サン・ミゲルを出たジャンゴとユキは、道なき道をてくてくと歩いていた。
「ユキ、どうすれば『シヴァルバー』へと行けるんだ?」
ジャンゴの問いに、ユキがうーんと唸る。困り顔とも取れるその顔は愛らしく、ジャンゴは何となくスミレを思い出した。
……小さいからと可愛がられてお兄ちゃん面ができなかった反動からか、ジャンゴは小さい子の世話を焼くのが好きだったりする。
今もフード越しからばりばりと頭を掻くユキに、落ち着くように手を添えたりなんかしてしまう。ユキもユキで、ジャンゴを兄のように見ているので、すぐに頭を掻くのはやめた。
返答に詰まっているらしいユキは、つい逃げるように空を見上げる。それを見たジャンゴは、しばらく何も聞かずに隣を歩いていた。
ユキの手の中に在る『理性の宝珠』は、今は穏やかに輝いている。太陽の光を浴び、その光はごく普通の宝珠と変わらないように見えた。
うららかな日差しが降り注ぎ、草花はその日差しを享受して少しずつ芽吹いてくる。
もうすぐ春なのだ。ジャンゴはそう思う。
(そういえば、去年の春は久しぶりに父さんが帰ってきたからって、母さんと三人でピクニックに行ったっけ)
青々と茂りだしている草花が、ジャンゴの記憶を少しずつ掘り出していく。
しょっちゅう――今にして思えば、兄を探し回っていたのだろう――家を空けていた父が帰ってきて、自分と遊んでくれる。そのことに大喜びしてはしゃぎまわっていた自分。優しく微笑んで見守ってくれる母。
今はもう夢の中ぐらいでしか会えない母親だが、こうして思い出が浮かぶたびに微笑んでいる母親の姿がありありと思い出せる。母はいつも笑っていた。
そこまで思い出してから、ジャンゴは隣のユキも親がいない事を思い出す。
(こんなに小さいのに…)
自分も小さいほうだが、ユキはそれに輪をかけて小さい。そんな彼が親をなくし、姉と離れ離れになってしまった。心中――悲しみは計り知れない。
だがユキはそれで泣いたりはしない。気丈に「姉を探す」と言い、こうして自分の隣に立っている。
「強いんだな……」
「え?」
ジャンゴがつい口に出した言葉に、まだ考え込んでいたユキが反応した。聞かれたところであまり変わらないが、ジャンゴは恥ずかしさのあまりつい手を振ってしまう。
彼はそんなジャンゴの仕草に少し首を傾げたが、すぐに考え事に没頭しなおした。それで、ユキがまだ『シヴァルバー』について考え事をしていたことに気づくジャンゴ。
「ユキ、もういいよ。無理やり思い出すのはよくない」
ぽんと頭を叩いてあげると、ユキが困ったように照れ笑いをした。
ふと、ユキのその笑顔が少しこわばる。
「どうしたんだ?」
表情の変化に気づき、ジャンゴはユキに問いかけるが、ユキはすぐに照れ笑いに戻って「何でもないよ」と答えた。……どう見ても「何でもない」の一言で片付けられそうになかったが。
(そうか。サン・ミゲルを一歩出た時点で、クストースが狙っているんだ)
ジャンゴはようやくそのことに気づく。
見た目は平和でも、いつどこで闇の手が迫ってくるかわからない。さまざまな事件で学んでいたはずなのに、このうららかな陽気と自然の美しさですっかり忘れていた。
いつも警戒していろ、というのは大げさだが、気が緩みきってはいけない。ジャンゴはそう自分に言い聞かせた。
何処とも知れない草原。
インクの青と緑を一気にぶちまけたかのような場所に、一人だけ少女が立っていた。足元までの長いスカートのワンピースを着て、鎌を背負った少女。
少女は息を大きく吸い、そして地を蹴った。
舞う。
人に見せるための舞ではなく、神や精霊に祈りを捧げ、自然と一体化するための舞。彼女にとっては、歩くことと同じくらいに必然的で、自然な動きそのものだ。
彼女は巫女だった。村で一番の“力”を持っていると言われた自分と弟は、自然と祭事の重要な位置に立たされるようになっていた。
両親はそんな彼女らを誇りに思っていたし、彼女にとってもそれは誇りだった。“力”が強いことではない、自分が大人の仲間入りを早く果たしたと思っていたのだ。
だがそんな彼女の幸せは、あっという間に砕かれた。“力”を恐れて排除しようと思った人々の手により、村は焼かれ、両親は殺された。
ほとんど着のみ着ままで村を脱出した自分と弟にあったのは、祭事の時に使う鎌と槌のみ。長老曰く、神鉈で風邪の恵みを受けて邪を斬り払い、神槌で大地の恵みを受けて光をもたらすらしい。
確かに、そう考えれば鎌は自分たちに恩恵をもたらしてくれた。『異端狩り』と称して自分たちを追ってきた者たちを追い払うのに、この鎌は必要以上の働きをしてくれた。
弟も重いであろう槌を精一杯振り回して、自分を助けようと必死だった。自分は弟を守り、弟は自分を助ける。そんなのが日常になっていた。
村と両親を失った悲しみは癒えることはなかったが、これもまたささやかな幸せとしてかみ締めていたそんな時、また彼女達を不幸が襲った。
とある場所でアンデッドとも人間とも違う生き物に襲われ、自分と弟は引き離されてしまった。相手も理由もわからない。解っているのは、奴らが弟をどこかに連れて行ってしまったということ。
消える前に自分に向かって「逃げて!」と叫んでいた弟の姿は、今でもはっきりと思い出せる。あの時、弟は確かに自分を守ろうとしていた。
自分が守るべき相手に守られた。それは彼女の心に強く焼き付いている。
「……っ!」
無心でいられなかった故、舞に乱れが出た。足をひねりそうになり、慌ててバランスを取る。
「ふう」
しかし、久々に舞えた事で心は大分落ち着いた。さっきまでは精神集中すら出来ないほど猛り狂っていた精神が、今はまるで波紋のない水のように落ち着いている。
これなら精神を飛ばすことで人を探し出す『品物比霊(くさぐさのもののひれ)』も上手く行くだろう。目を閉じて意識を集中させてから、背中に背負ったままの鎌を大きく天に放る。
放り投げられた鎌はどんどん物質から解放され、やがて光の球となって弾ける。実際に消えたわけではない。彼女の“力”――霊力によって、鎌は探知するレーダーとなったのだ。
少女の中で世界が広がる。目を閉じることで、その世界に集中して弟の姿を探し始めた。
(……どこ……?)
もう長い間会っていない弟。
(貴方は無事でいるの……?)
季節が、立場が、世界が変わっても会えない弟。
(…お姉ちゃんは、ずっと探しているのよ……)
今は『太陽少年』とか言う輩に連れまわされている弟。
(……会いたい……!)
ジャンゴとユキが出発してからしばらくして、サバタとカーミラも『シヴァルバー』へと向かうことにした。
色々と相談の結果、彼らは二人で行動することに決めた。『シヴァルバー』へはちょっとせこいが、ジャンゴたちの後を追うことで行くことにする。
……とは言え、サバタたちはサバタたちで調べ物があるのでジャンゴたちばかりを追ってはいられないが。
サバタたちが最初訪れたのは、あの「月夜のサーカス」を見た森だった。
「サバタさま、何故こちらに?」
相手の意図が読めないカーミラは、サバタの後姿に向かって問いかける。魂が繋がっているとは言え、相手の思考を全て読めるわけではないのだ。
問いを受けたサバタの方は、顔だけ彼女の方を向いて「会えるかも知れん人物がいる」とだけ答えた。
答えが短く、しかもぼかしたものだったので、カーミラはしばし考え込んでしまう。……すぐに心当たりを思いついていつもの穏やかな顔に戻ったが。
カーミラがその答えを言う前に、二人の目の前の空間が軽く揺らいで二人の少女を出現させる。空色の髪をした、そっくりな双子。
「スキファ、フリウ」
サバタが双子の名前を呼ぶ。『夢子』の少女達は、名前を呼ばれてにっこりと微笑んだ。
――久しぶり……はまだ早いのかしら?
――檻を、壊せたのね。
風で揺れる木々の葉のように、か細くもはっきりとした声が広がる。
ユキの様子がおかしい。
ジャンゴがそれを確実と思ったのは、歩き出してからしばらくのことだった。
警戒しているように何度も辺りを見回し、かすかだが手が震えていたりする。顔こそいつもの明るい顔だったが、目にあったのはおどおどとした脅えだった。
明らかに、何かを恐れている様子だった。
口に出して言えばおそらく否定されるから、今はとりあえず何も言わない。しかしいつ襲撃されても大丈夫なように、気を張り詰めさせて気配を探りながら歩いた。
無論、ユキには気づかれないようにである。幸い、彼も辺り一体をおどおどしながらも警戒していたので、こっちのことにまで頭が回らないようだ。
さっきまでのうららかな様子が一転して、張り詰めたような感じへと変わる。もうこうなると、草木のざわめきひとつも見逃せなくなっていた。
――そんな張り詰めた空気を壊したのは、一つの風だった。
「わぁっ!」
「ひゃっ!」
何の魔力もない、普通の風。気まぐれな空気の流れは、いい加減にしろと言わんばかりにジャンゴたちの頬を冷たく撫でた。その風が、固かった彼らの顔を崩す。
しばらく声のハモり具合にお互いの顔を見合わせてしまうが、しばらくして大きな声で笑ってしまった。変に臆病になっていたのが、やけに照れくさい。
そのまま笑いながら先へと進む中、がさりと草花が鳴った。今度は誰かが故意に起こした音だと解って、ジャンゴもユキも真剣な顔になる。
待つことしばし。足音の主は一向に姿を現さない。が、
空気を切り裂く荒々しい音と共に、何かが飛んできた。
「!? 伏せろ、ユキ!」
強引に押さえつけることで、ジャンゴはユキを伏せさせる。自分も頭を下げてからすぐに、空気を切り裂いた『何か』が頭上を掠める。
逃げ切れなかった髪がはらりと舞う中、ゆっくりと顔を上げようとするが、間髪いれずにブーメランのようにまた頭上を飛び越えたので、慌ててまた頭を下げる。
完全に元に戻ったのを見計らってから、ジャンゴは立ち上がって武器が飛んできた方から相手の居場所を予測する。相手はまだ遠い。
また草花を鳴らす音が鳴る。今度は地を蹴る激しい音だ。突っかかってくると予想して、ジャンゴは剣を抜いた。
電光石火のスピードで、相手が懐に飛び込んでくる。
突き出された武器は、グラムでがっちりと受け止め、そのままつばぜり合いに持ち込んだ。そこで、ジャンゴはようやく相手の姿を見る。
「女の子…?」
そう。相手は大降りの鎌をぶつけてくる少女だった。藍色の髪を背中まで伸ばした、ロングスカートが特徴的なワンピースを着た少女。
相手が女の子ならパワーで押せる、と思ったジャンゴはグラムに力を込めるが、後ろから聞こえた声で危うく力を抜きそうになってしまった。
「……ミホトお姉ちゃん……?」
ユキにそう呼ばれ、少女――ミホトシロノはにっこりとユキに微笑んだ。