時が過ぎ行く中、自分自身を見つめてみろ
それがお前の姿
予想していた通りか? それともまだ可能性を追うつもりか
太陽少年の『サバタ』を追ううちに、サバタはあることに気がついた。
体が軽い。比喩でもなんでもなく、本当に体か羽のように軽いのだ。試しに軽くジャンプしてみると、普段の2倍以上の高さまで飛び上がった。
この軽さは、自分が精霊体になったと考えて間違いないだろう。試してはいないが、恐らく人の体をすり抜けることも可能のはず。
(とすると、これは夢なのか? それとも自分の『もう一つの過去』なのか?)
あるべきはずのない過去。だが、一つ違えば必ずあったであろう過去。
――ヘルがさらったのがジャンゴだった場合の過去。
『サバタ』がガン・デル・ソルを持っているという事は、前の主であり自分たちの父親であるリンゴに何かあったということだ。それは父が愛用していた赤いマフラーからも分かる。
この時、ジャンゴが兄である自分を知っていたのかは知らないが、少なくとも彼はサン・ミゲルで自分が母であるマーニをさらってから、すぐにイストラカンへとやって来た。
ならおそらく、『サバタ』が向かう先は――。
「待っていたぞ! 太陽少年!」
二股に分かれている道。そこで『サバタ』の目の前に現れたのは、太陽の使者おてんこさまだった。無言で目的地まで走っていた彼も、さすがにこれには足を止めた。
共にヴァンパイアを倒しに行こうとしている二人をおいて、サバタは先へと進むことにする。精霊体の体は、短距離ではあるが空も飛べるので、途中のダンジョンは全て無視して行った。
あの二人ならすぐに伯爵の傀儡を浄化するだろう。過去に追いつかれる前に、自分は調べることがある。
霧の城から血錆の館まではそう離れてはいない。十分足らずで、サバタは正門前まで来ていた。
精霊体なので、扉と言う扉はすぐにすり抜けられるが、実は血錆の館の構想を知らないので目的地にたどり着くまでにかなりの時間がかかった。
目的地――伯爵がいるであろう部屋の前に立ったサバタは、扉に耳を寄せる。姿が見えない(はず)の精霊体だから堂々と入ることもできるが、まあ雰囲気と言う奴だ。
――……巫女が……、こちらは……。
…私は…………のですか?
ロクに聞こえない。僅かに拾えた単語からするに誰かと会話していることだけが分かるくらいだ。相手は、恐らくクイーン・オブ・イモータル=ヘル。
(そういえば、伯爵は最初ダーインの手の者だったらしいな)
エターナル事件でダーイン本人から聞いた話だ。ヴァンパイア・ロードとして、純粋な暗黒仔であるダーインに仕えるべきだと思っていたのだろうが、ヘルの目的を聞いて寝返ったのかもしれない。
まあ、それは今回のこととはあまり関係ないだろう。伯爵自体、もう忘れたい相手の一人だ。
中に入って様子を見るべきかと思ったとき、後ろで空間の揺らぎを感じた。つい本能的に姿を隠してしまうが、相手の姿を見て飛び出してしまう。
赤いドレス、肩口で切った艶やかな黒髪。ほっそりとした体に、愁いを帯びた表情。
「……カーミラ……!」
血を吐き出すように、少女の名がこぼれ出た。追い求めてやまない、サバタの十字架そのもの。
その少女はどこか諦めにも見える顔で、伯爵の部屋に続く扉を叩く。さして時間もかけずに伯爵が扉を開けて、少女を招きいれた。
扉が完全に閉まるのを見て、サバタはうずくまって耳をふさいだ。
知っている。かつて自分は見たのだ。興味心から閉ざされた扉を少しだけ開き、その先の光景をその眼で見てしまったのだ。すすり泣く彼女と、その彼女に覆い被さろうとする伯爵の姿を。
あの時自分に奴を倒す力があれば。今でもサバタは考える時がある。もしかして、彼女のこの先の運命を変えることが出来たのだろうか。
――彼女は生き続けることができたのだろうか。
いや、だろうかではなく、生きて欲しかった。例え全てから逃げ出したとしても、自分と彼女がいればどこまでも生きていける。そう思いたかった。
それなのに。
自分には倒す力も、止める力もなかった。ただ泣いて、笑って見逃した。
だから彼女は、自分の前から姿を消した。浄化と言う形で、自分とカーミラは姿を見せあう事もなく別れてしまった。
でも、もし今なら?
もし今、何らかの形で止める事が出来たのなら、未来が変わるのではないか?
もし今、何らかの形でカーミラをイストラカンから連れ出すことが出来たのなら、彼女は生き延びられるのではないか?
『それは無理よ』
「!」
サバタの思考は、頭に直接割り込んできた声によって断ち切られた。
『貴方には、決して出来ない』
声を理解した瞬間、奥歯をかみ締める音が耳と頭の中で響いた。
「……スキファか」
唸るようにサバタが誰何すると、ふわりとあの青い少女が現れた。
最初はフリウかもしれないかと思ったが、少しだけ言葉にアクセントがあるのでスキファだと分かった。
マリンブルーのリボンでまとめられた空色の髪と薄い緑のワンピースは、『ここ』に迷い込むまで前を歩いていた彼女と全く同じだが、その雰囲気は今までのものとは全く違っていた。
目だ。サバタは違和感の正体をすぐに悟る。
彼女の目は、自分と同じブラッドレッドの目をしていた。
「……イモータルだったのか、貴様とフリウは」
「正確には違うわ。私とフゥちゃんは最初は夢子という名の『亜生命種』だった」
「『亜生命種』?」
「生命種でも反生命種でもない生命を持つ者。世界から外れた哀れな存在」
「!?」
世界から外れた哀れな存在、の言葉にサバタの眉が大きく上がった。同時に、あの夜に半ヴァンパイア化したリタを連れて来たジャンゴの顔が脳裏に浮かぶ。
人間を始めとする生命種。イモータルを指す反生命種。――どちらでもあり、どちらでもない亜生命種。
自分が知る限りは半ヴァンパイアのジャンゴとリタのみだったが、スキファとフリウもその『世界から外れた哀れな存在』だったとは……。
「でもある時。私たちの境遇を狙って、イモータルが私達を同属にした。それから私達は夢を追いかけ、夢を探し、夢を食らうだけの吸血鬼に成り果てたわ。
あの時ああすれば、あの時逃げ出せれば、何回もそう思った」
うつむくスキファの目は、ブラッドレッドと言うよりカーマインに近い色だった。
「でも、もう後戻りは許されない。後悔しか私には出来ない。
だけどあの子だけは」
――私が守る
目の色がカーマインから、クリムゾンへと変わった。その色変わりだけで、サバタは悟る。
彼女は、自分に似ている。最初出会った時、何故自分たちと比べてしまったのかを、その時理解した。
「聡い貴方なら、この世界がどのような世界だか分かっているわね?
この世界は『あるはずだったもう一つの過去』。貴方の記憶をトレースして生み出した、もう一つの過去の世界。つまり貴方の夢そのものよ。
抜け出す方法は二つ。
一つは、この世界を貴方の記憶の通りになぞらせること」
「!」
記憶の通りになぞらせる。つまり、過去を変えるなと言うことである。
つまりサバタがどれだけカーミラを生き延びさせたいとしても、過去にカーミラが死んでいるのなら、その死を受け止めなくてはいけない。彼女の死を、止めてはならないのだ。
太陽少年が『サバタ』であってもそれは変わらない。ジャンゴが辿った道を辿らせない限り、自分は一生夢の中にいることになる。
サバタの目の色に諦めが混じった時、スキファが「もう一つ」と付け加えた。
「貴方が檻を壊せばいい。この夢と言う檻を」
言いたいことだけを言ってスキファは姿を消した。
彼女の気配がないのを確認してから、サバタはもう一度固く閉ざされた扉を見やる。
この扉の向こうで、カーミラは何を思っているのだろうか。果て無き絶望か、自分の境遇への恨みか、それとも、かすかな希望か。
突然。
物音が消えた。何一つ音がしなくなったのではない。自分が音を聞くのを拒絶したのだ。
(もう聞きたくない)
何もかも聞きたくない。何もかも見たくない。自分の見た皮肉まみれの現実は、もう二度と見たくないし受け容れたくもない。
だが、それだと自分は何を成す為にここに来たのか。巻き込まれたとは言え、自分は何かを成す為にここに来たはず。何もしないで殻に閉じこもるのは、自分の性分ではなかった。
『何も出来ないなんてことはない』
かつて自分はあのひまわり娘に対してそう言った。「何も出来ない。自分は無力だ」と嘆くだけだった少女をそう叱咤激励した。
それは自分も同じだ。何も出来ないと勝手に嘆いたところで、誰かが救いの手を差し伸べてくれるわけではないのだ。仲間がいるとしても、努力するのは自分自身だ。
サバタの世界に、音が戻る。閉ざされかけた殻を自分で破壊し、今の現実を素直に受け止める。逃げる余裕がないとも言えるが。
まずはこの世界での暗黒少年に会おうと思った。
太陽少年が『サバタ』なら、恐らく暗黒少年は『ジャンゴ』だ。どんな弟になっているのかの興味もあったが、“過去”から出るためには彼が何らかの鍵になると踏んだからだ。
「ここで待つほうが早いか……?」
自分がここを訪れた時の頃を思い出す。確かジャンゴがここに入ってきた頃に、大地の巫女の様子を見に来たのだ。ここの『ジャンゴ』が自分と同じ行動をするかは分からないが、来るとしたらもうじきだ。
と、ここでサバタは大地の巫女が気になった。
今のところ“過去”と現実の違いはサバタとジャンゴの入れ替わりぐらいだが、それ以外の違いとして一番に上がりそうなのが「カーミラとリタの入れ替わり」なのだ。
さっき入って行ったのが間違いなくカーミラだったから入れ替わりはないと思うが、それでも少しは気にかかる。ここでの彼女は、どうなっていくのかが。
その事を確認しに改めてドアノブに触れようとした瞬間、空間が揺れた。
「!?」
自分にとっては馴染み深い空間の揺らぎ――暗黒転移。その転移を使う者は。
サバタの予想通り、暗黒少年は『ジャンゴ』だった。母がくれたであろう月光のマフラーに、暗い色を貴重とした服装は自分とほぼ変わらない。
しかし、その顔と目はサバタが持っているものでもジャンゴが持っているものでもない、暗く沈んだ何かが宿っていた。
何かを悟り、諦めてしまった――吹っ切れてしまった表情があった。
「ジャンゴ……」
哀愁にまみれて堕ちた弟の姿に、知らず知らずのうちに言葉が出る。
――その時、ジャンゴがサバタの方を向いた。