人生とは何かを知らないほうが
いいと言う人もいる
彼らは絶対に気がつかないだろう
もう手遅れだということを
ソファで眠っているサバタは、一見何の異常も変調もないように見えた。だが、安全のためにザジに診せた。
「……夢の中におるな」
「そりゃ当たり前だろ」
ピントの外れたザジの一言に、ジャンゴは肩透かしを食らった気分で突っ込んでしまう。が、ザジの眼は厳しいままサバタを見つめていた。
「あんな。一言に夢言うても、夜見る夢や将来のことじゃあらへんで。ウチが言うてる夢は精神世界。
しかもその捕らわれてる者が生み出してる檻や」
「……つまり、兄さんは自分の夢に閉じ篭っているってこと?」
ジャンゴは、ザジの説明をなんとか理解して出てきた答えを言ってみる。うーんと唸る所を見ると、この答えだと75点ほどのようだ。
魔法に関してはド素人なジャンゴでも理解できるよう、ザジは言葉を選びながらゆっくりと説明した。
「今のサバタは、自分の精神世界に閉じ込められているんや。寝て見る夢ってのは必ず覚める。
せやけど、誰かが『絶対に覚めない』ように細工したから、サバタはこうして寝てるんや」
「誰かって? そんなことが出来るのか?」
ジャンゴの質問に、ザジは完全に黙り込んだ。丁寧にセットされた髪を派手に掻く辺り、かなり難しい質問らしい。
とりあえずジャンゴは彼女から詳しい説明を聞くのはやめて、サバタをベッドまで運んでいった。
えっちらおっちらとサバタの部屋まで運んで、ベッドに寝かせる。大きく動かしたり音を立てても、サバタは反応すらせず眠り続けていた。
予想以上に大変だった作業に、ジャンゴが汗だくになって居間に帰ってくると、ザジはまだ難しい顔をしていた。
「ザジ?」
質問のこと気にしてるのかな、と思いながら声をかけると、ザジはようやく顔を上げた。
「ジャンゴ、これは絶対とんでもない事が起きるで」
「え?」
星読みの力を持つ彼女の一言に、ジャンゴは見事固まった。
「何か見たのか?」
そう聞くとザジは首を横に振った。と言うより星読みの事を、ジャンゴに言われるまでザジはすっかり忘れていた。
それはさておき。今回の自分の意見はほとんどカンによるものである。推論やそれに基づく証拠もいくつかはあるが、大元はザジの直感だ。
何かが起こる。過去をひっくり返すとんでもない事が起きる。
場合によっては、誰かが禁忌に触れることになりかねない。
そんな予感がザジにはあった。
しかしいたずらにジャンゴや誰かに打ち明ければ、余計な不安を掻き立てさせて混乱させるのは目に見えている。だからザジは首を振るだけにとどめておいた。
気がつくと、もうすぐ日が落ちる時間になっており、自分の周りには誰もいなかった。
「…俺は……」
確かにさっきまで『ジャンゴ』と会話していたはずだった。…いや、自分以外の“誰か”と会話していたはずだった。『ジャンゴ』はいつ消えたのか。それすら分からなかった。
すっと日の光が弱まり、サバタは完全に日が落ちた事を知る。自分はそれほど長い間話し合っていたのだろうか。
サバタの身長以上に伸びる影は、一見何の異常もないように見えた。が、
(……違う)
影の濃さが違っていた。
(時間帯すら、揺らいでいるんだ)
この世界はサバタの夢からなる精神世界。夢は常に揺らぎ、めまぐるしく場面を変えていく。サバタの精神にあわせて、時間帯が大きく揺らいでいるのだ。
……時間帯だけではない。揺らぎが酷くなれば、人物、建物、果ては世界までもが揺らぎ、自己崩壊という形でサバタごとこの世界は消滅するだろう。
当然そうなれば、サバタは魂があっても意思のない人形と化す。スキファがこの世界を『檻』と言った真の理由がこれだ。
タイムリミットは定められていないが、いつそのリミットが来るか分からない。常に消滅と隣り合わせのタイトロープだ。
「カーミラの魂も道連れに、世界と俺が消滅する可能性もあるわけか」
自分に何かあれば、ダークマターと共にある彼女の魂も無事ではいられないだろう。それだけは避けなくてはいけなかった。
では、どうするか?
最初の目的――手段の一つでもあった――『ジャンゴ』との邂逅は果たしたが、彼から有力な情報は何一つつかめなかった。それどころかもっと謎をかけられた気がする。
そういえば、『サバタ』はどうなっただろうか。
時間からするにもう伯爵を浄化したのだろうが、その後はどうしたのだろうか。大地の巫女に捕まっているか、それとも先に進んでいるのか。
「こうなったら大地の巫女にも会ってみるか」
この世界を抜け出すには、『ジャンゴ』にこだわっているだけではダメかもしれない。『サバタ』やカーミラ、大地の巫女を知ってみる必要もあるだろう。
さっきよりかは幾分か足取りも軽くなり、サバタは太陽樹の元に行くことにする。すでに道が暗くなっているが、精霊体であるサバタには関係なかった。
太陽樹までの道を歩きながら、サバタは大地の巫女――リタの事を思い出す。大地の巫女。生まれる前に吸血変異を受けてしまった者。
……そして、弟の生涯のパートナー。
己の感情を表に出し切れないジャンゴは、彼女の支えのおかげで少しずつ年相応の感情を出せるようになってきていた。
課せられた使命の重みから逃げなくなったのも、彼女の支えがひとえにあったからだろう。少なくとも、自分は何もやっていないし、やる気もない。
(ジャンゴにとっては、俺よりも彼女の存在の方が大きいんだな)
サバタはそこまで思ってため息をついた。
太陽樹の根元。
そこにはもう『サバタ』はおらず、リタは一人祈りを捧げていた。
太陽プラントはまだ太陽樹が回復していないこともあって、芽が生えかけているのが一つだけだった。また、イストラカンに移った影響で、太陽樹も枯れ木に等しい。
風がサバタのマフラーをたなびかせ、草をざわめかせる。その隙にサバタはリタに近づいた。
祈りの言葉が聞こえる。
――どうか、サバタさまが無事でありますように……。この世界に、光をもたらしてくださいますように……。
この閉ざされた世界が救われますように……。
足が止まった。
(……知っている……)
リタは知っている。ここが檻だと。この世界は虚像のものにしか過ぎない事を。そして、自分はその虚像の世界でしか生きられない人形に等しい事を。
サバタの顔がどんどん青ざめ、足が震えだす。赤い目に、恐怖が混ざり始めた。
ザジは、一度宿屋に戻っていた。ジャンゴに精神世界の説明をしている時に、ある事を思いついたからだ。
自分の寝室でひっそりと置かれてある、派手な装飾がされていない黄金の杖を手に取る。
「セイ……」
伝説の杖、ケーリュイケオン。ザジの大切な人であるセイが宿る杖。
今サバタがいるのが夢の言う名の精神世界なら、精霊である彼が力になってくれるのではないかと思ったのだ。無論、これは彼の力を利用することになる。
ザジにとってセイを利用するのはなによりも辛いことだった。だが、親友であるサバタがこのまま夢の檻に捕らわれたまま帰ってこないのも、辛いことなのだ。
「頼む、ウチに……サバタに力を貸してぇな」
ザジの言葉に反応して、杖が少しだけきらめいた。杖が破壊されない限り、セイは死ぬことがない。人間としての姿は保てないが、こうして意思表示は出来るのだ。
セイの返事を聞いて、ザジはまた宿屋を飛び出した。
サバタのベッドにケーリュイケオンを立てかける。
「それで、セイが兄さんを助けに行けるのか?」
「本人はそう言っとったで」
杖には何の反応もないが、セイが言うにはそれだけで相手の精神内に入る事はできるらしい。ただあくまで入るだけで、何かするには制限がかかるらしい。
それでも今の兄さんには充分だろう、とジャンゴは思った。
知らないうちに、サバタは走り出していた。太陽樹――リタから逃げ出す形で。
閉ざされた夢と言う名の檻の世界。
微妙に違う自分と弟。
世界の中で作り物と自覚している人。
……その中で、唯一変わらない少女。
怖い。
助けて欲しい。
昔封印したはずの心が悲鳴を上げる。人形として壊したはずの心が泣き叫ぶ。
『痛い?』
「!?」
最近聞いた声――スキファとは違う声に、サバタは足を止めた。
スキファと同じ空色の髪、薄い緑のワンピース。ブラッドレッドとは違う赤い瞳。違うのはマリンブルーのリボンをしていないことだけの、スキファの妹。
「……フリウか」
「うん」
ころころと瞳の色が変わるスキファとは違い、フリウは真紅のまま色は変わらない。怯えて姉の後ろにいた彼女の姿はどこにもなかった。
あるのは人形としての顔と心を映す目。かつてのサバタによく似た表情と目。
…と、世界が少しだけ揺れた気がした。
「貴方のせいよ」
「……どういう事だ?」
抑揚のない声で責めるフリウに、サバタが眉をひそめる。
確かにここは自分の夢だ。自分の揺らぎはそのまま世界の揺らぎに繋がり、この世界にいる者全てに影響を及ぼす。最悪の場合、全員道連れに精神崩壊の可能性もあるのだ。
だが自分を閉じ込めている彼女たちに、何らかの影響があるというのだろうか?
「貴方はこの世界に私達を閉じ込めている。姉さんの力を利用して、自分にとって都合のいい偽りの世界を生み出している」
「そんな馬鹿な」
サバタは速攻で否定した。自分を閉じ込めたと言ったのは他でもない、彼女の姉だ。それから自分はこの檻を破る方法を捜し求めている。閉じ込める前に、彼女達を追う余裕すらないのだ。
それでもフリウが自分を見つめるまなざしには憎悪以外の何もなかった。自分が何らかの方法で、この世界に細工をしていると誤解しているようだ。
馬鹿馬鹿しい。
サバタはそう思った。
都合のいい世界。
カーミラが生きている世界。
都合のいい世界。
――人形でい続けられる世界。
真に都合のいい世界は、どっちだ?