最下層へと続くエレベーターに乗り、そのまままっすぐ地の底へと向かう。
敵の攻撃を予想していたが、予想は大きく外れて何の襲撃もなかった。アースクレイドルはあくまで人工冬眠施設ゆえ、トラップなどは全然ない。
ここまで敵の攻撃がなさ過ぎると言うのは、逆にシャレルを誘っているとしか思えない。
では、何故?
答えは簡単。ダークの器となったフートと彼女を会わせる為だ。
「最悪のパターンを考えておかないと……」
おてんこさまは自分が帰してしまった。セラフィックメイデンになることは出来ない以上、自力でフートをダークから解放しなくてはならない。ブルーティカを退けて、だ。
予想以上の難易度の高さに、シャレルは呆れてしまった。一体どんな戦略を立てれば、この作戦は成功すると言うのだろうか。
神すらさじを投げそうなこの展開の中、シャレルは地の底へとたどり着いた。
ちーんと軽い音が鳴って、扉が開く。敵の攻撃を警戒しながらも一歩進むと、ひんやりとした空気がシャレルを歓迎した。地の底は暖かいはずだが、ここはわざと寒く設定してあるようだ。
白亜の床はブーツに踏まれ、主であるシャレルをぼんやりと映す。何の材質を使っているのか解らないが、壁自体などが薄く発光しているので暗くはなかった。
広さはサン・ミゲルの商店街がすっぽりと入るぐらい。降りる前に見たマップを信じるとなると、ここが中枢装置そのものであり、冬眠施設なのだから、広くて当然だろう。
ここが、アースクレイドルの最深部。
ガン・デル・ソルを握ったまま、シャレルは一歩一歩落ち着いた足取りで歩く。どうせここまで誘ってきた以上、敵は現れないと見越してのことだった。
かつて旧世界の人々が眠っていたのであろうカプセルの群れの中を歩いていると、終点がゆっくりと見えてくる。光すら届かない闇の中、そこで蠢いているのは。
「はあい、いらっしゃい」
予想通りの声の歓迎を受け、シャレルの歯がぎしりと鳴った。
声の反響などを考えるに、あと百メートル。歩くのも億劫になって、そのまま走り出した。
昔話をしましょう。
かつて太陽も闇も知らなかった頃の時代の話。
人々は恩恵も恐怖も忘れ、全てを知り尽くしたかのように生きてきたわ。だけど、所詮は井の中の蛙だった。
でも、誰一人としてそれに気づかなかったの。だって忠告すべき神が、人間と言う存在に何の興味も持っていなかったから。
人々は自らの意思でそれを知るしかなかったわ。
「破滅」の噂は、自分たちが卑小な存在だと気づくためのきっかけに過ぎない。噂が現実になる事を知っていた人間たちは、やがてそれをどうにかするためにいくつもの手段を講じたわ。
ヒトという形を保ったまま、次の段階に押し上げるか。
殻に閉じこもって、全てをやり直せるきっかけを得るまで我慢するか。
それとも、さっさと諦めて転生というのに全てを託すか。
別の星に逃げてしまうか。
ふふ、こういう時になると知恵が出てくるのが人間よね。極限状態になると、生き延びるためなら何でもする、醜いけれど、正しい姿よ。胸を張れとは言わないけど。
話がずれたかしら。
とにかく、様々な手段が出ては消える中、やがて人々は一つの意見を極めていこうとしたの。
『ヒトの形を保ったまま、進化する』
進化。
かつてこの星に命が生まれたように。サルが人間へと変わっていったように。永い時を得て成しえた事を、たった一瞬でやり遂げようと考え始めたのよ。
無謀な話よね。
でもそのくらいやらなければ、生き延びることが出来ないと思い始めていたんだわ。
その頃になると、もう自分だけでも生き延びたいと思う人間たちによって、自ら破滅への道を歩みかけていたんだもの。傑作よね、自分たちが噂していた「破滅」になるなんて。
世界は地上と地中に分かれ、「破滅」へと突き進んでいた。もう時間がなかったわ。人間は例外なくなりふり構わなくなり、大地は死体で溢れた。
進化の針を最初に探し出したのは、地上にいた人たち。
彼らはようやく太陽と月がそこにあることに気づき、二つの星の力を得ようとしたの。それが太陽仔と月光仔の始まり。
大地の子……地霊仔がいなければ、太陽仔も月光仔もいなかったわ。太陽と月があって、初めて大地がある。逆に言えば、大地がなければ太陽と月があっても意味がないの。
地球は太陽と月に意味を与えたわ。私たちが生まれる遥か以前から、ずっと。
生まれた太陽仔と月光仔は、荒れ果てた運命に立ち向かうには充分の素材だった。二つの星の力を持って、芽吹く命を守って見せたの。
二つのサンプルが誕生した頃、ようやく地中にいた人たちも進化の針を見つけ出した。
地中にいたせいかしら。彼らは太陽と月に価値を求めなかった。大地を生きる術として、極限までに「生きる」事のための存在が生み出されたわ。
食べ物も飲み物もいらない、そんな人間。
荒れ果てて、芽吹く力を失った大地を生きる人間。命がなくても生きていける人間。それが地中の人々。
でもそんな生物なんて、生物じゃない。
命を捨てた命あるもの。矛盾した生物。生物をやめてしまった存在。
いつしか彼らはこう呼ばれるようになったわ。
イモータル(反生命種)と――。
サン・ミゲルに到着したジャンゴが道具屋に飛び込んだのと同時に、リタがゆっくりと目を開けた。
「リタ!」
ジャンゴの声に導かれるかのように、ゆらりと彼女は起き上がる。
「無茶しちゃ……」
「いいえ。私の意識が残っている間に、連れて行くべき場所があります」
予想以上にはっきりとした声で、リタは淡々と告げた。そのままベッドから出て、ジャンゴの手を取る。
柔らかなその感触にほんのちょっとどきりとしながらも、ジャンゴは引っ張られるままにまた外へと出た。
自分の手を握るリタの手は力強い。前までずっと弱々しかったのが嘘のようだ。
正直、知り合いに見られたらからかわれる事請け合いだが、今はまだ午前中ということもあり、幸い誰にも見られることはなかった。
手を握られたままついた場所は、太陽樹だった。シャレルたちとリンクするために必要な樹は、今は穏やかに葉を揺らしているだけである。
「触ってみてください」
進められるままに、太陽樹に手を触れる。
そして、感じた。
ざわ……
葉の揺らめきやせせらぎではない。確かなざわめきが、感じられた。
ジャンゴは感受性が高いと言う方ではないが、それでもそのざわめきが何なのかがすぐに解る。
これは、人が生み出すざわめきだ。
「精霊ってどういう存在だと思います?」
リタの方を向くと、彼女は全く違う事を聞いてきた。
「おてんこさまを始めとして、この世界には精霊があふれていると聞きます。万物全てに神が宿っている……そう見る人もいます。
ですが、その精霊とは何なのでしょうか。神とは、何を指すのでしょうか」
何を言いたいのかが解らないので、適当に相槌を打つ。
ジャンゴはそういうことを考えた事はなかった。太陽の精霊であるおてんこさまが近くにいたのだが、スピリチュアルな面について考える余裕がなかったのだ。
自分の周りにあるのは、そのスピリチュアルなものばかりだと言うのに。
「何で、急にそんな事を?」
「解ったんです。この世界の仕組みが。未だに旧世界のヒトが残る、この世界の仕組みが」
「え?」
もう一度太陽樹に手を触れてみて、人のざわめきを感じてみる。
……そして、悟った。
「精霊は、旧世界のヒトの残留思念です。太陽樹には、その思念がいくつも宿っているんです」
やっぱり。
人の意思は、時を越えることがある。親から子へ、子から孫へ、そうやって長い間遥か昔の思念を引き継いでいき続けていた太陽仔の末裔であるジャンゴには、よく解る。
太陽樹が未来へとリンクできる理由もそれだ。人の意思が時を越えられるから、それを元にリンクすることが出来る。ソルジャンゴへの合身も、残留思念からなるものだろう。
ダークは、それを逆手に取った。人の意志の捕らえる事で、時間を上手く捕らえることに成功したのだ。
「今私にはダークの思念があります。そして私の思念も私の中にあります。
いくつもの思念が一つのものに宿るのは、イレギュラーな事であり、暴走を引き起こしかねません」
「でも」
今は大丈夫そうじゃないか、と言おうとしたら、リタは苦笑いをした。
「私が平気に見えますか?」
悪いとは思うが、首を横に振る。ダークの思念に捕らわれずに、よくここまで頑張ったと思う。
「今こうしているのは、おそらくダークもそのことをジャンゴさまに伝えるべきだと思っているからでしょう。この世界は、古き血筋から成り立っている世界。新たな血脈は、まだ目覚めていない世界。
ですが未来では新たな血筋――アドバンスド・チルドレンが目覚めている世界。それはダークに取って好都合であり、不都合でもある世界です。
だからこうして貴方に古き世界を知らせ、新たな世界をふさ……ごう……と……ぅぅ……ぁあああ」
リタの調子がおかしくなってきた。ダークがこれ以上喋らせまいと、その意識を抑えようとしているのだろう。
糸が切れた人形のように崩れ落ちるリタを支え、ジャンゴは急いで道具屋へと戻った。
心の中で、誰か助けてほしいと思いながら。
昔話をしましょう。
地中の人と地上の人は争いを始めたわ。この世界を手中に収める権利を賭けて。
その戦いで、一番力を失ったのは他でもない。大地の人々。
仕方ないわよね。力を与えてくれる大地が、戦いによって消耗していったんだから。
大地の力を持つ人々は徐々に死に、やがてはその血をほぼ滅ぼされたの。よりにもよって、地中の人と地上の人、両方によってよ。
皮肉よね。自分たちに力を与えてくれた存在を、一番最初に彼らは抹消した。
薄いながらもその血を持った人々は、やがて戦いを恐れて遠い地へと消えた。そして、ただ穏やかに時の流れの果てに消えた。
戦いは、その間もずっと続いていたわ。
大地の人々を滅ぼした彼らの次の矛先は、月の力を持つ人々。
どちらにしても、月の力は力を与えてくれる存在だった。月の力を与えたのは地上の人だったけど、何の因果か、地中の人々にとっても力となっていたのよ。
彼らは我先にと、その力を得ようと月の人々を奪い始めた。様々な方法でね。
そして、大地の人々と同じように、月の人々も破滅への道を歩んでいってしまった。
結局、破滅は人々が招き寄せ、今こうして人々は滅びと紙一重の中で生きている。古き意志のままで戦う人々のせいによってね。
私の話はこれでおしまい。
……それから先の話は、貴女がよく知っているわよね。
さあ、始めましょう。
古い意志を消し去り、新たな世界へと繋がるための戦いを。