「その人、引き止められなかったの?」
ユキの質問にジャンゴは苦笑する。引き止めるも何も、あの時相手は意識を失っていた。
ジャンゴに余力がまだあったなら意識が戻るまで待てたかもしれないが、自分も倒れてしまったのでそれもできなかった。
それに、例え意識があったとしても、ジャンゴはリタを引き止めなかっただろう。
湖に潜るまでずっと会いたいと思っていた少女。だが、今はまだ会うのを許されない気がしたのだ。
(ヒントは、『デジャヴ』だ)
あの白い空間で見た光景は、ジャンゴにとって見て感じたはずなのに全く知らない既視感を与えていた。そしてそれこそが、今回の事件を司る何かだと悟らせていた。
連日事あるごとに見る夢という名の、覚えているのに知っているイメージ。何かをなぞらせるように起きる事件。自分を知っているという『運命王』。
そして全てを繋ぐ『シヴァルバー』。
――ジャンゴの手が、ぴたりと止まった。
僕は、そこを知っている。
宝珠の力がなくても、僕はその場所を覚えている。
そう、僕は、そこで……。
鳥の影は早くてザジは何度も相手を見失ったが、それでも諦めずに走っていった。
その間、ケーリュイケオンはずっとうっすらと光っていて、走り続けているザジに力を与えている。ジャンゴたちに比べてひ弱な彼女が走っていられるのも、セイのおかげだった。
「撃ち落したほうがええんか!?」
ザジが走りながら言うと、セイの方は何一つ返してこない。ザジに力を送るのに専念しているのか、それとも何かを考えているのかはわからなかった。
辺りを見回すと、まだ木々はあるものの街より大分離れている。ここで戦っても誰も飛んでこないだろう。セイからの答えはないが、ここで一発撃った方がいいかもしれない。
相手が飛ぶ距離をあてずっぽうで計算して、魔法を放つ。太陽も出ているので、自分としてはなかなかの威力のある一撃が出たと思う。
予想通り、魔法弾は鳥の影に見事当たった。
「にゃはは! ウチの魔法はやっぱ凄いで!」
絶好調で軽口も出るが。
――……待ちな! どうやら奴さん、わざと当たってくれただけのようだぜ?
セイの一言で改めて鳥の方を見やると、目を丸くしてしまった。
確かに直撃を食らったはずなのに、その鳥はスピードを全然落とさず――むしろ早めてに自分たちのところへと向ってくる。
慌てて身構えると、鳥は目の前で墜落に近い着地をした。
「……クストース」
鳥によく似ただけの亜生命種を見て、ザジはぽつりとその言葉を口にした。
男は撃たれた所を軽く払って「いかにも」と重苦しい声でうなずく。
「我が名は飛天王カリフス。浄土王、深海王に続く第三のクストースよ」
「第三?」
その言葉にザジはついオウム返しに問うてしまった。浄土王――ザナンビドゥは、サン・ミゲルを出る前にジャンゴが倒した。では、深海王は誰と相手をしたというのだろうか。
もしかしたら、クストースの中での順位付けで彼が三番目なだけなのかもしれない。だが、誰とも連絡が取れない今、ちょっとした事でも大きな情報になる。ザジはそこを見逃さなかった。
カリフスは少し首を傾げたが、すぐに「深海王は倒れた。今やクストースは私といまだ目覚めぬ『精霊王』を残すのみ」とだけ答える。
また知らない単語が出たが、今度は答えてはくれないだろう。ザジは返答の代わりに応戦体制をとった。
「今度の娘は魔法を使うか」
ケーリュイケオンを握るザジを見て、カリフスはそう一人ごちる。
「何やて!?」
さすがにこの言葉は聞き逃せなかった。カリフスは前に自分以外の少女と――魔法使いではない少女と戦ったことがあることになる。
魔法使いではなく戦士の力量を持つ少女は、ザジが知りうる限りリタ一人だ。彼女と戦い、生き延びたという事は……。
「リタを、どないしたんや!」
杖を振り上げて魔法弾と共に問う。ストレートな怒りと共に放たれた一撃は、やはりストレートでカリフスにあっさりとかわされた。
相手が魔女と知ったカリフスは速攻で突っ込んでくるが、ザジは杖をくるりと回転させて石突の方ではなく槌の部分を地につける。
――目が回る~!
セイの泣き言は聞き流し、足を止めるために衝撃波を撃つ。地面をえぐる一撃に、さすがのカリフスも足を止めたように思えたが。
「甘いな!」
相手は肩と腕から生えている翼を翻して空を飛んだ。鷹と融合したかのような亜生命種である彼に、地面からの攻撃はやはり通用しないようだ。
爪と剣の一撃がザジを捕らえかける。
(あかん!)
体をひねってかわそうとするものの、カリフスの方が早かった。完全にかわしきれず、ザジは右腕を大きく切られてしまう。
「あああああああっっ!!」
絶叫が弾け、同時に血が大きく噴出した。
腕を押さえて出血を抑えようとはするものの、傷が深くて押さえた左手すら赤く染め上げられていく。血と共に腕から力が抜け、とうとうケーリュイケオンを落としてしまった。
杖は、魔法使いにとって命の次に大事なものである。戦闘時にそれを手放すのは、死を意味するのに等しい。
カリフスもそれを知っているらしく、剣を収めて剣のように鋭くなった翼をザジの首筋に当てた。
「あっけないものだ。女子とは言え、強い者だと思っていたが……」
その一言に、ザジは今の状況を忘れて苦笑してしまった。弱者であろうとも強者であろうとも全力で立ち向かう。武人を思わせる戦い方だ。
実際に、カリフスは武人として生きているのだろう。クストースの肩書きも、亜生命種としての姿も、彼にとっては己の力を高めるものとして見ているだけだ。
自分の姿を悲観し、絶望に浸してしまったジャンゴとは全く違った生き方。
それは彼がジャンゴより長い時を生きているからできたことなのか、彼自身の性格から成るものなのか、ザジには解らなかった。
肝心のカリフスはザジの苦笑の意味が解らずに少し怪訝そうな顔をするが、すぐに腕を振り上げた。
羽が鋭い刃となってザジの喉笛を切り裂くその瞬間。
ケーリュイケオンが凄まじい光を放った。
「ぬぅっ!!」
唐突のフラッシュに、カリフスはザジの命を絶とうとしていた腕で目をかばう。ザジは振り上げられた瞬間に目を固く閉じていたので、目を焼かれることはなかった。
眩しすぎる世界の中、ザジは慌てて落としたケーリュイケオンを左手で取って即座に転移魔法を使う。
場所は決めていない。ともかく今の場所から逃げ出せるのなら、どこでもよかった。
どうして何も言わずに去ろうと思ったのか。それは解らない。
ただ、あのまま彼の意識が戻るまでそばにいても何もならないのだけは解っていた。
ヒントは『デジャヴ』だと、リタは感じていた。そしてその『デジャヴ』の答えが、この先にあるはずの「鏡の泉」にある。
さっきクストースに沈められた湖でもいくつかの幻視を見たが、あれはあくまで欠片でしかない。真実全てを知るには、「鏡の泉」に行くしかないようだ。
目的地は近い。はしゃぐビドゥを落ち着かせ、リタは少しだけ足を速めた。
服を乾かすのに予想以上に時間がかかり、思わぬタイムロスになってしまった。急ぐ理由はないが、のんびりしている理由もない。その気持ちが自然と足を速めていた。
歩くことしばし、木々の中にひっそりと洞穴があった。
入り口は小さめで一見熊の穴と誤解しそうだが、中の広さは熊の穴よりも広い。ちらりと中に顔を入れると、空気の流れからかコケがうっすらと光った。
どうやら足場の心配はしないでいいようだ。トランスすれば暗闇の中でも歩けるのだが、そこまでする必要もないだろう。
ビドゥを肩の上に乗せ、リタは洞窟の中へと入る。ここに泉があるかは知らないが、『シヴァルバー』に関する手がかりが見つかるかもしれない。
ぴちゃん…と水滴が落ちる音を聞きながら、リタはどんどん奥へと進んで行った。一本道なので、迷うこともない。ただ、ぬかるみだけは何とかして避けたいのだが。
にゃーん
肩に乗っているビドゥが急に鳴き出した。
「どうしたの?」
声をかけても、ただただ鳴くばかりで一向に落ち着きもしない。その鳴き声は、何かを恐れているように聞こえた。
クストースとしての残留思念が、この先にある何かを恐れているのかもしれないが、リタはビドゥが「浄土王ザナンビドゥ」である事を知らなかった。
仕方ないので、リタはビドゥをここにおいて行くことにした。普通の猫なら気まぐれを起こしてどこかに行ってしまうかもしれないが、ビドゥは賢い猫だ。そのまま待ってくれるはずだろう。
「大人しくしてるんですよ」
ちょこんと座り込んだビドゥに向って声をかけてから、リタはその奥を進む。
歩いてから十歩もしないうちに、大きな扉に阻まれる。さび付きかけた鉄の扉だが、少しだけ開いていたので力を込めて押すだけで簡単に開いてくれた。
さび付いた音と共に開いた扉の先には、水のきらめきがあった。
「……!」
すぐに解った。ここは、「鏡の泉」の間だ。薄暗い洞窟の中であっても、その泉は鏡のごとく波立っていないことがよく分かる。
恐る恐る近づいて泉を覗き込んでみると、長旅の疲れか少しやつれた顔の自分が覗き込んでいた。
「覗き込んでみるだけじゃダメなのね……」
カルソナフォンは泉までの行き方は教えてくれたが、どうすれば泉の力が発揮されるのかは教えてくれなかった。
(あの子は、私に行ってほしくない顔をしていたから)
引き止めることが出来なかった彼女の、ささやかな抵抗だったのだろう。リタはふぅとため息をついた。
試しに近くにある石を泉に投げてみたが、鏡面のような水面を激しく乱しただけですぐに元通りに戻ってしまう。もう一回投げて、水面に注目してみても波紋だけしかなかった。
泉の力を発揮させる方法がわからずに途方にくれていると、ふとある手を思いつく。ほんの少しだけ波紋を出してもだめなら……。
リタは右の袖をまくって直接泉に手を入れた。
――私に、真実を見せてください……。
鏡面のような泉が、光り輝いた。