元々、僕は太陽が好きじゃないのかもしれない。
ジャンゴは最近そう思うことが多くなった。
彼がヴァンパイア退治に出かけて、もう6日になる。日めくりのカレンダーも残った数は少なくなり、後もう少しで年が明けることを語っていた。
もう待つのには慣れてしまったので、そんな寂しい気持ちにはならない。
……慣れた? 違う。
「必ず帰ってくる」の言葉に、重みを感じ始めたからだ。それだけ、彼は命を投げ出すような戦い方をしなくなった。生きて帰る事も大切なことだと分かり始めたからだ。
死して希望になる事はない。生きることから希望が始まる。
だからリタも安心して待っていられる。あの赤いマフラーをまとった少年が、いつでもこの扉を叩いて入ってこられるように、信じて準備しなくてはいけない。
こちこちと時計の針が動く音に合わせるかのように仕事をして、御飯を食べて、片づけをして、明日の準備をして、ゆっくり眠る。それが自分に出来ることであり、彼を受け容れる準備なのだ。
そう考えれば、待つのも少しは楽しくなった。彼がいないその間に起きたことが、少しだけ新鮮になってきた。
彼が同じ空で、自分には出来ない体験をしている時、自分も同じように彼には出来ない体験をしている。それが楽しかった。
もちろん、彼の体験とは命がけの代物なのは知っている。だが、それを不安がって怯えて過ごすのがどのくらい大変で、意味のない事なのかは大分前に知ってしまった。
日は昇り、また沈む。
そんな普通の日常と全く同じ、「待つ」日常は過ぎていく。カレンダーを捲る手は、前に比べると大分軽いものになっていた。
やがて。宵闇が太陽の街に広がる時間。
待ち望んでいたノックの音が鳴る。一度笑顔の練習をしてから、一呼吸置いて扉を開ける。
扉の向こうにいたのは、彼女の予想通り――彼女が一番この扉の向こうにいてほしかった人だった。
「ジャンゴさま、お帰りなさい」
「ただいま」
帰ってきた時の、いつもの挨拶。いつもの笑顔。
……いつもと違うのは、彼は今、半ヴァンパイアだということだった。
トランスを解除しない想い人――太陽少年ジャンゴに、トマトジュースを渡す。ジャンゴは一回口付けてから、すぐに飲み干した。
ヴァンパイアが好む人間の血に近づけたそのジュースは、今のジャンゴにとっては何よりの回復元だ。
それにしても。とリタは思う。
彼が半ヴァンパイア――黒ジャンゴ状態で帰ってくるのは珍しい。半年も前のエターナル事件で、彼は暗黒の力・ヴァンパイアへの変化能力を手に入れた。が、本人はこれを気に入っていない。
いつ飲み込まれるか分からない闇への不安。
大切なものを失う恐れ。
重すぎる期待に対する恐怖。
知らなかった事への罪悪感。
無邪気さを打ち消すには充分なほどの絶望。
黒ジャンゴの姿は、そんな彼をあざ笑うかのように黒く、闇に満ちている。この姿こそ、お前の本当の姿なのだと。お前も父の後を追うのだと。
なまじ外見が父親に似過ぎたため、辿る道すら父と似過ぎてしまったジャンゴ。
だからこそ彼女にとってジャンゴは愛おしい人だった。その細い身体を抱きしめて、傷と言う傷全てに口付けてあげたくなるほど。偽りの救いであっても、与えずにはいられないほど。
……でも、私の手では偽りの救いも与える事はできない。同じ半ヴァンパイアに近いこの私の手では。
リタは悔しさのあまりに、自分の手を強く握り締める。爪が皮膚に突き刺さり、骨も軋む。血が出る寸前でセーブし、出血は抑えた。だが、匂いだけは抑えることはできない。
ほのかに香る血の匂いに、ジャンゴが反応した。
「血、出てない?」
「大丈夫ですよ」
ぱっと開いた彼女の手は、充血しているものの血は出ていなかった。やがて少しずつ血の流れが元に戻り始め、異常なまでに赤かった手は本来の色を取り戻し始める。
もったいない。ジャンゴはふとそう思った。
血が出たら傷の手当をしなくてはならない。それなのに、ジャンゴはもったいないと思った。そのことに気づくと、すぐに頭を振ってその考えを追い出したが。
……流れた血を舐めて満足? 馬鹿か僕は。
本能を抑えるより先に、呆れが心の中を占めた。
確かにヴァンパイアは人の血を好む。だが、ここまでしみったれたもので納得できるとは到底思えなかった。
「ジャンゴさま、どうなさいました?」
リタの笑顔が眩しい。見れば見るほど、悲しみと切なさで胸がつぶれそうになる。何よりも好きな笑顔で、何よりも自分を苦しめる笑顔。
好きだという気持ちだけで、ここまで苦しく、痛くなるなんて。
三流恋愛小説で出てきそうなフレーズだが、ジャンゴの場合は恋愛と言う甘いものとは程遠いものだった。
その笑顔は、今の自分に向けられるには眩しすぎる気がしたのだ。
いつ飲み込まれるか分からない闇への不安。
大切なものを失う恐れ。
重すぎる期待に対する恐怖。
知らなかった事への罪悪感。
無邪気さを打ち消すには充分なほどの絶望。
「……見られたんだ。黒ジャンゴの姿」
笑顔から逃げ出すように、ジャンゴはぽつりぽつりと話し始めた。
ヴァンパイアを追ってやってきた小さな村。
そこで一晩過ごそうと村人の家にお邪魔し、その夜にジャンゴはヴァンパイアの波動を感じた。後を追い、そのアジトを突き止めた。
気づかれずに潜入できたジャンゴはそこで夜が明けるのを待ってから、ヴァンパイアを倒して浄化したのだ。
だが、追跡する時に黒ジャンゴに変化したのを村の子供が見ていた。
子供は帰ってきたジャンゴを指差してヴァンパイアだと言い放った。助けに来たヒーローが、村に恐怖を撒く悪の権化に成り果てるのに時間はかからなかった。
石を投げられ、罵られ、絶望と裏切りを突きつけられたジャンゴは、そのままサン・ミゲルへと帰ってきた。
「言われなきゃ気づかないよね。今のこの姿が、皆にはバケモノに見えるんだって事」
サン・ミゲルの住人は、ジャンゴが半ヴァンパイアになれる事を知っていた。なまじ身内に囲まれて暮らしてきたため、外の恐ろしさを全く知らなかったのだ。
「おてんこさまがいたら、少しは変わっていたかもしれないけど、いい勉強にはなったよ」
自嘲気味につぶやく。
もしあの場におてんこさまがいたら、あの村人達はどう反応しただろうか。ヴァンパイア・ハンターの証であるガン・デル・ソルすら「何処かで買ってきた子供のおもちゃ」と言い放った彼ら。
おてんこさまは「そこにいない」と思い込んだだろうか。
「僕は、もう人間じゃないんだよね」
翌日は太陽が見えなかった。
太陽チャージが出来ないのは辛いが、幸いスタンドには一週間は楽にしのげるほどのエネルギーが溜め込んである。いざとなったらそれに頼ればいい。
苦い教訓を残したものの、仕事が終わったので少し軽い気持ちで散歩していると、ザジが歩いてくるのが見えた。手を上げて声をかけると、彼女はジャンゴに気がついて近寄ってきた。
「ザジ!」
「あぁ、ジャンゴ! 帰ってきたんか!」
ひまわり娘である彼女は、その二つ名のような明るい笑顔を浮かべる。
その笑顔は、リタが浮かべる笑顔とは全く違っていた。見ると痛々しい気持ちに追い詰められる感じはしない。寧ろ、つられて笑顔になりそうな魅力があった。
「仕事終わったんなら、はよ言うてや~。リタとか皆心配してたんやで」
「ごめんごめん。帰ってきたの昨日の夜だったんだよ」
他愛のない会話。この会話をするだけで、ジャンゴは帰ってきた実感を深くかみ締める。命のやり取りをしてでも守りたい日常が、そこにあった。
それからしばらくはジャンゴが出かけてからのサン・ミゲルで起きたことや、ジャンゴが旅の間に見たものなどを話しあう。スミスの孫娘自慢が激しくなったなどの他愛のない世間話なども。
厚い雲の切れ目から少しだけ太陽の光が覗く事で、二人は時間の経ち様を知った。
「すっかり話し込んじゃったね」
「どうせやから宿屋で話せばよかったな。暖房入れたから、温いで」
「あ……」
ザジの言葉にジャンゴはようやく気づいた、と絶句する。…まあ今更宿屋に行ったところで、話のネタはほぼ尽きているのだが。
とりあえず、ジャンゴとザジはその場で別れた。ザジは何処かに調べ物に行くようだが、ジャンゴは行く当てを特に決めていない。
ザジの調べ物を手伝おうかと思ったが、魔法に関して詳しくない自分が行っても足手まといになるだけだろうと思い、後は追わなかった。
それでも彼女の後姿だけは見送ろうと振り向くと、もう彼女の姿は見えなかった。彼女の足の速さに少しだけがっくりときて、ふと疑問に思う。
(一体何を期待してたんだ?)
彼女が振り向いて「一緒に行くか?」と誘ってくれることか? それとも宿屋に行ってまた同じ話題を繰り返すことか?
(恋仲ってわけじゃないのに)
そうだ。自分とリタの関係ですら微妙なままなのに、彼女との関係まで複雑化させてどうしようと言うのだ。
それに兄の気持ちを裏切る行為はしたくない。今まで散々苦しめただけあって、もう兄を苦しませるようなことはしたくなかった。
足を止めるのはやめ、また歩き始めると今度は向こう側からシャイアンが歩いてくるのが見えた。
「ジャンゴ!」
今度はジャンゴが声をかける前に、向こうのほうから声をかけてきた。ジャンゴのほうも手を上げて応える。
「無事だったか。怪我とかはなさそうだな」
「ええ。おかげさまで」
年上が相手なので、ジャンゴは自然と丁寧な言葉遣いになる(おてんこさまは別)。
「……何かあったか?」
伊達に年上ではない。ザジが見切れなかったジャンゴの心の揺らぎを、シャイアンは何となく察知したようだ。そのことに内心舌を巻きながら、ジャンゴはいつもの顔を取り繕った。
打ち明けてはいけないものだって、ある。
シャイアンはそんなジャンゴを見て、あまり触れてはいけない話題に触れてしまった事を知り、少しだけ後悔する。早めに会話を切り上げて、その場を去ることにした。
ジャンゴに背を向けようとして、ふと言い忘れた言葉を思い出した。
「ジャンゴ」
太陽少年は、不思議そうな顔でこっちを見ている。
「何があっても、お前はお前だと皆わかっているからな」
シャイアンの最後の言葉に、ジャンゴは足を止めてしまった。
「その『僕』って、何なんだよ……」