Change Your Way・16「静かな場所」

 自分って何だろう。
 何を以て自分と言うのだろう。
 もし自分以外の意思が自分の体の中にいるとしたら……。

 もし自分であり自分でない意思が、何らかのきっかけで出てきたとしたら……。

 穏やかな風がカーテンを揺らす。そのカーテンから気まぐれにこぼれる日差しの具合から、今はまだ正午になっていないと推測できた。
 リタは日向ぼっこを始めたビドゥをベッドに寝かせておいて、寝巻きから洗ってあった大地の衣に袖を通す。大体の事情はカルソナフォンから直接聞いていた。
 あの後、自分は街へと向かっていた。そこに着けば今自分が何処にいるのかなどの情報がつかめると思っていたのだ。
 だが予想を裏切り、街には人っ子一人いなかった。外に出ていないだけか、と思って家の中も覗き込んでみたが、そこには人の気配はまるでなかった。
 ゴーストタウンにしては建物が真新しすぎるそれに、リタは何かの策略を感じてしまい、しばらくそこにとどまって調べることにした。
 しかし、こういう調査に慣れていないリタはいきなりつまづいた。人がいないと思って油断していたのもあるが、彼女は大きな音を立てたりしてしまったのだ。
 最初目星をつけた家を調べる時に思い切って扉のノブを壊すわ、たんすは大きくひっくり返してしまう。散乱するのをどうにかしようとして、ますます散らかしてしまう。
 さすがに物を壊すまではいかなかったが、それでもかなり酷い有様にしてしまったのは否めなかった。元々手先不器用だったのが、こんなところで大きく出てしまったのだ。
 慌てて家を元に戻そうとしたが、その時ビドゥが急に鳴き出した。何事かと思って振り向いたその先に、カルソナフォンがいたのだ。
 彼女が何故ここにいたのかは知らない。それを聞こうと思う前に、彼女は「あまり騒ぎ立てるのはまずかろう」と言って自分の家(隠れ家と言っていたが)に案内してくれた。
 家に招かれてから、今までの疲れもあるだろうからと彼女はまず休息を勧めてくれた。リタは彼女の親切を素直に受け、ビドゥと共に眠りについていたのだ。
 眠りに着いたのは早朝。それから考えると、自分は2~3時間眠っていたようだ。
 着替え終わると、リタは窓に近づいてみる。相変わらず人はいない。それなのに、カルソナフォンはここに人がいるかのように振舞っていた。
「……文字通りのゴーストタウンなのかしら」
 そう一人ごちる。人がいないはずなのに、人がいるという街。見えない何かにリタはぞっとした。
 窓から離れ、部屋を出る。風呂を沸かしておいた、とカルソナフォンは言っていたので、一度風呂に入ろうと思ったのだ。

 ザジは未だにサン・ミゲルに残っていた。
 昨日、ジャンゴとユキ、サバタとカーミラが出発したが、ザジは『シヴァルバー』へ行くべきか悩んでいたのだ。
 あの星読みと共に見たヴィジョンが、どうしても引っかかる。

 水晶の像。
 赤い宝珠。
 人ならざる者たち。
 白くも暗い少女。
 黒い蝶と金色の蝶。
 血を滂沱と流し続ける少女。
 意味のない最後の戦い。
 後退の選択。

 絶望、希望、絶望……。

 それらのヴィジョンで、ジャンゴや自分たちによく似ていた影を何度も見た。やはり、それらは全て、未来で起きる出来事そのものなのだろうか。
 だが、未来に起こる出来事にしてはあまりにも違和感がありすぎて、どうしても未来を“見た”とは思えないのだ。
 まるで世界が違うかのような「ズレ」。あれらのヴィジョンにはそんなものがあった。
 それがザジの心に大きなささくれを作り、『シヴァルバー』について悩み続けるおてんこさまと共に、ずっと考えていたのだ。
 もちろん、先に行った仲間たちの事は心配だ。悩んだ所でどうにもならない、というのも知っている。
「……やっぱり、ここで悩んでてもあかんよなぁ」
 そうザジは呟いて、重い腰を上げた。
 ――行くのか?
 隣に置きっぱなしだったケーリュイケオンがきらりと光る。ザジはセイにサムズアップして、まだ難しい顔をしているおてんこさまを軽く突っついた。
「…ぬおっ!?」
 ずっと考え込んでいたおてんこさまはそれだけでバランスを崩してしまう。そんな間抜けぶりに少し笑いながらも、ザジは「ウチは行くで」と彼に告げた。
「行くのか?」
「考えてたら埒明かんしなー」
「そうか……なら私も行く」
 ザジの陽気に釣られたのか、おてんこさまも少し明るい顔になって同行を申し出た。ザジとしても断る理由はない――というよりむしろついて来てほしい――ので、二つ返事で許可した。
 回復薬や魔法薬をしこたま買い込み――何しろリタがいないので、果物屋は臨時休業状態なのだ――、ザジはセイとおてんこさまと共に出発した。
 空の端々に雲が見える。数日後は雨が降るかもしれない。

 サン・ミゲル付近では端々にしか見えなかった雲が、ここでは大きくのさばっていた。
 雨になるかもしれない。風呂から上がったリタはそんなことを思う。
「傘なんて持ってきてませんわ……」
 元々連れさらわれてきたのを脱出してきたので、道具など何一つ持ってきていない。本人としては、ちょっと調べて帰るくらいの気持ちだったので、何の準備もしてなかったのだ。
 ……持って来た所で、没収されていたかもしれないが。
 とにかく、リタはやがて振るであろう雨に少し困惑していた。着のみ着ままだから濡れると服を乾かすのに手間がかかるし、半ヴァンパイアとなれば雨がダメージとなる。
 傘もレインコートもないこの状態、雨の中出歩くのは一番避けたかった。
「ま、まあ、絶対降るとは限りませんし」
 リタはあえて楽天的に考えることにした。それに降ったら降ったで、もしかしたらカルソナフォンが傘を貸してくれるかもしれない。
 事情はあまり説明してないが、自分とビドゥは何も持って来ていないのは知っているはず。リタはそう思って、彼女を探し始めた。
 家は二階建てで、リタが寝ていたのは二階の客室(だと思われる)。風呂場は一階だった。カルソナフォンから教えられたのはそのくらいなので、この際家の中を探索する事にした。
 念入りに調べるのは昨日の失敗で懲りたので、簡単に部屋の間取りを確認する程度にする。今いるのはちょうど一階なので、一階からだ。
 玄関、応接室、居間、台所、風呂場、それからトイレ。特に怪しいと思えるところはない、普通の別荘然とした家。調度品もシンプルで、彼女の趣味をうかがわせた。
 二階は寝室と客室だけがあり、純粋に自分の趣味を楽しむ時は眺めのいい二階から、という考えらしい。確かに、一階よりは落ち着けそうだ。
 自分が使っている客室を横切る時、ビドゥの事を思い出して顔を出してみる。
 猫はまだ寝ていた。

 さて、家の探索はあらかた終わったが、肝心のカルソナフォンはどこにもいない。隠し部屋などがない限り、彼女は外に出たと見て間違いないだろう。リタも外に出てみることにした。
 外は相変わらず人っ子一人おらず、静か過ぎる世界だった。曇りということもあり、前の日よりもゴーストタウンさながらの雰囲気が漂っている。

 ――ふと、本当に幽霊のようなものを見た気がした。

「っ!?」
 口から出そうになった悲鳴を慌てて飲み込む。
 ファントムか何かのように思えるが、ファントムは陽光の下出れはしないはず。だからあれはただの目の錯覚だ。リタは自分にそう言い聞かせる。
 首を何度も振って今見た光景を忘れようとしていると、後ろから声をかけられた。
「どうした?」
「きゃあっ!」
 あまりにも突然だったので、忘れようとしていた光景をまた思い出してしまってびくりとなる。驚きと怯えを隠して振り向くと、そこには探していたカルソナフォンがいた。
 気づかなかったとは言え、悲鳴を上げてしまったことに恥ずかしくなる。慌てて頭を下げて謝ると、彼女は首を横に振って「気にしておらぬ」とだけ言った。
 それは口先だけの言葉ではなく、本当に気にしていないようだ。……というより、彼女の興味を引くものは自分ではないとリタは悟った。
 視線が行っている先を見てみると、そこには何もない。時折小さく吹く風の流れのみで……。
「……?」
 ふと、リタは“そこ”に誰かの気配を感じた。いや、そこだけではなく、あちこちにかすかながらも人の気配を感じる。まるで幽霊みたいに。
(幽霊?)
 さっき見た幻影を思い出す。あれは、この気配の主だったのではないか?
 この街は誰もいないと思っていたが、『彼ら』がここで暮らしているのではないか? だからカルソナフォンは人がいるかのように振舞っていたのだろうか?
 もう一度カルソナフォンの方を向くと、リタが問いたい事を察したらしくすぐに答えてくれた。
「シャドウマン――影人だ」
「カゲビト?」
 初めて聞く言葉に首を傾げてしまうと、彼女は詳しく説明してくれた。
 その目にあるのは、哀れみなのか優越なのか、それはよく分からない。
「意思奪われる者たち……。幽霊の形を得ることの出来ない、亜生命種に近い存在だ。
 影は光がない限り成り立たぬ。意思という光を失った彼奴らは、やがては影となりて消え行く定めだ」
 その説明の間にも、一人、消える。
 消えるだけの哀しい影法師に、リタは哀れみの感情を向けざるを得なかった。光をもたずに消えていく影。それに、自分の姿を見たような気がしたのだ。
 いつしか自分も――自分たちも、同じように消えていきそうな気がして。
 リタが泣きそうな顔で影人の最後を見ている隣で、カルソナフォンが空を見上げる。
「……雨に、なりそうだ」
 リタも釣られて空を見上げて見ると、確かに厚い雲が張りこめて薄暗くなっていた。いい天気というものは、長くは続かない。
 それは、人の人生にも言えることなのかもしれない。いい事は長くは続かない。こうして雨が降るように、哀しい事があるからこそ、人生が成り立つのだ。
 自分と彼の関係にも、雨の日があった。今は曇りが続いていても、それは雨の兆しではなく、晴れの前兆としたい。だから。
「……私、明日ここを発ちますね」
 リタの一言に、カルソナフォンの顔が変わった。

 ……その顔は、驚きよりも引き止められないことに対しての悲しみが大きいように見えた。