夜明け前。
太陽と月と闇が交錯する時間。
そんな中で、ザジは一つの星を見る。
空にあるのは昴。
その昴が、激しく瞬きをくり返す。
星が陰る中でも、昴の瞬きは消して変わらない。
まるで何かを告げようとしているかのごとく。
――世界の狭間に転がり落ちた者が現れん時、
地はずれ、世界は狂う。
其は海よりいでし者。其は心よりいでし者。
其は運命そのものなり。
四つなる宝珠を集めし時、
四つなる守護者を葬らん時、
黄金と漆黒の蝶が舞い、純白の地を染め上げん。
後に残るは久遠の楽園。
そして、世界はくり返す。
昴の星の瞬きが遠のいていく……。
目覚めた時は、もう朝日は水平線から離れていた。
「……?」
ザジはさっきまで見ていた夢の内容を思い出す。いつも以上に瞬いていた昴の星。星読み。いくつものぼやけたヴィジョン。
ぼやけたヴィジョンの中に、ジャンゴを始めとした自分たちが見えた気がした。それから、獣と人が融合したイモータルのような人間達。最後に一瞬だけ見えた金色の蝶と漆黒の蝶。
星読みだけでなく、何らかのヴィジョンが見えたのは今回が初めてだ。星読みは未来予知でなく、あくまで魔術のひとつなので、イメージは沸いてもヴィジョンという形ではっきりは出ない。
一体あれは何だったのだろう。本当に自分は未来を“見て”しまったのだろうか。
傍らのケーリュイケオンにも問いかけるが、中の彼は寝ているのか何一つ答えを返してこなかった。
「…一応、ジャンゴたちに言っといたほうがええか」
ジャンゴたちの出発はもうすぐのはず。
ザジは急いでベッドから出て着替え始めた。
クストースたちの聖地。
ぼろぼろになって崩れたザナンビドゥの席を見つめ、運命王が嘆息する。その息は、手駒を失ったという冷徹なものではなく、哀れみを込めた優しすぎるものだった。
「…ザナンビドゥ君はやられるわ、私の捕らえて来た人質は知らないうちに逃げ出すわで、正直踏んだり蹴ったりですねぇ」
後ろに気配なく現れたヤプトに、運命王は投げやりな視線を送る。彼の登場はいつも唐突で、こっちに向ける言葉はいつも皮肉が入り混じっている。
『混沌王』の名に恥じない男ではあるが、その名に似合いすぎる行動もどうかとは思う。運命王は密かにため息をついた。
ヤプトとぼろぼろになった豹の椅子から視線をそらし、南の椅子に近づく。南の椅子は山羊の像と融合した物で、未だに主は現れていない。
ザナンビドゥが消え、四人目がまだ覚醒していない今、今残っているクストースは深海王セレンと飛天王カリフスの二人。迎撃には『簡易型』を使えばいいが、いかんせん人手が足りない。
ヤプトはヤプトで太陽少年や月下美人の監視があるし、自分はやるべき事がある。『神』の望みを叶えること。それが自分のやるべきことであり、生きる理由だ。
そこまで考えて、運命王はもう一人の存在を思い出した。クストースのように亜生命種ではないが、自分たちに協力してくれる者。
隣に立つ男に視線を送ると、彼も彼女の考えを察したらしく、懐から金の鈴を取り出してちりん…と鳴らす。鈴の音が呼び寄せたのは、鎌を背負った少女だった。
歩き方こそ普通だったが、頬に一筋の汗があるあたりかなり急いで来たらしい。それでも表向きは髪の毛一筋も疲労を出しはしなかったが。
少女は山羊の椅子近くに来ると、そのまま自然と跪いた。それが当然、といわんばかりの態度に、誰も咎める者はいない。彼女はあくまで部外者だからだ。
跪いた少女に、運命王が近づく。
「そなたの探している弟君が見つかった」
落し物を拾ったかのような何の抑揚もない一言に、礼儀も忘れて少女の顔が上がる。その顔にあるのは、驚きと……歓喜。
ご褒美に飛びつこうとする犬のような顔になった彼女だが、運命王は眉根一つ動かさずに淡々と告げる。
「今は太陽少年と行動を共にしている。赤いマフラーと右腕の篭手、バンダナが特徴だ」
「どうもその少年、弟君が目覚めたばかりで何も知らないのをいい事に、『シヴァルバー』の案内役として利用するつもりのようなんですよ。
お姉さん思いの彼のこと、それを盾にされたら素直に言うことを聞くしかないでしょうしねぇ……」
ヤプトの説明――ほとんどが嘘だったが――に、少女の眉がきりきりと上がっていく。大人しく礼儀正しいが、かなり感情の起伏が激しいらしい。
表情が修羅のごとく変わっていく少女と、それを見て薄く笑う『混沌王』を見て、運命王はまた密かに嘆息を漏らした。
――彼女のため息は、中央の蛇をかたどった像と同化した椅子の上にある水晶像だけが見ていた。
少女は運命王とヤプトから詳しく『事情』を聞くと、挨拶もそこそこに飛び出して行った。
後姿が完全に見えなくなるまで見送った彼女らは、同時に息をついた。
「やれやれ。弟さんの事になると、頭に血が上って何も考えられなくなるみたいですねぇ」
「あの者らは、互いに互いを守りあって生きてきたからな」
姉は弟を守り、弟は姉をかばう。それは肉親を失った彼女らが辛い世を生きていくために、必然とそうなった事なのだろう。それを利用して、いい気分になれるわけがない。
だがしかし、利用しなければ太陽少年たちへのけん制役に頭を悩ませる羽目になった。こういう時、非常に判断が出来ない自分の良心が憎くなる。
いっそ無感情の人形になれたら。それか、闇に心を浸せたら。人に命令するときはいつもそう思う。
元々人に従われるよりも人に慕われる方が気楽で好きなのだ。だから亜生命種となってからも、己の力を隠して生き続け、人として生きてきた。
それが運命王としての使命、自分自身の『存在』に目覚めてからはそうは言えなくなってしまった。誰にも話したことのない、話せない彼女の暗い影だ。
ともあれ、しばらくは彼女に太陽少年などを任せるべきだろう。セレンとカリフスは『シヴァルバー』に残しておきたい。ここの守りは固めて置いて損はないはずだ。
精神的な疲れもあって、運命王は自分の椅子に座り込む。椅子はいつもと変わることなく、程よい固さで彼女を受け入れた。
やる事がなくなったヤプトは、闇の中に溶けるように消える。何しに行くのかは聞かない。彼には彼の事情が有るのは良く知っているからだ。
お互いのテリトリーに必要以上干渉するのはよくない。人に追われるような生き方をしてきた彼女らクストースにとって、当然以前の事であった。
誰もいなくなった空間に、運命王の嘆息だけが広がっていく。
「……間違っては、いないんですよね……?」
自分の真上にある像に向かってポツリと呟く。
それはクストースを従える運命王の顔ではなく、父親に答えを求める少女の顔だった。
「我輩は皆を、世界を救いたい……。あちら側では成されなかった大願を叶えたい。貴方の本当の願いを叶えたい。それなのに、何故全てが矛盾と共に繋がるのでしょうか。
教えてください、生贄神よ……」
水晶の像は、何処かからこぼれる光を優しく反射するだけで何も答えない――。
サン・ミゲル街門前。
先に出発するジャンゴとユキは、見送りにきたザジから星読みの事を聞いた。
「ヴィジョンか……」
「何か心当たりでもあるんか?」
ザジに顔を覗き込まれて、危うくジャンゴは最近良く見る夢について話す所だった。
何故話さないのかと言うと、あの夢は全て自分のことであり、誰かに話してはいけないものだと直感で悟っていたからだ。
予知とは違う、未来見。それはジャンゴに苦しくて切ない気持ちを呼び覚ます。胸が締め付けられるようで、泣きそうになる。
クルシイ、イタイ、ヤメテ、タスケテ、ツライ、イヤダ
『ボクヲワスレテ』
「!?」
一瞬浮かんだ感情に、ジャンゴは棒立ちになってしまう。
「ジャンゴ、どないした!?」
「ジャンゴさん?」
ザジとユキがいきなり立ちすくんでしまったジャンゴを心配するが、肝心のジャンゴは金縛りにあったかのように動けない。
『忘れられるのは嫌……』
『僕を忘れるんだ……』
二つの矛盾した感情。
心に突きつけられた絶望。
昇らない太陽。
――――皆に『約束の地』を与えられなかった、敗北感。
これは何?
僕の記憶?
ユキに背中を叩かれるまで、ジャンゴはずっと棒立ちのままだった。