Change Your Way・18「強くなる理由」

 ジャンゴとユキが影人たちの街にたどり着き、サバタとカーミラが「夢子」の双子達から全ての『筋書き』を知らされていた時。
 ザジはおてんこさまを連れて、『シヴァルバー』近くまで来ていた。宝珠を持っていない彼女がここまで迷わずに来れたのは、セイの力があってこそだった。
 伝説の杖であり人の精神に大きく感応できる彼は、宝珠から発せられる思念のパターンを読み取り、そのパターンを追って『シヴァルバー』まで導いたのだ。
 無論、あの豹に似た生物も何度か襲撃してきた。瞬時に再生する力を持った山羊や鷹、シャチ、蛇が彼女らを襲ったが、それらは全て太陽の光を使っての攻撃で何とか撃退した。
 ダメージも少なくなかったが、瀕死になったわけでもない。ザジたちはそのままセイの導きで、『シヴァルバー』を探し出そうとするが。

「どちらに行かれるのです?」

 背後からの男の声に、二人(?)は体をこわばらせた。
 恐る恐る振り向いてみると、眼鏡をかけた黒尽くめの優男が一人立っている。何の武器も持たず、構えることもなく、ただそこに立っているだけの男。
 なのに、ザジたちにとってそれが一番の恐怖に感じられた。燃えるような闘志も凍てつく殺意もない、ただ闇のように静かなその気配が、ザジたちを追い詰める。
 震えそうになる足を何とか押さえて男を睨み返すと、男は眉をピクリと上げ、ほうと感心のため息をついた。
「ほう、貴女もなかなか強い心を持っていらっしゃるようで。あの巫女といい、太陽少年の周りにはいい人間が集まっているのですね」
「なっ!?」
 まるで今夜の御飯の内容のようにさらりと出てきた言葉の数々に、ザジたちは不意打ちを食らったかのように棒立ちになる。
 男はそんな彼女らのリアクションに満足したような闇の笑みを浮かべた。その笑みを見たのか、セイ――ケーリュイケオンがきらりと光る。
 セイが何かを訴えたいのはすぐに解ったが敵(だと思う)が目の前にいる以上、そっちに気を向けるわけには行かない。彼には悪いが、今は無視することにした。
 隣のおてんこさまは男を見たままぴくりとも動かないが、その顔はイモータルやヴァンパイアを見るときの顔によく似ていた。彼はそれらの類ではなさそうなのだが。
 そう。彼はイモータルには見えなかった。闇に満ち満ちたその態度はイモータルやヴァンパイアを彷彿とさせるが、彼から発せられる何かはイモータルのそれを超越していた。
 原始的な何かから訴えかけられるほどの強大な闇。理性すらも受け付けない恐怖が、彼から発せられているような気がする。
(一体こいつ、何者なんや?)
 ザジが彼の正体をつかみかねていると、男の視線が自分からおてんこさまに移る。
 視線を移されたおてんこさまは一瞬びくりと固まりかけたが、すぐに体勢を立て直す。こちらも太陽の精霊として闇に負けるわけには行かなかったのだろう。
 が、男がさらに見つめ続けると、おてんこさまは徐々に萎れていく。
「おてんこさま!?」
 雲こそあるが晴れているこの地で、おてんこさまが徐々に萎れて力を失っていく。本人は何とか立て直そうとしているのだが、力を失っていくスピードの方が速すぎた。

 やがて。

 おてんこさまが消滅した。

 

「!?」
 その時、ジャンゴは怪我を治すためにベッドで寝ていたが、急に起き上がってしまった。
「どうしたの?」
 隣で何処かから拝借してきたらしい本を読んでいたユキがジャンゴの方を向いた。
 ジャンゴはユキの方ではなく、外を見やりながらぼそりと呟く。

「……何か、大変なことが始まった気がして……」

 外では昨日雨を降らせた雲がどこかに行こうとしているが、ジャンゴの目にはその雲がまだここら辺りを覆っているように見えた。
 太陽が、うっすらと陰っているかのように弱い光を大地に落とす。
 その中でまた一人影人が消えていくが、ジャンゴの目にはそれは映っていなかった。覗き込んでいるのは、もっと別の世界だったから。

 

 道を歩いている途中、サバタとカーミラはうずくまっている人物と出会った。
 サバタ一人なら自分の面倒ぐらい自分で見ろと思って見捨てるが、カーミラが隣にいる以上それをしたらまずいだろう。嫌々ではあるが、とりあえずその人物に近づく。
 カーミラの方はいたって当然のごとく、うずくまっている人物の元へと近づいて背中をさする。うずくまっているという事は、何か発病でもしたかもしれないからだ。
「大丈夫ですか?」
 声をかけると、ようやく相手が顔を上げた。背中だけでは判別しにくかったが、どうやら相手は成年男性のようだ。顔立ちは美形というほどではないが、それなりに異性に好かれそうな顔である。
 男は何回かげほげほとむせた後、背中をさすってくれたカーミラに向かって「すみません、わざわざ」と礼を言った。頭を下げる辺り、礼儀はわきまえているようだ。
 ただ体の方が弱いらしく、よろよろと立ち上がったのはいいがすぐにげほげほと咳き込んでしまう。カーミラがまた背中をさすると、「もう結構ですから」と手を振った。
「いつものことなんですよ。少し休んでいれば治ります」
「ですが」
「本当に大丈夫なんです」
 ここまで強く出られると、カーミラも何も言えずに黙り込んでしまう。これ以上何かを言えばそれは親切ではなくおせっかいだ。
 さすがにおせっかいまでは焼くつもりはない。だがこのままそれじゃあと去っていくのは、あまりにも無常のような気がした。
 どうしようかとカーミラが悩んでいると、今まで黙っていたサバタの方が口を開いた。
「お前、何故こんなところにいた?」
 サバタの言葉に、今度は男が困り果てた顔になる。助けてくれたとは言え、赤の他人に話すことをためらっているのがよく分かった。
 しばらくして踏ん切りがついたらしい。男はまず「私はヴォートといいます」と自分の名前を名乗った。
 名乗られた以上、サバタたちも名乗らなくてはならない。サバタはぼそりと、カーミラは丁寧に自分の名前を名乗る。
 まるっきり正反対のサバタたちを見てヴォートは少し首を傾げたが、彼らはこういうものらしいとすぐに納得したらしい。呼吸を整えながら、負担をかけないように話す。
「私は、人に逢いに行く途中だったんです。そんなに相手の事は良く知らないんですが、でももう一度会いたいんですよ。
 あの人は私を救ってくれた『歌姫』ですからね」
「『歌姫』?」
 カーミラはきょとんとしていたが、サバタはそのフレーズに眉を上げる。彼女が知らないのは当たり前。『歌姫』はケーリュイケオン騒動で会った人物なのだ。
『聖女さま』だったが、イモータルに乗っ取られて『歌姫』として生きざるを得なくなった少女リリス。彼女はケーリュイケオンの無事を確かめた後、サン・ミゲルから姿を消した。
 一族の元に帰ったのか、それとも自分に出来ることをするために世界中を旅して歩いているのかは知らない。ヴォートが言っている『歌姫』はリリスのことだろうか。
「それで、その『歌姫』というのはどういう人なんですか?」
 リリスの事を知らないカーミラは気楽にヴォートに聞く。サバタが考え込むフリをしながら聞き耳を立てる中、ヴォートは目をくりくりとさせて思い出そうとしていた。
「そうですね……。一言で言えば、海のような人でした。歌も凪を思わせるほど穏やかで、立ち振る舞いはどこか波のように優雅でしたからね。
 名前は……ううん、一回だけしか聞かなかったな……なんだったかな……ああ、確か『深海王セレン』でした」

 

 海が見える小さな劇場が、セレンのフィールドだった。そこは海に関する歌劇が数多く演じられ、さまざまな名優や歌い手を生み出してきた。
 が、今は誰もいない廃墟だ。潮風が劇場を、舞台を削り、やがては静かに滅びていく。そんな劇場が「唄女」であるセレンは好きだった。
 自分以外誰もいない舞台に立ち、軽く息を吸う。1、2、3。
「―――――――――――――――――――――――――――――――♪」
 歌詞のない即興のアリアが劇場を大きく揺るがす。
 唄う事は好きだ。こうして唄っている間は嫌な事を全て忘れて音を合わせることに集中できるから。
 その歌が人々を苦しめる要因となっても、セレンは唄うのをやめなかった。唄う事を取り上げられたら、自分は生きる意味をなくしてしまう。それだけは嫌だったのだ。
(お前は唄うために生きるんだな)
 自分を最後まで愛してくれた人の顔を思い出す。思えば、自分の“力”に目覚めてしまったのは彼の存在があったからとも言えた。
 亜生命種と成り果てても、彼は自分の歌を、自分を愛してくれた。だからセレンもその愛に応え、唄い続けてきた。己の境遇を呪いはせず、ただ強くなりたいと思った。

 だから本当に強くなった。
 その結果、彼女の歌は全てを『揺るがす』音へとなったのだ。

“歌”の最初の犠牲者になったのは、皮肉にも自分を愛してくれた男だった。ずたずたになった彼の亡骸を前に、セレンは涙の代わりに歌を唄うしかなかった。
 クストースとなり「深海王」の名を頂いてからは、彼女は進んで“歌”を唄うことはなかった。ただ気まぐれに“力”を使わない歌を唄うだけ。それでもここではやっていけた。
 自分の“力”を忌み嫌っているわけではないが、唄うたびに彼の顔を思い出すのはたまらなかったのだ。まるで「何故強くなったんだ」と責められている気がして。
 歌が途切れる。わざと音をずらして自分で途切れさせたのだ。
「……ふぅ」
 思いっきり唄ったので、それなりに気分は晴れた。セレンは一息ついて座り込む。ふと思い出すのは、しばらく前に会って歌を披露した人々の顔だった。
 何も知らない彼らは、ただ自分が来た事を喜び、歌を披露するたびに歓声と拍手を送ってくれた。――こっちも何も教えるつもりはなかったが。
 そんな中、ただ一人だけ気になる者がいた。ほっそりとして病弱そうで、吹けば飛びそうな感じがした男。何の特徴もないはずの男に、セレンの意識は一瞬だけ釘付けになった。
 彼は、似ていたのだ。自分が殺したあの人に。
 もちろん、瓜二つというわけではない――むしろ、外見上は全く似ていない。だが、その目に宿る凪いだ風を思わせるものが、彼女を強く引き付けたのだ。
 握手を求めてくる人々の間で、少しだけ会話をした。会話と言っても互いの名前を名乗る程度で、実際に何かを話し合ったわけではない。
 それでも、セレンにはあの人を思い出させるには充分だったのだ。
「名前は、確か……」
 想い人――ヴィアテに似ていた名前だったはず。だが、いまいち思い出せなかった。