全てを肯定しろとは言わない。
ただ己がいること自体は肯定しろ。
誰の言葉だっただろうか。
知らないうちに、ジャンゴの脳裏にこびりついている言葉だった。
「肯定、か」
つい口に出た言葉に、ダークは首をかしげた。
何度目かわからないダッシュと共に、ジャンゴは剣を横に薙ぐ。当然、ダークにダメージを与えられる事はなく、嘲笑と共に拳が飛んできた。
こっちの癖や思考を読んでいるかのようなそれは、危うい所を掠めていく。反射と慣れに頼って何とかかわすが、風圧までは避け切れなかった。
くらくらしそうになる頭を強引に覚醒させ、ジャンゴはダークの方をもう一度見やった。
茶色の髪が赤になってるのと、緑の目が黒くなっている以外、紛れもないリタそのもの。血錆の館で出会ってから、ずっと一緒だった少女そのもの。
こうなる前は色々と葛藤したものだが、いざこうなってみると何故か落ち着いている自分がいた。
(落ち着いている? 違う)
実際に目の前に、助けたいと思う相手がいるからだ。焦りや葛藤は、純粋な祈りを上回らない。
(助けたいんだ、ただ純粋に)
目の前の少女は、リタであってリタでないのだから。それを助けられる可能性があるのは、自分しかいないのだから。
だから、退かない。退けない。
「行くよ」
ただ短い言葉だけを吐き、ジャンゴは剣を握りなおした。
ダークもそんなジャンゴを見て、わざとらしく構えなおす。本来ならそんな事をしなくてもいいはずなのに、あえて合わせてくるのは、ジャンゴの頑張りをあざけるためだろう。
リタの顔でリタらしからぬ笑みを浮かべるのを見て、ジャンゴは冷や汗が出た。
ダークの侵食率が上がっている。このままでは、リタの意識は完全に消え去り、ただのダークの器となってしまう。
「……ケテ……」
ふと聞こえてきたかすかな声に、ジャンゴは危うく回避行動を忘れる所だった。
つい顔を上げてリタの顔を見てみるが、彼女は嘲りの笑みを消していない。まるでさっき口に出した言葉を否定するかのように、ただ笑みだけを浮かべている。
だが、確かにさっき、ジャンゴは聞いたような気がした。
助けて、という言葉を。
ダークではなく、リタ本人の言葉を。
今までリタは、誰かに向かって弱音を吐く事はなかった。誰かの弱音を聞いて許す事はあっても、自分自身が弱音を吐いて許す事はなかった。
それだけ彼女は強い女性だった。だが、同時に誰かに甘える事のできない、弱くて不器用な女性でもあった。
リタは、自分に似ているのかもしれない。
「大丈夫」
自分に言い聞かせるように、しっかりと口に出して言う。
「必ず、助けるから」
それは誓い。
誰にも犯すことの出来ない、純粋な祈りから生まれたもの。他の誰でもない、今目の前にいる少女へしか誓えない祈り。
しかし、いくら誓った所で、目の前にいるダークをどうにかする手を考えない限り、現状はいつまで経っても変わらない。
何か出し抜く方法やイカサマが思いつければいいのだが、あいにくジャンゴはそっちの悪知恵は働かない。よしんば働いた所で、ダークに通用するかどうか。
……と、ジャンゴはあることに気がついた。
(通用するかとかの問題じゃない……)
要は、リタが戻ってくればいいのだ。ダークを倒すのはその過程の事であり、ダークそのものを倒せない事はジャンゴがよく知っている。
倒せないのなら、攻撃が通じないのなら、方法は一つ。
ジャンゴは、ふっと身体の力を抜いた。
かつて、どういう原理かは解らないが、シャレルと戦ったアンデッド――アイアンアーマーは一人の人間として転生した。
転生した人間は、水を恐れ、太陽を恐れ、他人に無関心という、人とは遠い存在だった。それでもシャレルたちは彼を人間として迎え入れ、辛抱強く育てた。
生まれたての赤ん坊とも言える彼は、興味を示したものや疑問に思ったものは何でも聞いた。一般的なものから、哲学的なものまで。ありとあらゆる事を。
解決できなかった疑問に、ずっと考え込むのも稀ではなかった。それでも、翌日にはすっぱりと忘れていたので、考えるのをやめたと皆は思っていたのだが。
彼は特に心に関しての疑問に興味を示していた。魂を受け継ぐという事、不死者と生者の違い、親になるという事。その疑問は、ジャンゴでも答えることが出来なかった。
それでも一応、答えらしいのを言っておくと、「そうか」と言って彼は黙り込んだ。納得したのかは、わからない。
彼はダークにとって便利な存在だった。
監視官――レジセイアであるダークにとって、彼の視点は自分の視点に近く、またその身体は自分やソルが成し得なかった奇跡の結晶である。
だから彼は目覚めた。フート=レジセイアとして。
「……来たか」
扉を開けると、そこはだだっ広い空間だった。
足元は固い地面が広がっているのだが、天井と壁が見えず、不安を掻き立てさせる。薄暗いので見えないだけなのかもしれないが。
ぱちん、と指が鳴る音がこだますると、明かりがついて目の前にいる少年を浮かび上がらせた。
赤とピンクのオッドアイ。黒尽くめの黒い鎧の少年。
「フート……ダーク?」
シャレルは目の前の少年を見て、首をかしげてしまった。見た目は確かにフートなのだが、何かが違う。どこか、神々しいような禍々しいようなものが……。
よく見ていると、その違和感の正体がようやく解った。
ふわり
「え!?」
羽が一枚、二枚……と舞っているのである。
この暗い空間で白い羽。それはまるで、今から神が降臨するといわんばかりのシチュエーションだった。……超越者、という点から見れば、ダークも神なのだろうが。
そして黒い少年の後ろに、ゆらりと白い影が現れる。大げさなほどに神々しい翼を広げ、少年を守るように現れたその存在は、確かに神のイメージそのままだった。
だが、そのイメージから発せられる気配は――空虚。
感情も揺らぎもなく、かといって機械ではない。本当に何もないと思わせるほどの、がらんどうな偶像。
シャレルはすぐに察した。この神の偶像こそが、ダークそのもの――レジセイアだという事に。
……りん……
どこかから、涼やかな鈴の音が聞こえる。
あわせて、謡う声も聞こえてくる。
主は来たれり、と。
神は舞い降りた、と。
――正しきかな 運命の正しきかな
――美しきかな 生の美しきかな
――聖なるかな 死の聖なるかな
――祝福あれかし 神舞い降りたこの地に
――祝福あれかし 永久(とわ)なる平穏と共に
『 ――神(フート=レジセイア) ここに 来たれり―― 』
戦いに似つかわしくないほど美しく、そして聖なる静寂を打ち破ったのは、フート=レジセイアが指を鳴らす音だった。
音にあわせて虚空から現れたのは、フート愛用の斧――ただしサイズは100倍以上の代物――。それがくるくると何回か回転してから、シャレルめがけてまっすぐ落ちてくる。
その場を大きく離れることでかわすが、斧は一つだけではなかった。雨あられ、というわけではないが、大きさが半端ではないので、逃げるのにも苦労する。
ふと刃に見える文字は、「黄昏の斧(アックス・オブ・ダスク)」。いかにもダークらしいセンスに、つい苦笑がこぼれそうになった。
降り注ぐ斧をぎりぎりのラインでかわしながら、シャレルは立っているだけのフート=レジセイアの元へと突っ込んでいく。
エフェス=レジセイアは巨体で攻撃できる場所が多かったが、フート=レジセイアは狙える場所が極端に少なくなっている。神の偶像は幻めいていて、攻撃してもダメージはなさそうだ。
フートには悪いが、その身体を断てばダークも大きなダメージを食らうはず。そう思って剣を大きく振りかぶるが。
「甘イな」
異質な声と共に、剣が斧で阻まれる。
彼の動きに内心驚きを隠せなかったが、一瞬の判断で剣を引き寄せられたのは正にシャレルの戦闘センスの成せる技だろう。結果、彼女は斧の一閃で身体を両断されずに済んだ。
一歩退くと、フート=レジセイアはその動きを正確に捕捉しながら次の攻撃に移る。手を大きく上げたかと思うと、勢いよく下に向かって振る。
今度動いたのは偶像だった。ばっと翼で全体を覆ったかと思うと、その羽根が弾けるように散っていく。
見た目は雪が振るかのように幻想的な光景だが、その羽根一枚一枚は鋭いナイフであり、呪符だった。敵意を持って、それらはすべてシャレルに降り注ぐ。
「うわわわわわわっっ!!」
慌てて剣で切り払っていくが、幾つかは剣を逃れて確実にシャレルの身体を傷つけていった。
(このままじゃヤバイ!?)
瞬時にそう悟った以上、このまま無駄な行動をし続けるつもりはない。精神を集中させ、ある状態に変化するようにと願う。
数秒後、羽根の嵐の中から、マリオネットメサイアが飛び出してきた。