moon dream,moon doom・9

 解決方法は知っているのに
 それをやろうとしないんだ

 

 

 夕闇が完全に夜の闇へと変わったその時、サバタの周りにあったイモータルの匂いが消えた。そして、
「!!」
 サバタが起き上がった。
「兄さん!?」
「サバタ!」
 今日も見守っていたジャンゴとおてんこさまが驚く中、サバタは虚ろな目のままで暗黒転移をしようとする。寝起きだからか、ぎこちない動作ではあるが右手を掲げた。
「兄さん!?」
 ジャンゴはもう一度兄を呼び、転移をしようとする兄の右手首をつかんだ。
 ――とたん、視界が大きく歪む。転移する事はすぐに分かった。ジャンゴは今掴んでいる兄の手だけを頼りに、固く目を閉じた。

 歪んだ先の向こうは、太陽都市だった。
「……え?」
 最初めまいなどもあって場所を特定できなかったが、空気の薄さや見覚えのある倒壊した建物からようやく場所を特定した。
 ふと空を見ると、ビロードを張ったような空にかなり丸くなった月が、ぽつんと一つだけで浮いていた。ジャンゴはその月に、何となくだが母の面影と兄の面影を同時に見た。
 ぐいっと手を引っ張られる感覚。慌てて引っ張られる先を見ると、サバタが夢遊病者のごとくふらふらとどこかへ歩いていこうとしていた。
 一瞬引っ張り返して抑えようかと思ったが、ふとした瞬間に見えたサバタの双眸に、ジャンゴはそのままついて行く事を決めた。
 兄に手を引かれる形で太陽都市を歩いている中、ジャンゴはこうして兄に手を引かれたことはないな、と思う。
 手を引かれる年でもないしそもそも手を引いてくれるような兄ではないが、こうして実際に手を引かれると恥ずかしい反面、何となく懐かしい気がした。
 じじ、と地面を引っかく音で、ようやくジャンゴはもう片方の手でケーリュイケオンを持ってきていた事に気がついた。

 あれだけうろついていたコカトリスが一匹も見当たらないことに疑問を持ちながらも、ジャンゴはサバタに手を引かれて太陽都市の中を進む。
 やがて、中央広場から少し離れた庭園でサバタは足を止めた。未だに握られていたジャンゴの手を振り払い、無造作にある一点で穴を掘り出し始める。
 ジャンゴも覗き込んで見るが、サバタが掘り出している場所に何かが埋まっているようには見えなかった。むしろ、掘り出している手を見て息を飲む。
 サバタの手は、何故か赤く染まっていた。
 掘っている内に手が傷ついたわけではなく、土が最初から赤いわけでもない。ただ掘れば掘るほど、サバタの手は赤く染まっていくのだ。
 数刻もしないうちに手だけでなく腕全体に赤いしみが広がり、やがては顔にも赤い『何か』がかかっていく。血塗れになったかのような兄の姿に、ジャンゴは寒気を覚えた。
 ジャンゴの左手にあるケーリュイケオンも、サバタの手に赤いしみが着くたびにうっすらと光を放つ。ジャンゴに何かを伝えたいのだろうが、あいにく彼には分からなかった。
 やがてサバタの手が止まる。ジャンゴが恐る恐るまた覗き込んでみるが、相変わらずそこには何も無かった。だが、サバタは何かを見えているらしくずっと凝視している。
「……助ける…………」
 おもむろにぼそりと呟いたかと思うと、サバタは自分の作った穴に手を突っ込んだ。

 シナリオの終焉を飾る最後の殺人。
 それは、きっと、
 人形である自分自身。

「!?」
 いつしかサバタの手には、漆黒の槍が握られていた。ジャンゴが見守る中、サバタはそれを引き抜いていく。

 ――同時に、サバタの背中から槍で貫かれたかのように血が噴出してきた。

「にっ、兄さん!!」
 泡食ったジャンゴが槍を引き抜こうとするサバタを止めようとするが、サバタはその手を振り払い槍をどんどん引き抜いていく。
 槍が少しずつ引き抜かれていくと同時に、サバタの背中から噴出す血の量も増えていく。元々白かった彼の顔が、ぞっとするほど色を失っていく。
 それでもサバタは槍を抜く手を止めない。ジャンゴは兄を止めるのはやめて、その背中から噴出す血を抑えようとするが、量が量なので半分パニックになっていた。
 だから、ジャンゴは気がついていなかった。サバタが槍を引き抜いている相手を。――彼が掘り出した場所に、いつの間にか一つの棺桶がある事を。
 ケーリュイケオンが、かたかたとジャンゴの手の中で暴れだす。
「!? う、うわぁぁっ!!」
 また存在を忘れていたらしく、ジャンゴはやや大げさに驚いてしまう。ザジとは違ってそんなにセイの事を知らないジャンゴは、何を語り掛けたいのかが全く分からない。
 それでもさかんに瞬く杖を見てただ事ではないと知り、サバタの方を改めて見る。

 そこで、ジャンゴの思考は完全に止まった。

 

 

 お前の最期を迎えてくれるのは一体誰なのか

 

 永い眠りから目を覚ますと、そこにある世界は大分変わったような気がした。弟は「何一つ変わってないよ」と答えるかもしれないが、自分から見てそうとは思えなかった。
 無理もない。人形であることから目が覚めれば、自分は眠りにつく前の自分――四歳ごろの自分が目を覚ますのだ。
 例えば、四季と言うものはどう感じるべきなのだろうかとか。人に話しかけられた時、どう返すのだろうかとか。それら全てが、新鮮で興味深く感じられる。
 人形の自分にとってはただの「情報」以外の何物でもなかった感情が、こうして少しずつ「心」という形になっていくのが気恥ずかしいのと同時に、どこか楽しんでいる自分がいる。
 サバタは、ゆっくりと起き上がった。背中の痕はもうほとんど消え、何の痛みも残っていない。抜け出た膿を吐き出した傷跡は、全ての役割を終えて消え去ろうとしている。
「サバタさま」
 いつの間にいたのか、隣には赤いドレスを着た艶やかな黒髪の少女がいた。サバタは今まで込める事の出来なかった感情を込めて、少女に挨拶をする。
「おはよう、カーミラ」
 初めてした挨拶は、恥ずかしかった。

 何を以て、カーミラが復活したのかは分からない。その場を見ていたらしいジャンゴに聞いても、「あの時は混乱してたから……」の一点張りだった。
 何かを隠しているわけではなく、本当に混乱していたのだろう。自分でもその時の事は覚えていない。ただ一心不乱にカーミラに刺さっている槍を抜いたら、世界が消えた。
 世界が消えた後、眠りから目が覚めたら隣にカーミラがいた。自分がはっきりと記憶しているのはそれだけだ。
 それを弟やリタ、おてんこさま、それからザジに話したら、全員複雑な顔をした。特に一番なんともいえない表情をしていたのはザジだった。
 彼女は死者の復活を禁忌としていた。それをあっさり――しかも誰も説明できないやり方で――破って見せたのだ。いい顔はしない。
 ただ、サバタは何となくだがあの双子が力を貸してくれたのではないか、と思っていた。あれから一度も見ることのないスキファとフリウ。
 彼女達はサバタに言った通り、二人で静かに暮らしているのか。それとも自分を助けるために力を使い果たしたのか。どちらにしても、サバタは心穏やかに暮らして欲しいと思った。
(心穏やかに暮らして欲しい、か)
 奇妙なものである。数日前には彼女等の行方などどうでもいいと思っていた。……いや、世界全ての行方などどうでもいいと思っていた。それが今は、彼女達の安寧をささやかながらに願っている。
 この変化は一体どこから来たのだろうか。
「サバタさま」
 カーミラがもう一度サバタの名前を呼ぶ。しかも今度は自分の顔を覗き込んで、だ。こんな時、どんな顔をするべきなのか、どんな言葉をかけるべきなのか、自分は知らなかった。
 日常生活が全て「動作」であり、目や耳に飛び込んでくるものが「情報」だった前は、「情報」に基づいた「動作」を難なくこなせた。しかし、今は「心」という不確定要素が混乱させていた。
 どうすることも出来ずに、つい張り付かせていた皮肉まみれの笑みを浮かべようとすると、カーミラはくすっと笑って手で包み込むようにサバタの顔に触れた。
 その仕草で、小さい頃しょっちゅうこうしてもらっていたことを思い出すサバタ。今も昔も変わらないことに、不満を感じる反面、少しほっとした。

 その日の夜は、満天の星空と満月が明かりだった。
 サバタはカーミラを誘って外に出た。最初は少し渋っていたカーミラだったが、行く先を聞いてすぐに賛成した。
「久しぶりですね」
「…ああ、全くだ」
 あれからもう何年経っているのか、自分でも忘れてしまった。幻ではカーミラが自分の手を引いていたが、今はカーミラの前を歩いている。時の流れを感じさせるのはそれだけだ。

 ――今度は全く違った幻がサバタの横を通り過ぎていった――

 空色の髪をしたそっくりな双子が、はしゃぎながら走っていく。
 サバタはその幻を追う事はしなかった。
(また、どこかでな)
 通り過ぎた幻に向かって、サバタは別れを告げた。

 深い森の中に、ぽっかりと開けた小さな広場。そこで、サバタとカーミラは審判を待っていた。
 もしあの時と同じ光景が見られたとしたなら、自分たちは許される。
「……」
 だが、今ならどんな判決を下されたとしても、素直に受け入れられる気がする。例えそれが、無期懲役でも死刑でも、サバタはそれを受け入れる余裕があった。
 人形から解放してくれた人が、そこにいるのなら……。

 

 ――手を握り合う二人の目の前を、月の魚が通った。