夢を見る。
黒い闇が何もかも飲み込む夢を。
(……あれは、ダークか!?)
彼女は正体をはっきりさせようと目を凝らす。が、黒い闇は不安定に歪みを繰り返すだけで、正体が全然つかめない。
画面が切り替わる。
今度はどことも知れない城の地下だ。明かり一つ無いくらい部屋に、誰かがいる。
(……捕らわれとるんか?)
幾重にも巻かれた鎖で動きを封じられている男性。年のほうは分からないが、まだ青年と言ってもいい若さだった。
その男性に人影が差す。背中しか見えないので顔立ちは分からない。背格好からして、捕らわれている男性と同じくらいだと想像できた。
青年は彼女の視線に気づいたのか、くるりと顔だけこちらに向けた。
(あれは……?)
見覚えがあるはずなのに、思い出せなかった。
ザジが倒れた、とクレイが飛び込んできたとき、ベッドに寝転んでいたサバタがものすごい形相で飛び起きた。
が、慣れない服で足を引っ掛けて転んだ。
それはその場にいた者たちだけの秘密である。
何も知らないひまわり娘は、魔界にて闇を視る。
ザジが目を覚ましたのは夜中だった。
前とは違い、部屋が男性陣と女性陣で別れていたので、側にいたのはインプのハーミルだった。
「目が覚めたのね。具合はどう? お腹空いてる?」
ハーミルの質問一つ一つにうなずいたりして答えるザジ。お腹の虫は鳴ってないが空腹感はあったのでそれを伝えると、ハーミルはすぐに簡単な夜食を持ってきた。
サンドイッチに被りつくと、さっきまで見ていた夢を思い出してきた。
あれは星読み? それとも誰かのメッセージ? この魔界で起きていること?
色々考えると、どんどん可能性が溢れてくる。手がかりを得るために、ザジは自分が食べているのを見ているハーミルに聞いた。
「なあ、魔界の連中はみんなラグナロクを望んどるんか?」
「え?」
「やから、ラグエルっちゅー奴と同じように、支配とか制圧とか企んでる奴はおらへんの?」
「いないわよ。こっちはルシファー様に逆らおうなんて考えてる奴はいないもの」
……一瞬、ハーミルの視線がそれたのをザジは見逃さなかった。だが、いきなりそこを突き詰めてものらりくらりかわされる事を予想したザジは、話の機動を上手く操り始める。
「ふうん。そのルシファー様、どういう人や? みんなが憧れてるやっちゃろ?」
「憧れてはいるけど、みんな顔は見たこと無いわよ。何せ、雲の上の人ですもの」
「まるで天使のような奴やな。……天使長ミカエルと関係あるんとちゃう?」
「まさか」
狐と狸の化かしあい。
表面上はにこやかでも、何とか情報を引き出そうとしているザジと何とか話をそらそうとしているハーミルの戦いがそこにあった。
……先に白旗をあげたのはハーミルのほうだった。
「……言わないと許さない、って顔ね。いいわ、話してあげる。ただし、明日にね」
と、言うわけで翌日。
男性陣の部屋に集まり、ハーミルは今の魔界について語った。
偽の魔王。本当の魔王・ルシファーを幽閉しているそのルシファーと関係ある魔王。それが今の魔界を牛耳っていること。
その魔王も地上進出を狙っていること。
(ウチが見た夢は、偽の魔王の夢やったんか)
ザジが納得する。おそらく捕らわれていた青年は、人の姿を取っている本当の魔王だったのだろう。最後に振り向いた偽の魔王が誰かに似てるのか、未だに思い出せないのは引っかかったが。
「その偽の魔王も支配を望んでいるのか……」
サバタが舌打ちをする。馬鹿馬鹿しい。彼の顔はそう語っていた。
「天界だけでなく、魔界でもそういう事があるとはな」
おてんこさまが気難しい顔で考え込む。
将来も難しい顔で考えていたが、やがて顔を上げた。
「でもさ、今のところ、俺たちにちょっかいをかける気はないんだろ? だったら今は天使たちのほうを考えたほうがいいかもな」
確かに。
魔界のことは気になるが、今は不思議なキノコ――『癒しの薬』のほうが問題だった。偽の魔王に将来の事を知られていない今は。
不思議なキノコはもうすぐ手に入る。翔を目覚めさせ、嵩治の誤解を解くのが先だ。魔王の事は、ジャンゴや刹那が戻って来た時に改めて話し合えばいい。
ナタナエルが不思議なキノコを持ってきたのは、それからすぐのことだった。
「よし、材料は揃った。あとは薬を作るだけじゃ」
ディアン・ケヒトが材料の保存状態などを確認して顔を上げた。曰く、魔界ならどんな小さな村でも合体屋はあるとの事。適当な街で事情を説明して、借りればいいだろう。
本当はディープホールの自分の施設のほうがいいだろうが、あのように荒らされてしまっては片付けるだけで丸一日かかる。今回ばかりは仕方なかった。
服も綺麗に乾き、サバタたちは元の服に着替えなおす。休息もたっぷり取ったので、体調は絶好調だ(ザジも含めて)。
「天界と魔界の動向については私も調べている。何かあったらハーミルを遣そう」
ナタナエルもこの世紀末の時、ただただ隠れているだけではいないようだ。世捨て人のような生活をしていながらも、今を生きる人々を守るために尽力している。
天使のツバサを貰うと、サバタたちはサークルゲートまで戻った。本当ならどこかの街のほうがいいのだが、あいにく全員風の魔界に入ったのは今回が初めてだったからだ。
サークルゲート前に着くと、サバタたちはすぐに一番近い村まで走った。
*
サークルゲートに一番近い村、フィラ。
ディアン・ケヒトは『癒しの薬』を作るために、合体屋に器具を貸してくれるよう交渉を始めた。合体屋店主であるフランケンは簡単な事情を聞くと、快く器具を貸してくれた。
「薬が出来るのは40分後じゃ。それまで待っとれ」
そういい残し、ディアン・ケヒトは合体屋に篭りっきりになった。
それからまたサバタたちは暇になる。フィラの村は小さいため、暇をつぶせる施設が無い。40分という微妙な時間のため、村の外に出るのもためらわれた。
とりあえずザジは数少ない店を覗き、サバタは一人でふらふらぶらつくようだ。おてんこさまはサバタの方について行った。
クレイを連れた将来はあちこちぶらついているうち、珍しいものを見た。
小さな子供達が大きな凧みたいなのを持ってわいわいとはしゃいでいる。
「なあ、それ何なんだ?」
好奇心に負けて、将来は子供たちに尋ねる。子供たちは見知らぬ相手でも警戒したりせずに、「ブラン兄ちゃんが作った虹のカイトだよ~」と笑顔で答えてくれた。
子供たちの説明に、クレイがほうと感嘆の息をついた。
「虹のカイトは確か、風の道を渡るのに使うやつだったな。風の道自体、そうそう滅多にあるものじゃないんだが…」
年中風が吹くこの魔界では、子供たちの遊び場になっているらしい。口々にその楽しさについて語る子供たちに、将来もつい乗りたくなってしまった。
「その虹のカイト、まだあるのか?」
……その質問には、子供たちは顔を曇らせた。
「持ってかれちゃった」
「何か戦争に使うんだって。ブラン兄ちゃん、今でも作らされてるみたい」
「本当はこれも偉い人に見つかると持ってかれちゃうの。でも兄ちゃん『君達のものなんだから』って」
将来とクレイは顔を見合わせた。偽の魔王が落とす暗い影は、こんな穏やかな村にまで及んでいたのだ。
戦争……おそらく偽の魔王は天界と地上を攻めるつもりなのだろう。ラグナロクもハルマゲドンも望まず、自分の力で世界をコントロールする気でいる。
それによってどれくらいの血と涙が流されようとも、己の信念という建前だけで突き進むつもりなのか。
巻き込まれる小さな者達が、あまりにも可哀想だった。
知らず知らずのうちに、将来の手がまた強く握られる。五芒星は出ないようにセーブしたが、急に真剣な顔になったせいで、子供たちの顔に少しだけ怯えの色が入る。
「あの……、もういい?」
「え? あ、悪いな。呼び止めちゃって」
手を振ってあげると、子供たちは一応手を振り返してくれた。が、その足がさっきより速くなっていたのは否めない。
子供たちの姿が見えなくなると、将来はその手を下ろした。
「確かに。戦争の話はあちこちで聞いたな」
村の広場でガン・デル・ヘルの手入れをしなおしていたサバタが、ぼそりと言う。
「こんな辺鄙な村やと、ルシファーが行方不明っつーことは誰も気づいてへんみたいや。みんな口々にルシファーさまはどうした言うてる」
「そうか……」
将来が疲れたようにぺたりとベンチに座り込む。
見れば普通に平和な村なのに。
風も優しく、暖かくてのどかな場所なのに。
何もかもが、この世紀末と言う名の終焉に向かっている気がした。
「こんなにいい天気なのに……」
空を見上げると、のんびりと鳥が飛んでいる。
雲ひとつ無いいい天気だが、将来はどこかに暗雲が沸いて出ているように思えた。
ディアン・ケヒトが広場にやってきたのは、10分後のことだった。