ティータイム

 ジャンゴがサバタの行方を追い始めてから、もう何週間になるのだろうか。
 その何週間の間、自分はジャンゴに会っていないのだろう。
「何かなぁ、必要な時んだけ帰ってくるっちゅーのは倦怠期の夫がやる事に似てへん?」
 ジュースをくるくるとストローでかき回しながら、ザジがそう愚痴り始めた。
 今までずっと聞き役に回っていたリタは、ザジのその一言に顔を曇らせてしまう。
「ちょーっとこっちに連絡とかせぇへんでも分かってくれてるとか、今はこっちで手一杯やから後でフォローを、なんて思ってるんとちゃう?
 そりゃ今の状況考えればそうなってもおかしゅうないけど、待たされるこっちゃ疲れてしゃあないわ」
「……ザジさん、確かに疲れてますしね」
 彼女は一人で太陽街を覆う結界を張っている。だからサン・ミゲルは安心、とジャンゴも滅多に帰らずにあちこち旅して回っているのだろうが、ある意味それは重荷にしかならない。
 信じるのと思いやらないのは全く違う。相手を信じているなら、なおさら心配して顔を出すぐらいの事はしてもいいと思う。
 待たされる立場というのは、待つ立場が考えるほど生易しいものではないのだ。酷い目にあっていないか、困っていないかと考えるだけで体調が崩せるかもしれない。
 それからしばらくザジは一人で愚痴っていたが、唐突に顔を上げた。
「……なんて、リタが一番言いたいんやないか?」
「え?」
 いきなり話を振られて、今考えていた事が全部どこかに吹っ飛んでしまった。
 よっぽどマヌケな顔をしていたのだろう。ザジはしばらく凝視してからけらけらと笑い出す。
「いやぁー、滅茶苦茶動揺しとったなぁ。『何で分かったんですか!?』って顔に書いてあるで?」
「ザジさん!」
 こっちはいきなり話を振られて困っているだけなのに、ザジは勝手に決め付けて笑い続けている。
 これはしばらく放っておいた方がいいかもと思い、リタは残り少ないジュースを全て飲み干した。

 夜になってもジャンゴは帰ってこない。
 倉庫番のスミレや部屋の管理人(ジャンゴは部屋を借りている立場なのだ)である棺桶屋に聞いた所、丸一日帰ってきてないのだそうだ。
 一日では帰ってこれないほどの遠い場所に行ったのか、それとも重大な手がかりを見つけて帰ることも考えずに後を追っているのか。
 行く先を知る者がいない以上、ジャンゴが今どうしているのかなど想像するしかない。だが想像すればするほど、悪い方向へと行ってしまうのだ。
 街のみんなは大丈夫だと信じているから、と思いたいものだが、どうしても「もう自分たちは必要ないのか」と思ってしまう。
 どうせしばらくは帰ってこないんだろうな、半ば諦めた気持ちでリタは布団を被った。
 最近、こうして一日を過ごすのが大変になっていく。
 結局私には誰もいないのね、と思いながらリタは眠りに落ちた。

 白い空間に、優雅なラインを描いたテーブルと二つの椅子。
 そのテーブルの上には茶菓子と、真っ白に統一されたティーセット。
「ごきげんよう、リタさん」
 ティーカップに紅茶を注ぎながら、赤いドレスの少女がにっこりと笑って自分を招く。
「一緒に、お茶でもいかがかしら」
 華やかに微笑まれ、リタも釣られて微笑んでしまう。
「…カーミラさん」
 名前も知らないはずなのに、口から彼女の名前がこぼれ出た。

 ほのかに湯気の立つ紅茶を一口飲むと、さわやかな味が広がって喉を潤した。香りもそんなにきつくなく、味も滑らかだ。
 素直に美味しいと告げると、お茶を入れたカーミラはにっこりと笑った。
「お気に召してくれて、嬉しいわ。……本当は、私好みの味なの」
「え? ……私もこの味が好きなんです」
 貧乏性というか何というか。リタは、どうしても紅茶の香りを楽しむ行為が好きになれなかった。
 きつい香りは味を半減させる。飲めればいいものに、どうして余計なものを付けたがるのか。そのセンスが分からなかった。
 だからカーミラの出した紅茶は、自分の好みほとんどそのままだった。
 味を邪魔しないシンプルな香りに、苦味よりも甘味を優先した味。例えが汚いが、がぶ飲みできる紅茶が好きなのだ。
「…もしかして、お茶菓子も貴女が好きなタイプかしら?」
 そう言ってそっと押し出された小皿に乗っているのは、プレーンのクッキー。チョコもジャムもついていないシンプルなものだ。
 正に好みその通りなので、リタは興奮してこくこくうなずく。
「形式的なのを楽しむよりも、飲んで食べて喋るのが好きで」
「そうです!」
「味とかも上品な物じゃなくて、純粋に甘い物や美味しいのが大好きで」
「そうそう! 上品な味ってのが分からないんですよ!」
「お嬢様っぽいって言われるのが実は好きじゃなくて」
「…言われた事自体あまりないんですけど、自分はそんなのとかけ離れてますし」
「気に入った相手にはとことん尽くすタイプで」
「そうするしか、愛情表現が示せませんし…」
「でも相手は全然気づいてなくて」
「鈍感ですから」
「たまにはこっちも見ろーって殴ってやりたくなる時があって」
「殴ったら、多分骨折れます……」
「……惚れた相手が、自分の身内しか見ていないからヤキモチ焼いたりして」

 そこまで言われて、リタもようやくカーミラの内心に気がついた。
 彼女も、ジャンゴのことばかり構うサバタに対して、ずっと辛い思いを抱いていたのだ。
『私を見て。私がいることを忘れないで』
 例えそう言っても、彼の目は同じ魂を持つ存在しか見ていない。過去に捕らわれて、自分には同じ魂の半身しかいないと思い込んでいる。
 神の気まぐれで、一つの魂を引き裂かれる形で生まれた双子。それゆえ、彼らは強く惹かれて行く。
 自分たちは、そんな引き裂かれた同じ魂に惹かれた同じ存在。ジャンゴとサバタが強く惹かれあうのなら、自分たちは強く共鳴しあうのだ。
 もしかしたら…、とリタは思う。

 もしかしたら、目の前にいるこの少女とは、遙か昔に一つの存在だったのかもしれない。

 ジャンゴとサバタが同じ魂を持って生まれたのと同じように、自分たちも同じ魂を受け継いだ姉妹だったのかもしれない。
 ただ意地の悪い『誰か』の手によって二つに分けられ、何も知らずに生まれただけ。

「私は伯爵にさらわれた」
「私は伯爵の手によってヴァンパイアにされた」
「ジャンゴさまに出会えた」
「サバタさまに出会えた」

「「幸せなのね、私たちは」」

 こうして強く共鳴し合えるもう一人の自分……

「優しい姉に会えてよかった」
「可愛い妹に会えてよかった」

 

 日差しがこぼれる。
「ん……」
 もう朝か…と思ってゆっくりと起き上がる。深呼吸すると、新鮮な空気が体中を満たした。
 朝が来る。
 それは一日の始まりだ。
 昨日までは、ただ毎日の動作を繰り返すだけのつらい一日の始まりだったが、今日からは少しは明るくなれる気がする。
 ほんの少しだけ、待つ余裕と勇気ができたから。

 いつか帰ってくる、と少しだけ信じられる。
 貴方たちが帰ってくる、と少しだけ感じられる。
 同じ魂を持って生まれた貴方たちを待てるのは、同じ魂を受け継ぐ私たちだと知っているから。

 いつか、帰ってきて欲しい。
 同じ魂を持つが故、同じ存在に惹かれた貴方たち。
 私たちはいつまでも待っている。同じ願いを抱きながら――。