夕張の闇が落ちる。
それはあたかも、今の将来そのものだった。
……視界の端に、天使たちが集まっているのが、見える。
眠り続ける翔は、宿屋の二階の部屋に運んだ。
ベッドに寝かせたことを確認すると、サバタは果物屋から拝借した太陽のしずくを飲ませる。
「それで治るんか?」
「分からん。応急処置にはなると思う」
口の端からたくさんこぼしながらも少しづつしずくを飲む辺り、体の機能に異常は無いようだ。あくまでも『眠っている』だけのようである。
「カーモスの呪いにパターンが似ているからな。ダークマターのものではないが、少しは太陽樹の力が効くはずだ」
翔の様子に変化はない。目に見えないところで効いているのか、それとも全く効いていないのか。
さてこれからどうしようか、と二人は顔を見合わせる。町の人の洗脳を解き、翔にかけられた呪いも解かなければいけない。手がかりは全く無い。
……と、今まで無言だったクレイがサバタの方を見て尋ねた。
「なあ、あんたは本当にイモータルなのか?」
目の色からするに、返答しだいでは黒こげだろう。イモータルたち反生命種はデビルたちにとっても敵なのだ。
サバタはそんなクレイの視線をまっすぐに受け止める。
「俺は」
「イモータルに反する者さ。そうだろ? 月下美人」
いきなりの第3者の声。
サバタが視線を向けると、いつの間に入っていたのか、緑の服の少年がのんびりお茶をすすっていた。
「貴様……!」
「久しぶり、月下美人」
ジャンゴがクールを引き取る前日に出会ったあの少年。浮遊する悪魔にして世界の監視者。
「月下美人?」
クレイがオウム返しに聞く。サバタの代わりに少年が答えた。
「導きの力を持つ月の巫女の事だよ。……君は男の子だから使徒とか言ったほうがいいかな……。光にも闇にも属さない、第3の力を使える者。
……間違っても君たちの敵じゃないさ、彼はね」
彼の説明に、クレイはとりあえず警戒心を緩める。出会ってから間もないが、サバタは敵に回りそうにないと思ったのだ。
「……で、何しに来た。ハエ男」
サバタの辛らつな言葉に少年はがくっとなる。
「ハエ男って酷くない? 僕にはちゃんと高城ゼットって名前があるんだからね」
「仮の名前、だろう? ハエ男」
取り付く島も無いサバタに、少年――ゼットはぶーとふくれてしまう。そんな彼の肩をザジがぽんと叩いた。
「それにしても、何しにきたんだ? ゼット」
クレイがゼットに問いかける。どうやら彼は知り合いらしい。ゼットはお茶をまた一口すすって将来のほうに視線を向けた。
空ろな目で外を見ているだけの将来のほうに。
「ん、仲直りの手がかりを上げようと思ってね」
「!」
その言葉に将来は大きく反応した。その反応に満足したゼットはにっこりと笑う。眠る翔を見て、話を続けた。
「その子にかけられた呪いは『闇の眠り』と言って、魔界ではもう失われた呪いなんだ。だから回復方法は一つ。『癒しの薬』を飲ませること。
あれはほとんど全ての病災を打ち消す万能薬だからね」
「その薬は誰が持ってるんだよ!?」
さっきまでの様子が嘘のように、将来はゼットに詰め寄った。ゼットはわざと椅子からずり落ちるような仕草をしてから答える。
「ディープホールの天使の牢獄に、“医術の神”ディアン・ケヒトがいる。彼は『闇の眠り』を知っているから、『癒しの薬』も作れるよ」
「どうやって行くんだ?」
今度の質問はサバタだ。ゼットはにやりと笑って窓の外を指した。全員の視線もその先へと向かう。
ゼットが指した先は。
「……螺旋の塔?」
ザジが間の抜けた声でゼットの答えを言うが、サバタは違った。
「まさか、変異域か!?」
「ご名答」
と言うわけで翌日。
すっかり元気を取り戻した将来、クレイ、サバタ、ザジ、そして高城ゼットの3人と1匹は約束の丘へとやって来た。
真上には天使たちがたくさんいるが、誰一人として彼らに気づいていない。
……かつてナガヒサを欺いた、おてんこさまの太陽結界である。
実はおてんこさまはサン・ミゲルに残り、天使たちの行動を警戒していた。ソル(日)属性であり太陽の精霊である彼は、何と大っぴらに螺旋の塔を調べていたのである。
ザジからテレパスで約束の丘に行くことを聞いたおてんこさまは、同行を申し出た。螺旋の塔に集まり始めた天使たちの行動に、『闇の眠り』が深く関わっていると察したからだ。
「貴方と一緒に行動することになるとはね」
「……まあ、確かに」
どうやらおてんこさまとゼットはお互いを良く知っているらしい。とは言え、仲間とか友達のような明るい関係のようではないようだが。
クレイが鼻をひくつかせておてんこさまを見ている。彼もとりあえずおてんこさまのことは知っているらしいが、見たのは初めてなのだろう。
「またここの封印を解く事になるか……」
サバタが月の封印の扉の前に立つ。
その隣にゼットが立った。
「?」
「サバタ、呪文のフレーズを変えてみて。こんな感じに」
耳打ち。何とかフレーズを覚えたサバタは改めて月の封印の扉の前に立った。
「月よ、己の道を照らし出せ!」
ザジは目をこすった。
――赤いドレスを着た黒髪の少女が、サバタを後ろから抱きしめているのが見えたのだ。
(彼女が『嘆きの魔女』?)
サバタが時折言う少女。サバタの十字架。それが今彼に力を貸している。
よく見極めようともう一回目をこすると、赤いドレスを来た少女の幻影は煙のように消えた。まるで今見たものを拒絶するかのように。
その間にも、サバタの呪歌は続く。
「其処はこの地の果て。其処はこの地の礎。
踏み入れざる禁断の地への道を今開け!
閉ざされし深淵の扉を開け放て!
月光よ、世界を繋げる穴を、ここに!」
扉が、砕けた。
「「!?」」
ゼットを除く全員――呪歌を歌ったサバタも含めてだ――が驚愕する。
……この状態であっても、天使たちは足元で起きていることに気づいていない。
「扉はすぐに直るさ。さあ、早く」
ゼットに導かれ、サバタたちは目の前で起きたことが信じられないながらも、後をついていった。
サークルゲートと呼ばれるワープ装置で、彼らは飛んだ。
*
大きな洞窟。それが最初の感想だった。
だが、意識がはっきりするにつれ、底知れぬ何かがここには嫌というほど流れているということに気づく。
ある者は虚無の闇と言い、ある者は永遠の地獄と言い、ある者は人間の憎悪と欲望と言うだろう。
そこがディープホールだった。
ザジが身震いする。体温が寒さを感じたのではない。精神が寒さを感じたのだ。
「呪歌が違うだけで、ここまで違うんか……」
将来とクレイの方を見ると、彼らはそんなに怯えた表情をしていなかった。
「デビルの匂いがいっぱいするな……」
「だが、ここの奴らは全員強い。……もともと魔界でもディープホールは恐怖の対象だったからな、気をつけろよ」
将来が真剣な顔つきになり、クレイが鼻を引くつかせた。
サバタはしばらく手を見ていたが、やがて「暗黒ーーーーー!」と暗黒チャージをしようとした。
が、いつもなら手に集まるダークマターが集まってこない。
「ここは太陽の光もダークマターも届かない深淵。君たちにはちょっと辛いかもね」
ゼットが説明した。周りに漂うモノは酷似してはいるがダークマターそのものではないので、体が慣れるまで暗黒チャージは出来ないだろう。
だがザジは太陽エネルギーを使用して魔法を撃つので、ここで太陽魔法はあまり出来ないことになる。おてんこさまもまた、然り。
一応魔法薬や太陽の実は持ってきたが、数に限りがある。
「無駄撃ちは出来へんな…」
ザジもようやく真剣な顔つきになった。
おてんこさまはさっきからずっと真剣な顔でゼットの方を見ている。
「いい加減正体を現したらどうだ? 世界の監視者。
……原種の欠片」
三人と一匹はまた驚愕した。
揃って信じられないという目を向けられ、ゼットはどこか歪んだ笑いを浮かべた。
「そう。僕はこのディープホールの王。原種の欠片・深淵魔王ゼブル。
世界の中心にして深淵、ディープホールへようこそ」