役目を終えた灰色のパイルドライバーは、傷をかさぶたが塞ぐように土が覆い隠してしまった。
ジャンゴは雨が止み、日差しが顔に当たるまでずっとそこにいた。
クストースの聖地にて、南の椅子がボロッと崩れる。これでクストースは全員やられた事になった。
「まあ、おかげで大分エナジーは溜まりましたがね」
ザナンビドゥを除く三人が消滅する時のエナジーを、あの灰色のパイルドライバーは吸収している。あれは浄化ではなく消滅と吸収を司るものなのだ。
クストースは全員上質かつ大量のエナジーを持っていた。おかげで一人欠けても充分なほどのエナジーが溜まっている。話を進めるなら今のうちだ。
付き従うクストースが全員消えた以上、運命王に従う理由もなくなった。元々彼女はあちら側と同じ筋書きにしないように画策しているようなので、最初から従う必要性はないのだが。
ヤプトはぱちりと指を鳴らして、別の外の景色を呼び出した。
今度浮かんだ光景の中に、また気を引くものを見つける。見つけたそれは、一人で『シヴァルバー』へと向うリタの姿だった。
常に近くにいた猫――ザナンビドゥの姿は見えない。おそらく誰かに預けたのだろう。これからの事を考えれば、当然だ。
彼女は宝珠を一つも持っていないのに、迷うことなく『シヴァルバー』への道を歩いている。という事は、もうほとんど真実を知ったということだ。
好都合だ。リタが一人で動いてくれるなら、それだけやりやすくなる。上手く躍らせることが出来れば……。
「どうやら、もうしばらく運命王に動いてもらわねばなりませんねぇ」
彼女なら、リタを都合よく動かせるはずだ。どうやって彼女を動かすかが少し厄介だが、話さえ通じれば上手くリタを扱ってくれる。
運命王の説得は後で考えることにして、別のヴィジョンもよく見てみることにした。大抵は風景のみだが、また一つ気になるヴィジョンを見つける。
今度見つけたのにはサバタとカーミラ、ザジが映っていた。街の風景からして、この近くに来ているようだ。
リタとは違い、彼らがここに来るのは喜ばしくない。今いる街で足止めさせておきたいところだが、こちらの手駒はほとんど尽きた。
簡易量産型の土塊ならいくらでも出せるが、それだと筋書きに大きな影響があるかもしれない。事は誰にも知られずに、一人の苦悩だけで終わらせないとダメなのだ。
運命王がサバタたちの相手もしてくれればいいのだが、そこまで彼女にやらせるのは酷かもしれない。ここは一つ、第五のクストースでもでっち上げるべきだろうか。
「寄せ集めでも、何とかなるでしょう」
懐から鈴を取り出し、何回も鳴らす。
鈴が鳴るたびに土塊の獣達が生まれ、一つ一つ融合していく。豹が、鮫が、鷹が、山羊が、蛇が集まり、人の形を成した。
「名前は…与えなくてもいいですか。クストースでもない、ただの人形ですし」
ぱちんと指を鳴らすと、仮面がマネキンのような顔を覆う。一応これで人らしくなった人形は、ぎこちない動作でヤプトに跪いた。
「いいですか? 貴方の役目は宝珠を持つ者たちから宝珠を奪い返し、とにかく遠くへと逃げるのです。敵を倒そうとは思わないで結構ですからね」
人形はこくりとうなずき、さっと駆け出していった。これで、いくらかサバタたちの足止めにはなるだろう。
さて、残るは運命王の説得だけだ。
後ろにあった感情の宝珠を拾い、ようやく辺りを見回す。
雨のせいでぬかるんだ地は、もう戦いの後を消し去っていた。吐き出した血の跡も、もう見えない。
「理性と、感情か……」
手元にある宝珠は二つ。本能と知性は兄たちが手に入れたはずだ。という事は、クストースが持つ四つの宝珠は全て集まったということになる。
ザジの星読みの半分以上はこれで成し遂げた。後はそれと『思い出した』記憶にしたがって、『シヴァルバー』へと行くのみだ。
「後もう少しだ」
自分で言うことで士気を上げようとするが、隣にいたあの少年がいないということが、逆に士気を下げさせてしまった。
ユキは、もういない。
例え一緒にいた時間は短くとも、彼の存在は大きかった。自分より幼いはずなのに、その精神は自分よりもはるかに大人で、ジャンゴが教わることもたくさんあった。
ミホトもミホトで、弟を救おうと必死だった。お門違いな憎しみをぶつけられたが、彼女もユキと同じ被害者で、哀れみの感情を抱いていた。
救おうと思っていた。それなのに、救えなかった。
今のジャンゴの感情が、夢――『かつて』の記憶と重なる。あの時、自分も同じように救いたかったのに救えなかったことに対して絶望を感じていた。
だけど、今はあの時とは違う。まだ最後の選択は突きつけられていないし、全ては大きく異なっている。だから、絶対に負けられなかった。
消滅したユキとミホトの事を思うと悲しみが心を埋め尽くすが、今はそれに浸ってはいられなかった。彼らは消えた。だが、完全に消し去るかはジャンゴ次第だ。
――僕の事は忘れてくれ……。
本当は忘れられたくないのに、言わざるを得なかった矛盾。
忘れたいと思ったのに忘れたくないと思った矛盾。
いくつもの矛盾が重なって、今回の戦いは出来上がった。その矛盾を抱え、何とか修正しながらここまで来ている。例え何があっても、ここで引き下がるわけには行かないのだ。
(忘れない。ユキたちを忘れない。ユキやミホトが生きていたことを。彼らを本当に消したりなんかしない)
ジャンゴは、強くそう思った。
ザジが取っていた宿屋では、リタから預かったビドゥがのんびりと昼寝していた。
ぽかぽかの日差しがよく当たるので時間を忘れて眠っていたのだが、ざらりとした感覚が髭のあたりを撫でた。
「ふぎゃ?」
むっくりと起き上がって感覚の主を探る。元クストースということあってか、気配を察知する能力はそこらの猫をはるかに超越している。
やがて、髭が異質な気配を察知する。もう眠気は吹っ飛んでいたので、起きてその主の元まで行こうと窓にすがりついた。
タイミングよく、部屋にザジが帰ってくる。
「んな、ビドゥ!?」
飛び出そうとしているビドゥを見て、ザジが慌てて抱き上げた。気配の主の元に行きたいビドゥは何とかザジの拘束から逃れようとじたばたする。
「どこか出かけたいんか?」
爪まで立てたからか、ザジが慌てて下ろしてくれた。解放された瞬間、ビドゥは窓を蹴破る勢いで開けて飛び出した。
「ビドゥ!」
窓から外に飛び出した猫は、もう姿が見えなくなっていた。気配は猫の中でも独特なので、遠くまで行っても何とか探知は可能ではあるが。
「どうしました?」
「何があった!?」
騒ぎを聞きつけ、サバタたちも部屋に飛び込んできた。ザジは荷物をまとめながら「リタから預かった猫がどっか行ってもうた」と簡潔に説明した。
ビドゥの事をあまり知らないカーミラは首を傾げたが、サバタは真剣な顔でザジの話を聞く。ビドゥの事を知らないのはサバタも同じだが、リタから預かったと言うのが重要だった。
リタは自分たちより先に『シヴァルバー』へと向っている。できれば先回りして引きとめるなり何なりしたいのだが、ビドゥのことも放ってはおけないようだった。
さて、どうするか。
サバタは隣のカーミラとも相談して、速攻でビドゥの後を追うことに決めた。
クストースは全員倒れただろうが、相手の手駒が尽きたとは限らない。残る運命王と混沌王に繋がる手がかりらしきものは全て回収すべきだ。
ジャンゴの行方も気になっているところだが、彼にはユキがついているはず。そうそうやられたりはしないだろう。サバタはそう読んだ。
「ひまわり、猫は追えるな?」
「ん? あ、任しとき!」
「ついて来るか? カーミラ」
ザジは慌てながらもきちんと答え、カーミラは無言でうなずく。サバタはそれを確認して、窓から飛び出した。
「お前は猫かぁーーーーー!」
ザジのツッコミが遠くで聞こえた気がしたが、とりあえず無視しておく。宿屋の入り口から出る時間が惜しかったし、何より自分はこっちの方が性に合う。
さて飛び出したのはいいのだが、自分は気配察知などはちょっと疎い。それでも何とか察知するためのアンテナを最大限まで伸ばし、ビドゥの気配を探す。
ビドゥの気配より先に、異質な気配を探知した。人に近いが、全く人とは異なる気配。クストースのものとも違う気配だ。
どうやらビドゥが追っている気配はこれのようだ。サバタも急いでその後を追った。
どことなく空虚な心を抱えて、リタは『シヴァルバー』への道を歩いていた。
草木のざわめき、ハトの鳴き声、自分のブーツが地を踏みしめる音だけが、リタの耳をかすかにくすぐる。それだけ、自分の心は静かで虚ろなのだろう。
――来ないで……。
『シヴァルバー』を出る時に、自分を導いた影がふわりと現れた。あの時とは違って木々の間に見え隠れはしているものの、輪郭もはっきりとした幻影だった。
長い真紅のマフラーが、嫌でも目に入る。
――僕は君を失うわけにはいかないんだ……
「それでも、私は行きますよ。それに私は消えるわけじゃないんです。貴方が一番知ってることでしょう?」
――だからこそ、僕はここで君を引き止めるんだ。
「……優しいんですよね。こちら側の貴方も、あちら側の貴方も」
――君はどこでも変わらないね。その強情さ、あの子も同じだった。
「だって、同じ私ですもの」
――……そう、同じなんだよね……。
また、同じ事を繰り返すのも、変わらないんだろうか……。
悲しそうな顔をして、幻影は現れた時と同じようにふわりと消える。
最後に見た哀しい微笑みを見て、リタはぽつりと呟いた。
「そうさせないために、私が行くんです」