、リタの拳は剣で対応する。その動きに迷いはなく、最初から自分たちの連携を見切っていたようだ。
「せやったら!」
「…森よ……!」
広範囲魔法とリタの精霊への呼びかけが重なる。魔法発動にあわせてカリフスが跳ぼうとするが、リタの命によって意識を持った蔓が彼の足を捕らえた。
爆裂した魔法を、カリフスは何と剣で抑えようとする。さっきまで開いていた翼も閉じられ、全力で魔力を受け流そうと必死だった。
せめぎあいはほとんど一瞬で終わった。腕の翼をぼろぼろにしながら、カリフスは剣を大きく振ってダメージから逃れる。さすがにノーダメージとは行かず、大きくよろめいてくれた。
「チャンス!」
それを言ったのはどっちだか分からないが、ともかくその言葉でザジは杖を構えなおし、リタはまた大きく飛び込む。
「覚悟しな!!」
リタの拳がカリフスの額にある虹色のプレートを狙う。まだよろめいているカリフスの痛恨の一撃を加えようとしたのだが、その拳は剣によって止められた。
刃に触れる瞬間に拳は引っ込められたが、突っ込んだ勢いだけは消せずに無防備な姿をさらしてしまう。
「甘いぞッ!」
肩から生えた翼がリタを捉えて空へと放り投げる。
放り投げられ、無防備な瞬間を狙ってカリフスが大きく飛んだ。その手には剣が逆手に握られている。
「クラウ・ソラ……」
「させるかぁ!!」
ザジがその背中めがけて魔法弾を撃つ。リタも巻き込まれる可能性はあったが、この際斬られるよりはダメージはないだろうと計算した。
彼女の魔法は見事にカリフスに直撃し、リタはその隙に体勢を立て直して着地する。その直後に降り立ったカリフスは、攻撃を避けられたはずなのに大きく笑った。
子供のように腹を抑え、大きく顔をゆがめて笑うその様に、ザジとリタは眉をひそめる。
「久方ぶりだ! この感覚は! 強者と出会い、己を磨く! しばらく忘れていた感情だ!!」
止まっていた剣がまた大きく揺れ、ザジとリタを狙う。興奮のあまり、その剣は大きく狙いを外れて近くの木々をなぎ倒した。
「これこそが戦いなのだ!」
羽が飛び散り、手当たり次第に辺りを切り裂いていく。
いつしかカリフスは、戦いに酔いしれて我を忘れていた。巌のように固かった顔が歓喜の色に染まり、ただただ笑い声を上げている。
狂っている。ザジはそう思った。
戦士として、武人として、強さと戦いを求めるあまり、今自分が何をしているのかわからなくなっている。それは亜生命種としての影響なのか、カリフス本人の性格なのかは解らなかった。
「止めなあかん……!」
「ええ」
リタも同じ事を思っていたらしく、隣で拳を強く握り締めている。
(しかし、どないして奴を止めるか?)
相手は剣技に優れ、空も飛べるクストースだ。単純に突っ込んだだけでは空を飛ばれて避けられるだけだろう。奴の翼をもぎ取れれば、何とか地上戦に持ち込めるのだが。
(……ん?)
そこでザジの思考が一回止まった。何故地上にこだわる必要があるのだろうか。
相手は空を飛べる。という事は上空から下に攻撃を仕掛けられるし、いざとなったら攻撃が届かない場所へと逃げられるわけだ。
だが、その空には障害物はない。という事は……。
「リタ、ちと力貸してぇな」
軽く耳打ちすると、彼女もすぐに納得してうなずいてくれた。一息ついてからすぐにカリフスの元へと飛び込んでいく。
突っ込んできたリタを見て、さすがにカリフスも笑うのは止めて剣で応戦してきた。剣と拳、リーチは全然違うが、リタは上手く避けては一撃を当てて行く。
当然相手も負けじと攻撃を当ててくる。互いに弾き、攻撃を返すその戦いぶりはまるで一種の舞いのようだ。
やがて、少しずつ追い詰められて行ったカリフスは空中へと逃げる。その隙を狙い、リタが精霊に呼びかけて木の葉を飛ばした。
「ふざけた真似を!」
視界を埋めるほどのたくさんの木の葉を、カリフスは全て剣で切り払って行く。それでも懲りずに、リタは蔓も呼び出して足を止めようとしていた。
「足止めか!?」
空中は身を隠すものが何一つない。ある意味一番逃げ場のない場所だった。となると、本命の攻撃は……。
「ちっ!」
慌てて下を見ると、ザジが特大の魔法を撃とうとチャージ中だった。そのチャージを中断させようと、カリフスは羽の短剣をザジめがけて投げる。
剣の気配にザジが顔を上げるが、時既に遅し。ナイフは彼女の目の前近くまで飛んできていた。
――予想通りに。
「読み通りやな♪」
羽のナイフはさっきから張っていた防御結界により、全て弾かれた。ザジは特大の魔法を撃とうとしていたのではなく、ずっと結界で身を守っていたのである。
カリフスの眼に留まりやすく、あえて派手に目立ちやすくエナジーが見えるように展開した。それはリタの精霊召喚術が足止めだと気づいたカリフスに、わざと気づかせるためである。
真の足止めはこっち。空中で思惑にハマったカリフスは呆然とその様子を見ていた。警戒心も薄れた、隙だらけの状態で。
「隙ありぃっ!!」
精霊と脚力でカリフスと同じぐらいの高さまで跳んだリタの拳が、彼の額にある虹色のプレートを粉々に砕いた。
鳥が、落ちた。
『そなたも、失敗か』
落ちたカリフスに向って、重い声が響く。男とも女とも区別がつかないほどの、重苦しい声。
ザジは新しい敵かと思ってケーリュイケオンを構えたので、隣に降り立ったリタの顔は見ることはなかった。
――リタは、驚きの顔で固められていた。