赤の他人から

「赤の他人、か……」
 スタジオの端でやっているドラマ撮影を遠目で見ながら、ミソラは役者の台詞を反芻した。確かヒロインの心を開かせようと心を砕く主人公に対し、ヒロインがぶっきらぼうに投げかける台詞だったか。
 言われる方は辛いとも思うが、第三者の視点から見れば確かに今の二人は赤の他人同士だ。例え将来結ばれる事が決まっていても、だ。
(私とスバル君も、赤の他人と言えば赤の他人なんだよね)
 連鎖的にそんな事を思う。最初にして唯一のブラザーバンドと言うキズナはあれど、最初に出会った時は確かにお互いを知りえない赤の他人だった。それからいろいろあって絆を深め合い、親友と言ってもいい関係になっている(ミソラとしてはその先に進みたいと言う気持ちもあるが)。
 自分と赤の他人ではないと言える存在は、もうこの世にはいない。自称親戚は山のようにいるが、ミソラにとってそれらはただの赤の他人だ。
 さて、と考えを目の前の現実に戻す。今日も仕事はてんこ盛りだ。

 日が落ちそうな頃に、仕事から解放される。時間的にはまだ家に帰るには惜しいので、誰かと遊びたい。だが、誰がいるだろうか。
 そう思って街を歩いていると、ビルの上に見覚えのある黒い姿が見えた。自殺志願者……ではない。自分が知る人間の内の一人。
「何やってんだろ」
 そう思って電波変換して、彼のいるビルに近づく。ひょいひょいとウェーブロードを飛び渡っていると、肝心の黒い影がどこか行きそうな素振りを見せたので、ミソラは思わず声をかけた。

「ソロー!」

 電波の見える彼は、電波体や電波人間の出す音も聞こえる。当然、ミソラが声をかけた事で、黒い影――ソロはどこか呆れたような顔で電波変換を解除したミソラの方を見た。
「貴様か……何の用だ」
「いやそれはこっちの台詞だって。何でこんな高い所に一人でいるの」
 バカと何とやらは上に上りたがるとか聞くが、ソロはそう言うキャラではない。何かあったと思ったのだ。ミソラの問いに対してソロは無言だ。お前に話す事はないと言うつもりか。
 ならいい、無理やりでも聞き出すまで。
「またムーの遺産でも見つけたの?」
「貴様には関係ない」
「それとも何か事件?」
「関係ないと言っている」
「えー、教えてよー」
 ひっついてせがむが、ソロは動じずに振りほどく。これは難敵だなと思っていると、「大体な」とソロがうんざりしたような口調で反論してきた。
「貴様とオレは赤の他人だろう。なぜそこまで気にかかる」
 赤の他人。
 ついさっきも聞いた言葉だ。赤の他人が何でそこまで気にするんだ。赤の他人の癖に……。
 それを言い出したらもう何とも言えないだろう、とミソラは心の中で呟く。解りやすく「この人が貴方の運命の相手です!」とビラでも貼ってあれば楽だろうけれど、実際はそうでないのだから。
 ソロから離れると、話は終わりだと言わんばかりに彼は踵を返す。結局ここにいた理由は解らないまま、彼とお別れするのか。
 本当にそれでいいのか。
「赤の他人って言うけどさ」
 引っ付く代わりに袖を掴んで反論を始めた。
「最初は誰だって赤の他人じゃない。大好きな人も、助けてくれるスタッフも、ファンも、みんな赤の他人で終わっちゃうよ」
 ソロは当然だが答えない。だが、掴んだ袖を離す事もなく黙って立っている。一応こちらの反論は聞くつもりなんだな、とミソラは心の中で胸をなでおろした。
「私だって最初スバル君があれだけ大きな存在になるとは思ってなかったよ。自分の名前を知らない人間って珍しいなって思ったくらいで」
 ソロがふんと鼻を鳴らす。話を続けろと言う意味だと取って、ミソラは話を続ける。
「だからさ、赤の他人だからなんだって思うよ。そこから何も始めないなら確かに赤の他人だけど、何かを始めるのなら、そうじゃない」
 本音だ。
 知り合う気のない人間なら赤の他人で充分だが、そうでもない人間はそれ以上の何かになりたい。それがどのような形になるとしても。
 目の前の少年もそうだ。何だかんだと長い付き合い。そろそろ「赤の他人」から卒業したい。そう思うのは、自分の我儘だろうか。
「最初は誰だって、赤の他人なんだよ」
 そう言って話を〆る。
 ソロからの反応はない。くだらないと思って切り捨てているのか、それとも少しは届いたのか。それは解らない。ただ彼は、自分を見る事なく、ただどこか遠くを見ている。
「貴様がオレに対して接する理由は、それか」
 ソロがぽつりと聞いてきた。「それ」がどれを指すかは解らないが、ミソラはただ頷く。
 下らんと切り捨てられるのは承知の上だ。ソロは己の血脈と過去のトラウマもあって、孤高を貫く。ミソラもそれはよく知っている。
 びゅう、と風が吹いた。突然の突風にミソラはバランスを崩しそうになるが、ソロは全く揺らがない。改めて自分は高い所に立っているのだと言う事を、ミソラは実感する。
 風がまた吹く。
「赤の他人は赤の他人のままの方がいい。そう思った方が、いいぞ」
 ソロが口を開く。その言葉は、自分の人生を振り返っての教訓なのだろう。その分、説得力と重みがあった。
「そもそも世界中の人間全員が貴様と赤の他人以上の仲になりたい、なんて考えるのは脳みそがお花畑としか考えられない」
「……」
 きつい一言だった。
 国民的アイドルだと言われてはいるが、全ての人間に愛されているとは思っていない。エゴサーチすればアンチコメントに出くわすし、ささやかな嫌がらせは毎日のようにある。自分さえいなければ……と思っている人間も少なからずいる事だろう。

 ……と、そこで気づいた。

 目の前の男はあからさまに邪険にするだけで、陰で何か言う事は決してないのだ。陰湿な事は好まないし、真正面からキズナというものを拒んでいる。
 だったら、なおさら。
「それでも私自身が友達になりたいとか、赤の他人以上になりたいと思うのは勝手でしょ?」
 反論する。ソロがそれを嫌がると解っていても、自分は彼と絆を感じたいのだ。何故なら、彼には何度も助けられているから。
 敵対したこともあった。本当にこいつは馬鹿だと蔑んだこともあった。でもそれらをひっくるめて、今はソロと言う存在も大事にしたいと思う。
 ミソラの言い分を聞いたソロは、馬鹿馬鹿しいと呆れのため息を付いた。
「恋愛ごっこなら相手はもういるだろう。オレはそいつに丸投げする」
 そう言い捨ててビルの淵からひょい、と飛び降りる。さすがにヒヤリとしたミソラがギター越しに覗き込むと、電波変換したブライがウェーブロードを走っていくのが見えた。
 ソロを見送った後、ミソラも電波変換して地上に降りる。もう彼が行った先を目で追う事はない。もう彼は遠くに行ってしまったし、自分も言いたい事は言ったのだから。
「さて、家に帰るかな~」
 夕焼け空が綺麗に見える。
 カラスに混じってあの黒い影が見えないかなと思ったが、当然そんなものは見えなかった。それもまたやむ無しかとミソラは一人からからと笑った。周りの人が気になったかこっちを見るが、ミソラは気にする事はなかった。

 赤の他人から、始めよう。
 最初はみんな、そこから始めるのだから。
 いずれどうなるか解らなくとも、始めなければ何も変わらない。

 日が落ちる中、ミソラは軽い足取りで家への道を歩くのだった。