moon dream,moon doom・4

 入り込んでしまったこの怒りを抑えて欲しい
 この状況を変えてくれ。俺には新しいことが必要だ

 

 視線があった。
 自分と同じブラッドレッドの目は、確かにサバタを映している。――彼にはサバタが見えている。
「……お前、見えているのか?」
『ジャンゴ』は無言でうなずいた。後は何も言わずに、ずっとサバタを見ている。
「…何故しゃべらない」
 無言。
「何故無表情でいられる」
 無言。

『ジャンゴ』はつい、と視線をそらした。

 そのままドアノブをまわして扉を開ける。伯爵が狼狽するのが気配で分かったが、『ジャンゴ』はお構いナシに部屋の中に入った。
 ――入る瞬間にあごをしゃくられた。
 中に入れ、という意味と取って、サバタも『ジャンゴ』の後に続いて部屋の中に入った。
 部屋の中には、もうカーミラはいなかった。伯爵も服装を整え、来客を出迎えている。『ジャンゴ』とは違って、伯爵は自分が見えていないようだ。
 当たり前のことだが、そのことで少しだけ胸をなでおろす。さっき『ジャンゴ』に気づかれてから、少し自分は臆病になっているようだ。
「伯爵。準備は出来てる?」
『ジャンゴ』が伯爵の名前を呼ぶ。その声はジャンゴの声そのものではあったが、ジャンゴの声とは遠くかけ離れていた。
 暗黒少年の自分ですらついぞ出したことのない、底冷えする寂しさと冷たさがあった。
「は、はい。大地の巫女もこの通りです」
『ジャンゴ』の声に恐れをなしたのか、いくばくか脅えが混じった声で伯爵が答える。ぱちっと指を鳴らして、閉じ込められている大地の巫女を呼び出した。
 ……大地の巫女は、普通にリタだった。やはり“過去”の違いは、ジャンゴとサバタの入れ替わりくらいなのだろうか。
 一応『ジャンゴ』の様子を伺うが、彼は仮面を貼り付けたかのように無表情のままだ。ブラッドレッドの目にも、何の感情の揺らぎはない。
「月下美人はもう確保したから、そっちも準備はしっかりしてね。ヴァンパイアハンターも来てるから、それじゃ」
 必要な事を最低限の言葉でまとめ、淡々と告げる『ジャンゴ』。あっけに取られる伯爵を尻目に、『ジャンゴ』はきびすを返してその場を立ち去った。
 サバタは一瞬追いかけかけたが、考え直してここにとどまる。ぶつぶつと『ジャンゴ』の陰口を叩く伯爵は放っておいて、中を調べることにした。
 ジャンゴは知らないだろうが、ここの部屋は隠し扉が存在する。伯爵に悟られないようにそっと移動する。スイッチを探すが、今の自分の状態を思い出してそのまま隠し扉をすり抜けた。
「……いた」
 派手好きな伯爵にしては珍しく、最低限の家具しか置いていない部屋。そのベッドの上で、カーミラはぼうっとした顔で虚空を眺めていた。
 手を伸ばすが、その手はカーミラの体をすり抜ける。サバタはショックを受けながらも、ほっとしている自分に驚いた。
 どうすればいい? 彼女に会って、自分に何が出来る?
 いつもなら無理やりでも手を引いて何処かへと連れて行く強攻策を取るが、物に触れられない精霊体の今ではどうすることも出来ない。
 ……いや、手はあるのだろうが、その手が思いつかない。
 カーミラに自分の存在を気づかせるべきだろうか。気づかせれば、彼女の運命も少しは変わるかもしれない。
(……それはないか)
 サバタは首を横に振った。意外とてこでも動かない頑固さがある彼女。例え自分が何を言っても、彼女はこのイストラカンにとどまり続けるだろう。
 と、そこまで考えて、サバタはそれが正しいことなのだろうかと思った。
 カーミラを助けたい。
 カーミラの側にいたい。
 カーミラと一緒にいたい。
 それは間違いなく自分の気持ちだ。変わることのない、変えるつもりのない自分の意志。
 だが、イストラカンから逃げるのは本当に正しい選択なのか? 本当はもっと別の方法があるのではないか?

 新しく生まれた悩みを抱えたまま、サバタは血錆の館を出た。一応『サバタ』とかち合わないために、裏口から外に出る。
 裏口から出たサバタを、少年――『ジャンゴ』が声をかけた。

「待ってたよ」

 現実世界。
 昼ごろになっても帰ってこない兄に、さすがに心配になったジャンゴはリタたちに事情を話し、サン・ミゲルを出て探し回っていた。
 ちなみにリタとザジはサン・ミゲル内を探し回ってもらっている。人手は多いほうがいいからだ。
 サバタは行動範囲がそれほど広くない。長い間日の光を浴びていられないので、外に出る事自体が少ないのだ。よって、そんなに遠くまで行っていないはずとジャンゴは推理した。
 晴れ渡る空。ついこの間雨が全てを洗い流してくれたおかげで、今は雲ひとつない。だから、早めに探し出さないといけなかった。
「あまり変な所にいなければいいけど」
 そう一人ごちて、少しずつ捜索範囲を広げていく。前にザジとセイを探す時に無茶をして倒れそうになったので、今回は慎重に探していた。
 捜索に行った人間が捜索されるなど、笑い話にしかならない。兄が聞いたら速攻で「馬鹿かお前は」と言い放ってくれることだろう。
 気まぐれな風が一つ吹いて、ジャンゴのマフラーと木々を穏やかに揺らす。
 ジャンゴはその風の動きにデ・ジャ・ヴュを感じた。前にもこんな風に歓迎され、祝福されたことがある。
(ああ、そうか)
 記憶をさかのぼってすぐにジャンゴはデ・ジャ・ヴュの原因を理解した。
 もう一年近くになるのだ。自分が父の意志と形見でもあるガン・デル・ソルを受け継いで、ヴァンパイア・ハンターになってから。
 短いようで、長い一年間だった。イストラカン攻略、エターナル事件、グールの大量発生、『聖女さま』の乱心……。さまざまな事件がジャンゴを通り抜けていった。
 そしてその一年間の間に、ジャンゴの周りを取り巻く人間も少しずつ変化していた。父と母を失い、兄の存在を知り、生涯を共にするパートナーに出会った。
 兄は? サバタの周りを取り巻く人間はどう変わったのか。
 大きな変化は偽りの母親であるヘルの消滅。そして彼が唯一心を許し、深く愛した女性――カーミラの消滅。
(父さんも母さんも失って、カーミラさんもいなくなって、代わりに得たものは何一つないじゃないか)
 そう考えると、自分の悩みはただの自意識過剰ではないかと思えてしまう。不幸自慢をするわけではないが、自分の境遇を勝手に哀れんでいたのは事実だ。
「……ふう」
 呆れ交じりのため息を一つついた。

 捜索は、何の成果も得られずに終わった。
 日が落ちる前に一回帰ろうと思い、ジャンゴはサン・ミゲルに戻った。
「ジャンゴさま!」
「ジャンゴ!」
 リタとザジがジャンゴを見つけて駆け寄ってきた。その顔が少しだけやつれているように見えるのは、彼女達も散々探し回って疲れたのだろう。
「兄さんは?」
 ジャンゴの問いに二人は揃って首を横に振った。
「ごめん。余計な手間をかけちゃって」
「え? いいんですよ!」
「そやそや。ウチら、サバタが友達だと思うてここまで付き合ってるんやからな」
 深々と頭を下げるジャンゴに、リタとザジは慌てて手を振った。と、その手が同時にぴたりと止まる。
 その手の動きに、ジャンゴの顔はますます陰っていった。

「それにしても、どこに行ったんでしょうね……?」
「そやな…」
「……兄さん……」

 夕闇と夜が交差する黄昏時。
 三人は帰ってこない少年に思いをはせた。

「お前は何故黙っている」
「話すことなんてないから」
「いつから暗黒少年になった」
「物心ついたときから」
「お前は何のために戦っている?」
「そんな事言う必要ある?」
「……」
「どうしたの? もうおしまい?」
「何故お前に俺が見える」
「さあ? 見えるから仕方ない」
「俺の知っている弟に似ているのは何故だ?」
「それこそ神のみぞ知るってやつだと思うけど」
「お前には何もないのか」
「何か…? 考えたこともない」
「お前は今そうしている理由があるはずだろう」
「さっきと答えは同じ。言う必要はないね」
「……どうしてそこまで他人事でいられるんだ」
「他人事だなんて思ったことないけど」
「自分の意思でそう思っているのか?」
「思っているよ?」
「…本当にそうなのか?」
「そう思っていた。思っていたが、気がついたら全ては手の内だったんだ」
「くだらない奴の浅知恵に乗せられ、踊らされていた……」
「……俺は……俺は……ッ!!」

「……ねぇ、誰と話しているの?」

 

「……嘘」
 家に帰って、ジャンゴは呆然とした。

 ソファでは、サバタが眠っていた。