ジャンゴは大人しい少年だ。
父や母が生きていた時から、ジャンゴは先頭に立って行動したりしないものの、いざと言うときには頼られた。
普段は控えめで、大人の言うことを聞く『いい子』だと思われがちだが、一度こうと決めたら誰相手でも引かない頑固なところもあった。
人の輪の中で、明るい笑顔を絶やさない少年。
それがジャンゴを知る人の、ジャンゴのイメージだった。
その笑顔の裏で、常に感情を押し殺し、自分の気持ちを決して出さない事を知っている者は少ない。
小さな体の中に、果てしない哀しみを背負い続けていることを知る者は、更に少数だ。
――僕は僕を殺さなくてはいけない。皆の為に。
ジャンゴの意識はすぐに回復した。わき腹の痛みも、もうすでにない。誰かが回復したのだろうか。
今まで隙だらけだったジャンゴに、敵兵が後ろから大きく獲物を振るおうとしている。
ジャンゴはトランスの魔法を使った。あの部屋では変化しなかった身体は、あっという間にアンデッドの身体へと変化する。
グラムを無造作に横に振る。
次の瞬間、敵兵が15個の肉片へと変化した。
肉塊になったモノを見ることもなく、ジャンゴは元に戻り、右手を横へかざす。
指と指の間から、十字架に酷似した光の剣が現れる。重さを感じないのか、ナイフを投げるような持ち方でジャンゴはそれを握った。
投げる。
光の剣は敵も味方も貫き、ファイアーランド本陣まで飛んでいった。
戦場から少し離れた所で、ゼットがその様子を見ていた。
「ようやく覚醒したね、太陽少年」
君の覚醒は色々とデビルチルドレンとかとは違うからなぁ、とゼットは肩をコキコキ鳴らした。
孤独の中で、微かに信じていたものに裏切られる。
そのくらいの絶望と哀しみがなければ、闇は光に抑えられ続けていただろう。
だからゼットは、ジャンゴを洗脳するなとイシスに忠言したのだ。マリンカリンをかければ、ジャンゴは忠実なしもべになる。だが、それでは孤独を感じられないのだ。
ゼットの読み通り、連日の戦闘を一人でこなしてきたことでジャンゴは精神的に追い詰められていた。そして、刹那と戦う羽目になり、リタに撃たれたことで、闇は光を抑えた。
ただ淡々と人の死を撒き散らす殺意の少年。
血塗られながらも全ての人の生を願う慈愛の少年。
それがあのジャンゴなのだ。
ジャンゴの暴れっぷりを見ながら、ゼットはぽつりと告げる。
「これが君の試練だ」
その目には、言ってやりたくても言ってあげられないもどかしさがあった。
「……セッちゃんたちは、これを乗り越えたよ。君も、頑張ってね」
ジャンゴのその戦い方は、あっという間に戦場全体に知れ渡った。ファイアーランド軍もサンドランド軍も、その彼の戦い方に怖気だった。
敵も味方もなく、ただ目の前にある者を殺す少年。その恐怖はサンドランド軍の進行を止めた。
本当にあれがメシアの戦い方なのか。確かに、目の前に出なければ殺されないし、命乞いをすれば静かに去ってくれる。だが、その目に慈悲はなかった。
差別することなく、あの少年はただ無造作に自分たちを肉塊に変え、光の剣を飛ばしてくる。その姿は、メシアと言うより死神に思えた。
ジャンゴはそんな味方の動揺などどこ吹く風で、どんどん死体や肉塊を大量生産していく。
走ることなく、ただまっすぐにファイアーランド軍本陣まで歩いていく。その姿は血で真っ赤になり、真紅のマフラーが流血の赤に染め上げられた。
その目だけがらんらんと輝き、敵を探して回る。目の色もオニキスブラックでもないし、黒でもない。
光を飲み込んだ、深淵に近い漆黒だった。
将来と未来はまた合流した。
「ジャンゴの戦い方が変だって!?」
幸い、ジャンゴがいる場所から遠く離れていた将来は光の剣の犠牲になることはなかった。その代わり、彼の変貌振りも知ることがなかったが。
だがベールに乗って戦場を飛んで回っていた彼女は、遠くからジャンゴの戦い方の変化を察知したのだ。そして刹那にそれを話した後、将来にも告げたのだ。
「刹那は?」
「今ジャンゴを追ってるわ。走ってるから、たぶん先回りできると思う」
「俺も行った方がいいかな?」
「…いえ。将来君はそのまま敵の本陣まで行って! 先に敵の本陣を叩けば、ジャンゴ君を止められるかもしれない」
ベールのアドバイスにうなずき、将来はクレイに乗って本陣まで走り始めた。
未来とベールはそのまま飛び、リタの姿を探し始める。ジャンゴの変化には、必ず彼女が関わっている。未来はそう確信していた。
ジャンゴを元に戻すには、彼女がいないとどうにもならない。
空を飛んで抵抗してくるデビルたちをキング・ストームで落としながら、地表を探すこと数分。デビルだらけの戦場に、一つの違和感を見つけた。
「ベール、降りて!」
未来の指示通りに、その違和感のある場所へ降り立つベール。さっそくサンドランド軍のゴーレムが迫ってくるが、未来がコールしたヒポグリフがすべて薙ぎ払う。
「リタ!」
服装が変わっていても、髪型が変わっていないので未来にはすぐに分かった。未来は声をかけて肩を叩く。
リタがくるりと振り向く時、未来は何故か嫌な予感がして後ろへと飛んだ。
裏拳がさっきまで未来のいた場所を薙いだ。
「リタ!? どうしたのよ!」
「あら、未来さん。悪いんですけど、今は戦争中。……死にな!」
おらぁっと掛け声をかけて、今度は鋭いジャブ。未来はしゃがむことでかわす。拳が空を切ったとき、ベールはリタの周りの匂いが特別なものだと気づいた。
「未来! 彼女にはマリンカリンがかかってるわ!」
「何ですって!?」
魅惑魔法が彼女を狂わせているというなら、ジャンゴの変貌にも納得がいく。おそらくイシスが彼女を使って、ジャンゴを“変化”させたのだろう。
リタがこの魔法にかかっているという事は、サン・ミゲルではこういう魔法に対する耐性がないようだ。未来は慌ててソーマを取り出す。
「ベール! リタを取り押さえて!」
ベールが巨体でリタを押さえ込む。口が開いた隙を狙って、未来はソーマを流し込んだ。
いきなり飲み物を口に流し込まれてリタはしばらくげほげほと咳き込むが、やがて焦点のあった目で未来を見つめ返した。
「……未来さん?」
意識を取り戻したらしい。きょろきょろと辺りを見回して、戦争の有様に絶句する。
「未来さん、これって!?」
「詳しく説明している暇はないわ。とにかく今はベールに乗って! ……ベール、お願いね」
瞬時に行く場所を察知したベールはこくりとうなずく。まだ困惑気味のリタを乗せ、ベールはファイアーランド陣へと飛んだ。
ファイアーランド軍本陣。
ただ無心に目の前にいる敵意ある者を惨殺してきたジャンゴは、ようやくそこまでたどり着いた。
ジャンゴの姿を見て、アルニカがふらふらと彼の元へ行こうとするが。
「近寄っちゃ駄目よ!」
ドゥネイルが彼女を体当たりでどかし、ドゥラスロールがファイアーブレスでジャンゴを弾く。
ジャンゴに近寄れなかったことでアルニカは二人をにらみつけるが、ふらりと立ち上がるジャンゴを見て顔を青ざめさせた。
ドゥラスロールの全力をこめたファイアーブレスは、ジャンゴの服すら焼いていなかった。
「な、なんやアレは!? アレが噂の太陽将軍か!?」
初めて見る死神のようなジャンゴを見て、マモンが腰を抜かす。そのマモンを見て、ジャンゴは右手に光の剣を生み出した。
ジャンゴが投げた光の剣は、マモンの前に立ったフェンリルの身体にほとんど吸い込まれた。
「ぐぅっ……!」
さすがの歴戦の勇士もこの攻撃はきつかったらしい。傷を負った場所を押さえながら膝をつく。そのフェンリルをよけ、ジャンゴは改めてマモンに狙いを定める。
黒ジャンゴとなった彼がグラムが振りかざそうとするその時。
「クール!」
刹那が間一髪で間に合った。クールのマハラギで黒ジャンゴの足は止められ、その隙を見てドゥネイルがフェンリルを回復する。
「ドゥラスロールだったか!? ファイアーブレスを!」
「え? あ、分かった!」
刹那の指示で、ドゥラスロールはもう一度ファイアーブレスを撃つ。それに合わせて、クールもファイアーブレスを撃った。
Wファイアーブレスはさすがに食らうつもりはないらしい。黒ジャンゴはその場を大きく離れてかわす。それを見て、刹那は黒ジャンゴの着地地点を予想して飛び込んだ。
その顔に一発パンチを食らわそうとする刹那。その時黒ジャンゴの手が動いた。
一瞬の閃光。
刹那の右腕が飛んだ。
「ぁぁっっ!!」
悲鳴は口の中ではじける。黒ジャンゴの右腕が動くのを見て慌てて引っ込めたのだが、間に合わなかった右腕が犠牲になった。
その勢いで吹っ飛ばされる刹那に、黒ジャンゴは止めを刺すためもう一度剣を構える。
剣が閃き、何かを切る手ごたえを黒ジャンゴは感じた。
切れたのは、メッシュが入った羽だった。
いつの間にか、アルニカが刹那と黒ジャンゴの間に割って入っていた。アルニカが右手を突き出すと、ウロボロスが黒ジャンゴを襲う。
腕を動かす前に締め付けられ、黒ジャンゴは剣を振りかざすことが出来なくなった。その隙を狙い、アルニカは黒ジャンゴを取り押さえる。
「どうするつもりだ!?」
右腕を切り落とされて悶絶している刹那を看ていたクールが、アルニカの方を見る。ウロボロスを戻して自分の力を放出しながら、アルニカは何とか口を開く。
「私が……、ジャンゴを抑える!」
「無茶よあんた!!」
思わずドゥネイルが突っ込んでしまう。が、アルニカの顔は真剣だった。
「ジャンゴは私を助けてくれた! だから、今度は私が彼を助ける!!
これ以上彼を悲しませたくない!!」
ようやく分かった。どうして、あの時ジャンゴが自分を拒絶したのか。
自分のことが嫌いになったわけではない。好きだから自分を拒絶した。過保護であり続ける事は自分を追い詰めることを知っていたから。
ジャンゴは人形ではない。生きた人間だ。だから喜びもするし悲しみもする。怒る事だってある。他人のすることで心を痛めることもある。
それなのに、自分はジャンゴを人形のようにただただ抱きしめたままで、誰にも渡そうとはしなかった。だから彼は怒ったのだ。自分は人形じゃないと。
ジャンゴの幸せはジャンゴが決める。自分の勝手で決めてはいけなかったのだ。
今のジャンゴは光の力が強い。だから、自分の力で何とか抑えられると思った。
……いや、抑えなければここにいる者全員が危ない。それだけは避けなければいけなかった。
腕が動かないように、何とか動きを封じる。赤ジャンゴに戻った彼の力とアルニカの力がぶつかり合い、余波があちこちに出始めた。
本当に笑うことを忘れたのはいつからだろう。
笑うことが罪に思えて、笑うことをやめてしまった。
だって、僕はまだ幸せなほうなんだもの。我慢しなくちゃ。
皆のためにも我慢しなくちゃ。
僕は僕を殺さなければいけない。皆に笑顔を与えるために。
――人形にならなくちゃいけないんだ。
ジャンゴとアルニカの激突は近くまで来たベールとリタにも感知できた。
「あれは!?」
ベールは目を見開いたが、リタはその力と力の激突をまっすぐ見つめた。
「ベールさん、私を降ろして下さい!」
「OK! ちょっと待って!」
ベールはスピードを上げ、ファイアーランド軍本陣に突っ込んだ。
魔法攻撃がどんどん減っていく。
サンドランド軍が少しづつ形を崩していることに気づいたサバタは、エレジーとドヴァリンに先陣に行くように言うとファイアーランド軍本陣へと走った。
光と闇の力が拮抗しあい、誰も二人の周りには近づけなかった。
「……どう、なって、…る…?」
「刹那!」
応急処置をされた刹那の意識が、ようやくはっきりとしてきた。クールは刹那の前をどいて、今の様子を見せる。
「……!」
ジャンゴとアルニカが互いの力をぶつけ合っているその光景を見て、刹那は息を飲んだ。
自分には分かる。ジャンゴは己の力を覚醒させようとしている。が、何かが足りずにそれが出来ないのだ。
リタとベールが降り立ったのはその時だった。
「ジャンゴさま!」
ジャンゴに声をかけるが、肝心のジャンゴはアルニカの力を抑えるので手一杯で、彼女の方を向くことはなかった。
それでも構わずに、リタはジャンゴの方へと走る。
「リタ!?」
ジャンゴごしに自分たちの元へ来ようとするリタを見て、アルニカの力が少しだけ抜ける。動こうとするジャンゴを、リタが抑えた。
「アルニカさん、しっかり抑えてください!!」
「何の力も持ってないお前じゃ無理だ!」
「私たちでないと駄目なんです!」
何とかしがみつきながら、リタがジャンゴに叫ぶ。
「ジャンゴさま! 死ぬ時は私とアルニカさんがいます! 一緒に逝きましょう!!」
僕は僕を殺さなくちゃ。
――死ぬ時は、一緒に逝きましょう。
君たちも逝ってしまうの?
それはだめ。僕は君たちに生きてほしいもの。
――これ以上ジャンゴを悲しませたくない。
悲しいなんてない。僕は悲しいだなんて思った事はない。
僕は悲しくなんかない。
だって僕は……。
痛みに震える身体を強引にねじ伏せ、刹那は叫んだ。
「しっかりしろ! 太陽少年ジャンゴ!!」
ジャンゴ。太陽少年ジャンゴ。
僕の名前。僕が人であるために必要な名前。
……僕は、人でいたい。
人形でいたくない。だから
ジャンゴの体から、力が消えた。同時に意識も失ったらしく、ジャンゴはへたりこむ。
それに合わせてリタ、アルニカ、刹那も意識を失った。