Change Your Way・29「声と、意思と」

 クストースの聖地。
 そこで祭られていた生贄神の水晶像がきらりと光った。
「!」
 ずっと椅子に座っていた運命王が立ち上がって、真上にある像を見やる。普段は光を遮らないように闇にまぎれている像だが、「対話」せずに光るのは珍しかった。
 慌てて跪いて言葉を待つが、像は何も語らない。
「……?」
 いつもと違う態度に運命王は首をかしげた。何を伝えればいいのか分からないのか、それとも何も語りたくないのか。像はもう光らなかった。
 いぶかしげに像を見上げているうち、運命王はある可能性に気がついた。神が神になる前に大きく関わっていたこと。全ての筋書きの中心であり、一番危ないシーン。
 ――真実との、出会い。
「まさか!」
 はっとした声を残して、運命王は姿を消した。

 後に残った神の水晶像は、光の加減で誰かによく似た陰りのある顔を見せている。

 ――どうして、こうなるんだろう……。
 水晶像――神は一人考える。
 あの時、選んだ道は間違っていないはずだった。ああすることで、全てが平穏になるのなら、自分の犠牲など安いものだった。
 それなのに、何故こうして別の世界でも自分のせいでこうなっていくのだろうか。
 守護者に祭り上げられた、救うべきはずだった人々。血と共に舞うことになってしまった哀しい舞姫。見えない誰かに踊らされる裏の自分……。
 ――みんなを、守りたいだけだったのに……。
 果てしない絶望と永遠の懺悔が胸を占め、何度も気が狂いそうになる。だが実際に気が狂ったとしても、自分は死ぬ事はできない。
 気が狂っても現実ではない。仮初の現実、そして仮初の狂気。
 所詮永遠などそういうものなんだろうな、と彼は諦めに近い感情で思った。
 ――それでも、僕は……。

 ぼろぼろになった包帯を外し、適当にごみとして処理する。予想以上に怪我の痕はないので、ジャンゴはほっとした。
「これからどうするの?」
 ユキがジャンゴの顔を覗き込むが、ジャンゴは何も答えない。……というより、ユキの声が聞こえていなかったのだ。
 今ジャンゴの心を占めていたのは、少しずつ『思い出してくる』デジャヴのシーンと、『シヴァルバー』のこと。
(何が始まりだったかはわからないけど、何がターニングポイントだったのかは解る)
 黒ジャンゴの姿と、その力に脅えて絶望していたあの時。リタを道連れにしてしまったあの夜、何かが大きく変わった。
 今はその後に起こったさまざまな事件を糧として、黒ジャンゴとしての自分を素直に受け入れられている。だが、もしそれを受け入れられなかったとしたら?
 もし黒ジャンゴの狂気に負けていたら? もし光を拒んでいたら?
 浮かんでくるさまざまな「if」。たった一つの可能性で世界が大きく変わるとしたら、その「変わらなかった世界」はどうなるのだろう。

 ――パラレルワールド、というのを知っているか?

 イストラカン攻略の時に、おてんこさまがぽつりと聞いてきたのをジャンゴは覚えている。

 ――いくつもの「もしも」から世界は分岐している、という説がある。その世界をパラレルワールドというんだ。
    もしそのパラレルワールドが持ち込まれたとすれば、元の世界はどうなると思う? ……よりダメージの少ない形へと世界は修復される。
    まあこれも、一種の仮定だがな。

 おそらくおてんこさまは「もしマーニが連れさらわれなければ」という世界を想像していたのだろうが、ジャンゴはその時あまりパラレルワールドのイメージが沸かなかった。
 でも今なら、少しはイメージが沸きそうな気がする。……とは言っても、あまりにも悲観的な思考に凝り固まった嫌な形のイメージではあるが。
「パラレルワールド、か」
 ジャンゴがぼそりと呟くと、ユキが不思議そうな顔をした。なんでもないよ、と手を振っていると、ふとユキが封印されていたあの部屋を思い出した。
 あの部屋は確か、転移を研究していた部屋だった。詳しくは知らないが、あのクローニングの禁呪のように隠し部屋にされていた以上、何らかの禁を犯しているのは間違いなかった。

 もしかして、転移は転移でも「時間」や「世界」を飛び越えるものだったら?
 ユキが眠っていたあの棺桶も、その技術で生まれたものだったとしたら?

 ジャンゴはユキの方を見たが、もう彼は自分の方を見ていなかった。

 ザジに逃げられたカリフスは、ぱんぱんとついた埃を払ってからため息を一つついた。
太陽少年の仲間であろう少女は逃がしたが、「乙女」を例の所に連れて行くことには成功した。空から落とすという強硬手段は、場所が湖だからこそ出来たことだろう。
「乙女」の近くにいた猫が頭がいいのも幸いした。どこか見た覚えのあるような猫だったが、カリフスには全然思い出せない。
 ともかく、探し出して追撃せねばなるまい。怪我はそれほどでもないので、すぐにでも空を飛ぼうとしたが。
「待て」
 何もない空間から声がして、運命王が転移してきた。報告しておこうかと思っていた相手がいきなり飛んできたので、カリフスは内心面食らってしまう。
 運命王の方はそんなカリフスの動揺に気づかず――動揺の度合いは彼女の方が大きかったからだ――、「上手くいったのか!?」と問うてきた。
 焦りを隠そうともしない自分の主に首をかしげるが、一応ちゃんと報告する。
「太陽少年の仲間と思われる魔女と戦いましたが、残念ながら逃げられてしまいました。だが、ご命令通り「乙女」は例の場所にお連れしました」
「その後は? 「乙女」の行く末は知らぬのか?」
「……行く先、ですか?」
「ああ」
 問いに首を横に振ると、運命王の顔色がさっと変わった。
(……何を考えているのだ?)
 カリフスは自分の主である少女の動揺がわからず、怪訝そうに眉をひそめる。
 彼女は生贄神の意思を聞き取ることが出来る唯一の存在で、その神からの神託を実行する存在だと思っていた。だが、今こうして動揺しているのは神託を間違えたからなのか。

 ……それとも、運命王は神託とは全く違った行動を取っている?

 不信感が生まれるが、カリフスは首を振ってその思いを打ち消した。
 運命王の行動に何かの考えがあったとしても、自分は彼女についていくまでだ。行き場をなくして世界からはみ出した自分を救ってくれたのが彼女なのだ。
 自分だけではない。倒されたザナンビドゥやセレン、クストースではないミホトも運命王に救われているのだ。その恩があるからこそ、全員逆らわずにやってきた。
 疑い、不審を抱けばそこからほころびが生まれ、また自分たちは世界から爪弾きにされてしまう。それはもう嫌だった。
(我ら……私は、ただ運命王の意志に従うまで)
 そう改めて誓うと、ずっと何かを考えていた運命王が顔を上げた。
「…飛天王。お前は今すぐ「乙女」を探し出せ。その際、何としてでも「乙女」を動けぬようにしろ。
 ……場合によっては、殺しても構わぬ……」
 運命王の一言は震えていた。

 カリフスが飛んで行くのを見送ると、運命王は深々とため息をついた。

 ――大丈夫?

 彼女の疲れた意思を読み取ったのか、生贄神が声を飛ばしてきた。鈍感なはずの彼がこうしてすぐに心配してくれる辺り、自分は相当疲れているのだろう。

 ――……僕の事を、思いやってくれてるのかい?
    でも、いいんだよ。このまま流れるのが運命って奴なら、僕はそのまま受け入れるだけだから。

 それは納得行かない、と運命王は思った。
 少なくとも、この先の全てを運命として受け入れるのはあまりにも彼が可哀想に思える。神となってしまった彼は、全てを受け入れることしか出来なくなってしまった。
 自分の痛みや悲しみは捨てて、世界中の痛みや悲しみを受けざるを得なくなってしまった世界の生贄。その彼をこの世界に連れてきたのは、自分ではない。
 混沌王ヤプト。
 彼が自分の持つ力を使ってこの世界へと自分たちを導いた。「世界をなぞらせれば、我々を救う手段があるかもしれない」と。
 あの時、自分たちは追い詰められていた。世界は救われたが、闇に位置するものや闇に近いものは「世界を混乱させるもの」として、神の使いを名乗る人々に追われていた。
 正義の名の元に起こる弾圧。違うものを認めない世界。人々は世界を救った者の意志を裏切り、自分たちの手でまた破滅へ導こうとしていた。
 どうすることも出来なくなった自分たちは、自分らの命と世界を守るため、最大の賭けに乗った。
 世界を「跳ぶ」。
 自分たちの存在さえなくなれば、世界は危ないながらも安定が保たれる。ならとるべき道は一つだったのだ。
 神を連れてきたのは、自分のわがまま。せめてここで神の望む未来を見せてやりたい……、その気持ちで連れてきたのだ。

 ――それより、まだ何とかすべき所はあると思うよ。
    彼女の怪我はもうすぐ治る。四人目を、覚醒させていいの?

 神にそう言われて、運命王はようやく聖地においてきたヤプトやミホトの事を思い出した。「乙女」の事は気になるが、やるべき事はまだたくさんある。止めなくてはいけないことも。
 運命王は聖地に戻った。

 ――……あきらめたら、そこで終わりだからね。