扉はリタが来たときとは違って固く閉ざされていた。
とりあえず持っていた四つの宝珠を扉の前に差し出すと、軋み音を上げながらもきちんと扉は開いてくれた。扉の先は完全な闇だが、かまわずに飛び込む。
一本道なので迷うことがないのが助かった。足元に注意して丁寧に、だが急いで走る。
「……なぁ、この『シヴァルバー』って何なんやろ?」
走っている中、ザジがぼそりと呟いた。背負っているケーリュイケオン――セイに聞いているだけなのかもしれないが、ジャンゴはその問いにたった一言だけ答えた。
「運命の歯車、そのものだよ」
その説明にサバタたちがはっとしてこっちを向くが、ジャンゴはいちいち詳しくは説明しなかった。おそらくある程度は予想がついているだろうし、元々話すつもりもなかった。
たどり着いたのは、幾何学的な魔方陣とぼろぼろになった五つの椅子が特徴的な部屋だった。
幾何学的な柱に取り囲まれたその部屋は、原理はわからないが光に満ちていて、暗闇に慣れていたジャンゴたちの目をくらました。
ようやく光に慣れてうっすらと目を開けると、一番最初に目に飛び込んだのは黒ずくめの男――ヤプトと彼の頭上にあるジャンゴの水晶像だった。
「ジャンゴが……」
「二人……?」
事情を知らないザジとカーミラが息を飲む。
背格好も大きく違うし、背中から蝶の羽を生やしているが、それは紛れもなくジャンゴだった。天に向かって右手を伸ばし、何かを支えているかのようなポーズをとっている。
「夢子」の予想と『ジャンゴ』本人からのテレパスである程度の事情を知っているサバタと、全てを『思い出した』ジャンゴは頭上の『ジャンゴ』の像に動揺することなく、ただヤプトを見ていた。
運命王の補佐として付き従うのはただの演技で、実際には自分の望む筋書き通りに事を進めようとしていた、クストースを貶めた存在。その正体は……。
「ようやくここまで来たんですねぇ」
嘲笑を交えたヤプトの一言で、ジャンゴたちは各々の武器を構える。
殺意すら篭った八つのまなざしを受けながらも、ヤプトは嫣然と――むしろ快感が混ざって――笑い、懐から鈴を取り出した。
ちりん……
清らかな鈴の音が鳴ったかと思うと、ふらりとザジが眩暈を起こして膝をついてしまう。
「ザジ!?」
膝をつく音でジャンゴが振り向いた瞬間、何かが彼の顔を掠めて飛んでいった。直撃ではなくわざと掠めて飛んだそれは、人の手によく似ていた気がする。
そう、それは実際に人の手だった。ジャンゴが振り向いた瞬間を狙って、ザジが手刀で狙ってきたのだ。
「ひまわり、お前!」
「…う、ウチ、何も考えてへん! ジャンゴが怖いだなんてちぃとも…………あ!」
失言に気づいてザジが口を押さえる。ジャンゴの方はザジの失言にショックを受けるより先に、ヤプトの攻撃が何なのかを知った。
人の心の中にある恐怖心を、あの鈴で増幅したのだ。一番最初に暗示にかかったザジが、『無意識』のうちに脅えている存在――ジャンゴを排除しようと攻撃させられたわけだ。
とっさに鈴の音を聞くなと言おうとしたが、それより先にまたヤプトが鈴を鳴らす。
ちりん……
「……う……」
今度はカーミラがうずくまってしまう。彼女はトラウマである生前の記憶を揺さぶられたのだろうか。
槍すら捨ててほろほろと泣き出すカーミラをサバタが介抱する中、ジャンゴはヤプトに向って突っ込んだ。今度の鈴の標的が誰だか解らないが、鳴らされる前に片をつけなければならない。
ジャンゴの剣がヤプトに触れようとするその瞬間、彼はにまりと笑って鈴を鳴らした。
今度流れたのは、鈴の音色ではなく“声”だった。
――こちら側とあちら側、全くの相違点を揃えたからと言って、自分の罪が清算されたとでも?
ジャンゴと全く変わらぬ声が頭の中に直接響く。
ヤプトの顔が、一瞬だけ赤い目をした自分に見えた。
――お前は救えなかったよな? 一番大事な子を殺されて、世界に絶望した。あの水晶像に……エターナルになることで罪滅ぼしと考えてる。とんだお笑い話だよ。
本当は誰も助ける気もないんだよな? 自分を追い詰めた世界を怨んでる。エターナルになったのも『英雄は死んだ』と人々に絶望させるためだ。
自分を追い詰めた人々に、最大の復讐をしたんだ!!
「違う!!」
いつの間にか、ジャンゴは剣を握り締めたまま大きく叫んでいた。隙だらけになった彼に、ヤプトがにやりと笑って鈴を鳴らす。
今度の標的はサバタだ。音色を聞いてしまった彼は、自分の意思とは関係なしにガン・デル・ヘルの照準をジャンゴに向けていた。
弟への羨望と憎悪、それらが入り混じって、ガン・デル・ヘルが揺れている。憎悪の方が上回っているらしく、決して暗黒銃は下ろされることはなかった。
決して引き金を引こうとしないサバタを見て、ヤプトは顎をなでて感心する。が、すぐにその顔が変化した。
「抵抗しますか、なら」
鈴ではなく手でぱんぱんと叩くと、サバタはばたりと倒れる。ガン・デル・ヘルは握り締めたままだが、引き金に指はかかってなかったので誤射などはないはずだ。
ザジはすっかり放心し、カーミラはただ泣き続けている。サバタも倒れた以上、まともに戦えるのはジャンゴ一人だけになってしまった。
――あの時も、誰も助けてくれなかったよな?
ジャンゴと全く変わらぬあの声が、また頭の中に響く。
――兄はお前が殺した。ザジはそんなお前を見捨てていった。
……リタは、一番最初に死んだ。
自分ではない自分がけたたましく嗤っていた。
――結局、お前はいつまでも一人ということだ。全ての人間を拒絶しないと生きていけない。あちら側でも、こちら側でも!! 過去も、現在も、未来も!!
これこそが貴様の罰! これこそが貴様の運命!!
畳み掛けるような言葉の数々に、ジャンゴの心が大きく揺らいでいく。
父を、母を失い、人としての自分も失い、兄をこの手で殺し、愛する者を守れなかったあちら側の自分。絶望だけを心に抱いて、世界への生贄になる事を決めたあちら側の自分。
自分も結局は同じ道を歩むことになるのだろうか。いくつもの相違点があったとしても、週末は同じになってしまうのが自分の運命なのだろうか。
どうすることも出来ない大きなモノに押し流されそうになり、ジャンゴは深くうつむいてしまう。いくつもの後悔と懺悔の中、最後に残るのは……。
「……私は、もう一人の貴方……」
幻聴かと、思った。
こんな時にあの子の声、しかも真意に近い言葉と共に聞こえてくるとは到底思えなかった。ここに一番最初に到着しただろうとは思っていたが、タイミングがよすぎるだろうと考えてしまった。
「……広がりなさい」
さっきの穏やかな声が、空間に波紋を描くように響き渡る。
するとあたり一面に優しい緑色の光がさぁっと広がり、自分を取り巻いていた暗く寒い何かが取り払われた気分になった。ようやく回りを見回す余裕が出来る。
精神的に追い詰められていたサバタたちも回復し、頭を何度も振りながら辺りを見回している。
視界がハッキリしてくると、ようやく声の主を見つけることが出来た。いつそこにいたのか解らないが、彼女は『ジャンゴ』の水晶像の隣に浮かんでいる。
哀しげなまなざしで虚空を見ている『ジャンゴ』を愛おしそうになでる手は生気を感じられないほど白く、むき出しになった肌には例外なく漆黒の紋様が刻まれている。
薄暗い色の巫女装束をまとった、血のように赤い眼を持ったその少女は、紛れもなくリタなのだが。
「……羽……?」
ジャンゴは目をこすった。一瞬だけだが、彼女の背中から蝶の羽が生えているように見えたのだ。
大体、リタはどうやって空に浮いているのだろう。半ヴァンパイアの時は、超人的なジャンプ力こそあるが空を飛べるほどの力はない。ジャンゴもマフラーが変質した羽は、あくまで空中制御のためのものだ。
と、そこでジャンゴはリタが片方の手で一冊の本を持っていることに気づく。詳しくは解らないが、ビロードの装丁からして一種の聖書のように見えた。
皆が驚きと疑問の眼で見つめる中、リタは静かにヤプトの前に降り立つ。闇と光を抱え持った天使が舞い降りるような、神々しさを称えたままで。
ヤプトの方はリタの手にある本を見て、にやりと悪魔のように笑った。
「その本……、こちら側にはあったのですね。『自我を導く本(ポジティヴ・バイブル)』」
「貴方が欺いた、あちら側のジャンゴさまとカルソナフォンが下さったものです。その、『嘲笑う鈴(ネガティヴ・ベル』と対を成すもの」
リタに鈴を指差され、ヤプトは参ったように鈴を隠す。その彼を追及するかのように『ジャンゴ』の水晶像が発光した。
――自我境界線……。エターナル……いや、『自我の導き手』の僕なら拾ってこれた。
お前はそれをわかっていたんじゃないのか? お前は今の僕と対をなす、『運命を嘲笑う者』だから。
『ジャンゴ』の一言で、今度はヤプトに驚きと疑問の視線が集中した。視線を向けられたヤプトの方は肩をひょいっとすくめて、いつもと変わらぬ嘲りの笑みを浮かべた。
「どうもこうも。彼の言ったとおりですよ。私はそこの彼と同じく、全ての意思あるモノの父たる存在。
銀河意思ダークも、太陽意思ソルも所詮は人の意思が大きく影響しているもの。だからあの太陽の精霊もあっさり消せたし、イモータルも好きにすることが出来たのですよ」
「……つまりすべて貴様がお膳立てしたというわけか……ッ!」
サバタがゆらりと立ち上がって暗黒弾を撃つが、ヤプトにダメージを与えるどころか逆に吸収されてしまう。暗黒の力も、人の意思に繋がる力だというのだろうか。
『人がそれを望んでいるんだ』
ジャンゴは大分前に『ジャンゴ』から聞いた事を思い出した。あのヤプトは人のネガティブな意思の集合体。すなわち、自分たちそのものだ。
いくら自分を制御しても、無意識のうちに『勝てないかもしれない』と思ってしまえば、ヤプトは絶対倒せなくなる。自分たちがヤプトを強くさせてしまうのだ。
真実をほとんど知らされた以上、『勝てない』と思う心は抑えられない。リタが得た力がどのようなものなのかは知らないが、この状況をひっくり返せるとはとても思えなかった。
(諦めるつもりはないけど、どうすればいいんだ?)
剣を握る手が少しだけゆるくなってしまう。不安と疑問だけが渦を巻き、リタの方をすがるように見てしまった。
リタは、自分の方を見ていなかった。
(……?)
ジャンゴはふと違和感を覚える。
ここに現れてから、リタは一度も仲間を……ジャンゴを見ていない。あちら側の『ジャンゴ』の水晶像とヤプトだけをただ交互に見ているだけだ。
見ている暇がないのではなく、見ようとしていない。無理やり自分たちから目をそらしているように思えた。
ザジが前言っていた。自我を保つには絶大なまでの自制が必要だと。リタにとって、自分たちを見る事はその自制を揺らがせることなのだろう。
なのに、寂しかった。胸が張り裂けそうなほど、辛かった。
「……私は貴方、貴方は私……」
「片手に希望を、片手に絶望を……」
――そして万物全ては久遠の楽園へと……。
リタ、ヤプト、そして『ジャンゴ』の声に合わせて、四つの宝珠が光り輝いた。