くるしい、つらい。
こっちをみないで、かまわないで。
たすけて、たすけて、たすけてたすけてたすけてタスケテタスケテタスケテタスケテ
「ふーっ、ふーっ……」
荒い息をつきながら、フートはふらふらと歩く。
エフェスと別れ、もうどのくらい経ったのだろう。時間を数える感覚すら、とうの昔に消えた。
ただあるのは、自分の身体の中で荒れ狂う暗く、黒い感情。死と破滅を最もとする、生命種とは全く違った意識だった。
いつの間にか手に持っていた斧は、血がこびりついていて取れない。もう猫や小動物は、何匹殺したかわからないくらいだ。このまま行けば人すら殺すだろう。
だから、もう人里離れた暗い森の中を歩いている。人を見れば殺したいと思い、町並みを見れば壊そうと手が動く。この感情を持ったままでは、おちおち裏街道も歩けない。
幸い、ウサギなどの野生の動物がたくさん生息しているので、食事には事欠かない。フート好みの血の滴るレア物がいつでも食べられるのだ。
一体いつまで逃げればいいのか解らないが、少なくとも今は逃げ続けないといけない。気を抜けばすぐに闇は侵食してくるのだ。
(エフェスの感覚も途切れた…)
あの赤い鎧の少年との繋がりが断たれ、それによって侵食の速度は跳ね上がっている。もうエフェスは、自分の前に姿を現さないだろう。
と。
絡まった草に足を取られ、大きく転んでしまった。
「うわっ!」
疲れもあって、ばったりと倒れてしまう。草であちこち切ったようだが、今のフートには関係ないことだ。
――ずぐん
鼓動音。
(ダメだ……!)
硬く目を閉じて、その音に抗う。地面を強く握り締め、歯を食いしばることで意識を保った。
やがて、鼓動音は小さくなり、消える。完全に消えたのを見計らって、フートは気を抜かずに立ち上がった。辺りを確認してから、ゆっくりと歩き出す。
森の出口はまだ見えない。
道すがら、シャレルはブリュンヒルデの話を聞いた。ダークに従わないイモータル・ニーベルンゲン。その彼に従う女従者ワルキューレ。ブリュンヒルデは、そのワルキューレの中のトップらしい。
……そして、その冥の一族の裏切り者の話。
「かつてその男は、ダークの存在が知れ渡り始めた頃に、ニーベルンゲン様と争ったらしいの。『このような場所でいつまでも暮らすつもりか!』ってね。
ニーベルンゲン様はダークに従う理由がなかったから、彼を追放せざるを得なかった。かつては仲の良かった男をよ? それからはずっと、私たちは彼の存在を一つの戒めとして忘れずに生きてきたわ」
「後を追って倒そうとは思わなかったのかい?」
「はぐれイモータルが一人出たところで、太陽仔にあっさり浄化されるのがオチよ。下手に私たちが表に出るほうが問題だってニーベルンゲン様は言ってたわ。
……でも、事ははるかに予想外の方に転がっていった。その裏切り者は、うまく生き延びて今暗黒仔候補の一人としてあがっているらしいのよ」
暗黒仔はダークの側近とも言える存在だ。ダークに従うイモータルなら、こぞってその座を欲しがるだろう。
と言う事は、今まで戦ってきたメナソルやオヴォミナムは暗黒仔ではなかったということだ。彼らはあくまで候補。暗黒仔そのものではない。
「別に暗黒仔だからどうだ、ってわけじゃないと思うけどね…」
それでもイモータルは、その地位に魅せられて争いあうようだ。全く馬鹿馬鹿しいとは思うが、そこにチャンスはある。
残り何人いるかは解らないが、相手の足を引っ張り合っているうちに倒せるイモータルは倒した方がいい。まずは、ブリュンヒルデの言う「裏切り者」からだろうか。
「とりあえず、相手の居場所とか解らない?」
シャレルの問いに、ブリュンヒルデは肩をすくめた。
「解ればとっとと行ってるわよ。いくら無関心を貫いていたとはいえ、あいつの行方は常に追っていた。それなのに、暗黒仔候補に挙がっていたって事自体、最近判明した事なんだから」
「よほど厳重な警備を敷いている、と言う事か」
今まで黙っていたおてんこさまが、ようやく口を開いた。どうやら、少しは彼女の事を信じるようになったようだ。
リッキーもブリュンヒルデの言葉を聞いて、うーんとうなる。長い時を生きてきた彼も「冥の一族」の事はあまり知らない。はぐれイモータルとなったその者に対しての情報など皆無だ。
一体これだけの情報で、どうやって相手の居場所を突き止めろというのか。シャレルは前途多難っぷりにあきれ果ててしまった。
(姉様が情報を掴んでくれればいいんだけどな~)
そんな事をふと思うが、進んで協力してくれるような従姉ではないということを思い出して、ため息の度合いをレベルアップさせてしまった。
結局、相手に動きが出るまで待つしかないようだ。そう結論付けていると。
「……あの『迷い子』を、どうにかして捕まえられんだろうか」
おてんこさまの一言に、ぴんと何かがひらめいた気がした。
「そうだよ! エフェスを見つけ出して、あの子にも力を貸してもらえばいいんだ!」
エフェスをあまり知らないリッキーとブリュンヒルデが首を傾げるが、シャレルは少しだけ希望が出てきたような気がした。
最初戦いを挑んできた子だが、今なら話せば協力してくれるかもしれない。本当はいい子だと頭から信じたわけではないが、悪い子だとも思っていない。
それに。
エフェスなら、何となく協力してくれるとわかるのだ。どこか儚げな印象を持つあの子は、誰かによく似ていたから。
でも彼も居場所がわからないので、結局サン・ミゲルに一度帰ってみてから考え直そうと言う事になった。
(サン・ミゲル、どうなってるだろ)
襲撃されてから一度も帰っていない故郷に、シャレルは思いをはせた。
「なんだって!? リタが消えた!?」
兄と共にサン・ミゲルに帰ってきたジャンゴは、スミスの言葉に驚いてしまった。
道具屋がいつまでも開かれない事を不審に思ったスミスは、街中を歩いてリタの行方を追っていた。それで、彼女が大怪我を負っていた事を知ったのだ。
すぐに彼女が手当てを受けている病院にスミレと共に行き、しばらく彼女の看病をしていた。だが、ジャンゴが帰ってくるしばらく前に、「もう怪我は治ったから」と言って姿を消したのだ。
リタは重傷だった。でも、姿を消す前はもうその傷は完治していたという。
「完治って…」
重傷ぶりを知っていたジャンゴが首を傾げる。ダーインを浄化するために自分の腹を刺したリタは、一歩間違えれば死んでいた。それなのに、一週間もかけずに完治するとは…。
サバタとヴァナルガンドの事でどたばたしていたので、リタの事はあまり目を向けていられなかった。その自分を思いやってのやせ我慢だとしても、何故行方をくらましたのか。
解らない。
「彼女に最初から問題があったのか、それとも俺たちがいない間に問題があったのか。どっちかだな」
ようやくいつものペースを取り戻したサバタが、ジャンゴの隣で考え込む。それを聞いて、ジャンゴも最近のリタのことを思い出そうとする。
最近のリタは、この事件の影響ですっかり弱っていた。おてんこさまやガン・デル・ソルが未来に行ったことを知らなかったので、次は誰が、一体何がと心配するあまり倒れたこともあった。
そして事の真相が徐々に明らかになっていくと、ジャンゴはそれにかかりきりになってしまったので、リタの様子を見に行く事が出来なかった。その間に、彼女はダーインに取り付かれた。
ダーインが何と言ってリタに取り付いたのかは解らない。だが、あれだけナルシスト性が高く、策略好きなダーインの事。上手い事彼女を押さえつけたに違いない。
だが、そのダーインもリタ自身の手で浄化された。もしかして、ダーインに取り付かれたことに対して責任を感じているのだろうか。
その時、ジャンゴはダーインが言った言葉を思い出した。
――僕も所詮は捨て駒…。しかも二回も同じような使い捨てだ……。まさに道化だな……。僕の君への想いすら、ダークは知っていたらしい……
「二回も同じような使い捨て」。
その言葉がやけに引っかかる。
一回目は紛れもなく、ヨルムンガンド復活の事だろう。なら二回目は、サバタがもう一度ヴァナルガンドに戻ることを指していたのだろうか。
だがダーインは二度目のヴァナルガンドとの戦いを、「ダークの企みの一つ」と言っていた。という事は、ダーインはヴァナルガンドの事を知らなかったことになる。
彼の言う「二回目」は一体なんだったのか。あの口ぶりからするに、復活からその「二回目」の駒にされていたようだが。
(ダーインがリタに取り付くことを解っていた人物……)
一番に浮かんだ答えに、ジャンゴの顔に冷や汗が流れた。
浄化されたはずの人物が蘇った事を知っている者は、最低二人いる。蘇った当人と、蘇らせた者だ。そして、その蘇らせた者は。
――銀河意思ダーク
最悪の答えに、ジャンゴは震えそうになる。もしリタが出て行った原因に、ダークが関係しているとしたら。そしてリタがそれに気づいたとしたら。
自分は、リタと戦うことになるかもしれない。
何故かジャンゴは、サバタと戦うと解った時よりも、その事に辛く感じた。
たすけて
最初に感じたものはそれだった。
欠けたものの集まりである自分は、それが何なのかを悟るのにしばらく時間がかかった。
でも、それが解ったところで、自分はどうすればいいのか解らなかった。彼は、どう動いたのだろうか。
自分の行動原理は、全て彼にあった。なぜなら、自分は彼の欠けたものの集まり。源である彼のコピーとも言える存在だからだ。
でも、その彼に『自分の意志で動け』と言われた。もう、何が何だか解らない。自分は、何をすればいいのか。何が、正しいのか。
解らないままに動き、どうすればいいのかを求めてさ迷った。そして、今ここにいる。
ここは、暗い。
そして、冷たい。
でも、自分がいた場所でもある。
――もどりたくない
そんな言葉が浮かんだ。
一瞬、どういう意味を指す言葉かわからなかったが、それが解った時、本当に嫌だと心の底から思えた。
でも捕まってしまった以上、もう出て行くことは出来ない。ここは自分がいた場所。自分を産んだ者のかたまりそのもの。
ああ、そうか。
たすけて、とはこういう時に言うんだね。
だが、その言葉を言おうとした瞬間、意識は闇に飲まれた。
「目覚めい、エフェス=レジセイア!」