彼女は思い込みが激しい

 三月も中旬になるかという頃。
 そろそろ春物のコートを出してもいいなとぼんやりと思っていると、凛花はその会話を耳にしてしまった。
「……人には言えない事をしている」
「……伊織とか?」
「……そう言う事なら……」
 会話の主は伊織陽真を抜いたジャスティスライドの三人。その中にはこっそり思いを寄せている男――魅上才悟もいたので、ついつい耳を傍立ててしまう。
「……あの人には内緒……」
「……秘密に……」
「……喜んでもらえるといいね」
 内容はよく聞き取れないが、どうやら自分には内緒にしておきたい事らしい。それでいて「喜んでもらえる」。いったい何のことだかさっぱり解らなかった。
 もっと聞きたいと思ったが、今は仕事中の身。必要以上に身を乗り出して話を聞くわけにはいかない。仕方ないので、聞き取れた言葉だけで推理してみる。
 とりあえず解ったことは、自分には内緒にしておきたい事を今しているらしい。それも、陽真と一緒に。
 何をしているのだろう。内緒にしておくべきことで、のちに喜んでもらえると思われている事。なかなか想像できなかった。
「ご主人様、ぼさっとしてないでください」
「……え? あ、ああ、そうね」
 どうやら考えに集中しすぎていたようだ。慌てて首を振って、謎の解明を心の奥底に仕舞った。
 そう言うわけで仕事に集中する。ジャスティスライドの方にも顔を出したが、彼らは素知らぬ顔で注文を受け取った。やがて、残りの一人である陽真がやってくると、彼らは少し話をしてからすぐに出て行った。追いかけて話を聞いてみたいとは思うが、おそらくはぐらかされるか何でもないの一点張りだろう。
 秘密の話。気になってしまう。そんな時、とある言葉を思い出した。

 ――人には言えない事をしている。
 ――伊織とか?

 陽真と一緒に、人には言えない事をしている。人には言えない事、つまり……。
(魅上くんと伊織くん、人には言えないようなイケナイ関係になったって事!?)
 頭に浮かぶ、裸の二人。年頃の乙女マインドは、妄想の二人の会話まで再生させる。ここまで来ると、もう止められない。
 確かにあの二人はアカデミー時代からずっと一緒だったし、遊園地以降さらに仲良くなってるのが解る。友愛が恋愛に変わる可能性も、無くはないだろう。
(私、失恋したのね……)
 今回の恋は何か違うと思っていた。しかしそう思っていたのは自分だけで、相手は自分に対して何の感情もなかったらしい。そう考えた瞬間、せき止めていたもの、こらえていたものが一気にあふれ出してしまった。
 まずい。こんな状態では接客どころか仕事すらできない。レオンには悪いが、今日は早上がりさせてもらおう。

 

 高塔戴天は困惑していた。
 ライダーステーションで機械の調子を確認していたのだが、全て終わらせたのでさあ上がろうとしたら、廊下でしくしくと泣いている凛花を見つけてしまったのだ。
 いつもなら名前の通り凛としている彼女らしからぬその姿に、慌てて近づいてハンカチを差し出す。最初彼女は唐突なハンカチにびっくりしていたが、その相手が戴天だと気づくと、素直に受け取った。
「あ、ありがとうございまず」
 まだ涙目故に最後辺りが濁っていたが、お礼を言えるぐらいには気はしっかりしているようだ。
「大丈夫ですか?」
「はい……」
 本人は返事するが、明らかにカラ元気なのが解る。いったい何があったのだろう。
 時計を見る。話を聞く余裕はまだあるので、「何かあったのですか?」と問いかけた。まだ会話はムリかなと思っていたが、予想に反して彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「実は……」
 ……正直、内容を聞いてもまだ理解しにくい。魅上才悟と伊織陽真が恋人関係になったなどと。
 しかし、実際彼らが何かしているのは確認してはいる。そしてそれを誰かに気づかれないようにしているというのも。別に重大な何かに繋がるとは思っていなかったので、そこらは流していたのだが……。
 何がともあれ。まずは、彼女の考えが思い込みに過ぎないと言う事を認識させるのが先決だろう。
「話は解りました。しかし、それはあくまで凛花さんの想像に過ぎないのでしょう?」
「……はい」
「ならば、無意味に騒ぐよりはあちらが話すのを待つのが良いと思いますよ。焦心苦慮のあまり、貴女が調子を悪くなどしたら、私を含め周りが心配します。もちろん、魅上くんと伊織くんも」
「はい」
「私もこの事は胸の奥にしまっておきます。凛花さんも、先走った行為などなさらないように」
「解りました」
 ハンカチを返してもらおうと思ったが、彼女が「洗って返します」の一点張りだったので諦める。雨竜に後で事情を説明しないといけないかな、と思いながら、その場を離れた。
 それにしても。
 魅上才悟と伊織陽真は何を隠しているのだろうか。
 凛花も三人の会話を拾った程度なので、何を隠しているのかは解っていない。内緒にしたい相手が自分なのかすら解っていないのだ。だからこそ、彼女は変な方向に考えを巡らせてしまったのだろう。
 そんな彼女を悲しませてでもやりたい事。何となく気になりはした。……が、こっちは忙しい身の上。さすがに少ない時間を割いてまで、こっちの事情に首を突っ込むわけにはいかない。仕方ないので、後で話を聞かせてもらうことにした。

 

 戴天に慰めてもらったおかげで、凛花は何とか自分の家に戻ることが出来た。
 ふらふらとベッドに飛び込むと、止まっていた涙がまたぼろぼろと溢れ出てくる。だが、今回は止める事はせず思いっきり大声で泣いた。誰もいないのだから、人の目を気にすることはない。
 とにかく泣いた。
 わんわんと大声で泣いて泣いて……気づけば泣き疲れて眠っていた。
 服が皺だらけになっちゃうな、とぼんやりと思いながら起きる。洗面所の鏡を覗けば、そこにいるのは腫れぼったい目をした一人の女だった。
「ひどい顔」
 自分で自分の情けなさに笑いが出てくる。こんなんだからフラれたんだ、と自虐した。
 そう、自分はフラれたのだ。もうあの優しい手が、自分に向けて差し伸べられることはない。仲睦まじい彼らを、後ろから見守る事しかできないのだ。
 ……と、そこまで考えて、虹顔市の同性愛問題について思いつく。
 虹顔市も多様性の時代に沿ってはいるものの、同性愛者への視線が緩いとは限らない。才悟と陽真につらい思いはさせたくなかった。
 自分にできることは何だろう。
 パソコンを立ち上げて、同性愛、ひいては同性婚のいろはについて調べ始める。まずは簡単に説明しているページから開き始め、そこにある内容をじっくりと読み込んでいった。
 気づけば凛花は寝るのも忘れ、目の前の文章を追うことに集中していた。自分がなぜ調べているのか忘れそうになるくらいに。
 そして朝。
「ふわぁぁ……」
 あくびをしながらも何とか身支度を済ませ、仮面カフェに赴く。ドアベルを鳴らしてドアを開けると、既に準備しているレオンがびっくりした顔でこっちを見た。
「ご主人様! 大丈夫なのですか!?」
「大丈夫よ」
 心配そうな顔のレオンに笑顔を向けるが、レオンの表情は変わらない。心配かけさせまいと思っているのだが、レオンには読まれているようだ。仕方ないので勢いで大丈夫だと言ってごり押した。
「化粧もしたから顔とかもバレないでしょ?」
 カウンターに回って囁くと、レオンは「まあ、そうですが…」と渋い顔になる。これはしばらくは心配かけさせるなと内心頭を抱えた。
 そんな感じで仕事を回していると、昼頃になって才悟と陽真がやって来た。いつも通りの様子だが、仲睦まじいと言えば仲睦まじい。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
 いつも通り注文を取りに行くと、相手もいつも通りのメニューを注文してきた。注文を受け取ってそのまま厨房に戻ろうとすると。

「来週、暇か?」

 才悟がこっちをまっすぐ見ながら聞いてきた。
 いつもと変わらない真摯な眼差しにくらりと来るが、鋼の精神で耐える。相手はこっちに気がないのだから、変な期待はするだけ無駄だ。
 それにしても、急に来週の予定を聞いてくるのは何故だろうか。来週はいつもと変わらずカフェの仕事なのだが、何かあるのだろうか。
「普通に仕事よ。それが?」
「少し時間を空けてほしい」
「……?」
 続けて変な事を言ってくる。いったい何をしたいのだろうか。
(もしかして、伊織くんとの交際について話すとか?)
 本格的に付き合うことを発表したいとか、誓いの間で誓い合いたいとか、自分でないと話せない何か。
 胸が痛む。
「大丈夫か?」
 才悟が再度尋ねてきたので、泣きそうなのをこらえて頷いた。

 

 翌週。
 待ち合わせの中央公園に着くと、既に才悟が待っていた。
「待たせちゃってごめんなさい」
「いや、オレはさっき来た」
「そうなの?」
「ああ」
 ささやかな会話を交わしている間に気づく。才悟の周りに誰もいない。
 ジャスティスライド全員がいないのは解るが、陽真がいないのは謎過ぎる。てっきりここで交際の事を話すと思っていたのだが。
 自分がきょろきょろしているを不思議がったか、才悟が「どうしたんだ?」と聞いてくる。誤魔化す必要もなかったので、一人なのかを聞いた。
 すると才悟は何故か少し落ち込んだような顔になった。
「一人だが……他の誰かに用なのか?」
「え、ええっと、いつも伊織くんと一緒だし、伊織くんいないのかなって」
「いないが……呼んだ方がいいか?」
「そうね……呼んだ方がいいんじゃない? あなたにとっても」
「オレにとっても? 何故だ?」
 ……何か話がかみ合っていない気がする。
 自分が伝えたい事、才悟が伝えたい事。それがどうもずれているような気がするのだ。
 どっちが正しいのかは解らない。ただ、どうやってそのずれを指摘し、直していけばいいのか……。
「魅上くん?」
「ああ……」
 困った顔で眉根を寄せる才悟。これはどうするべきかとこっちも眉根を寄せていたら。

「ああもう、じれったいなぁ!」

 どこからともなく現れたのは陽真。その後ろで紫苑と慈玄が困った顔をしていた。
「伊織くん」
「もう才悟、さっさと渡しちゃえよ! 何とか買えたんだろ!?」
「確かに買えたが。まだ当日では」
「このままだとぐだぐだなままだって!」
 軽い言い合いになる陽真と才悟。置き去りにされた凛花は二人のやり取りを見守るしかない。それでも声をかけようとしたら、二人の後ろにいた紫苑と慈玄が黙って見ていろとジェスチャーしてきた。
 やがて話がまとまったか、才悟がごそごそとジャケットのポケットから小さな箱――リングケースを取り出した。それを開けると、出てきたのは灰色の宝石――グレースピネルが嵌められた指輪。

「誕生日おめでとう。皇凛花」

「……え?」
 唐突なお祝いの言葉に、凛花の思考が完全にストップする。指輪? 誕生日? これは一体?
「皇凛花、どうした? これは……駄目だったのか?」
 才悟に心配そうに顔を覗き込まれて、ようやく止まっていた意識が動き出す。しかし目の前の指輪と、才悟たちの隠し事がどうしても繋がらない。……いや待て?
「誕生日?」
 慌ててライダーフォンの待ち受け画面を見る。……三月二十日。
「……あ」
 忘れていた。忙しかったからとか言い訳はいくつもあるが、自分の誕生日を失念していたとはとんだ大間抜けだ。
 しかし才悟たち……少なくとも才悟は覚えていた。そしてそのプレゼントを用意してくれたのだ。
 と、そこまで考えて、彼らの会話の一部を思い出す。「喜んでくれるといいね」から組みあがっていく想像。そこから導き出される答えは。
「……もしかして、サプライズでこのプレゼントを渡したかったの?」
 こくりと頷く才悟。その顔……特に耳が赤かった。
「一か月前にジュエリーショップでこれを見かけて、キミに似合うと思ったんだ。だけど高くて、オレの手持ちでは買えなかった」
 そこからぽつりぽつりと話す内容は、こうだった。
 困って陽真に相談したところ、内職や日雇いバイトで金を稼ごうと言うことになり、それから連日働いては金を稼いで貯めていたらしい。
 本当は才悟と陽真二人だけで金を貯めるつもりだったのだが、あくびを見とがめられてからは紫苑と慈玄にも話す羽目になったのが、あの時の会話の真相だった……というわけだ。
 無事に購入できたのは先週。そして今日、サプライズで渡す舞台として誕生日会の事を話そうとしたと言う事だった。
「そうだったの……」
「キミが何を勘違いしたのかは知らないが、悲しませたらしいのは知っている。本当に済まなかった」
「い、いいの! 私こそ勘違いしてごめんなさい」
 どういうルートかは知らないが、自分が泣いていたことまで知っていたらしい。頭を下げる才悟に、凛花は慌てて首を横に振った。こんな状態では、まさか才悟と陽真が恋人同士になったと思っていたなんて言えたものではなかった。
 ともあれ、彼らの謎の会話の意味も解った。二人の関係も、おそらく今まで通り親友同士のままなのだろう。自分の恋が終わったわけではないと言うことに、内心安堵の息をついた。
「ありがとう。嵌めてみていい?」
「ああ」
 改めてお礼を言ってから、指輪を手に取る。そのまま右手薬指に嵌めようとするが。
「違う。こっちだ」
 才悟に指輪を取り上げられ、「正しい」場所に嵌められる。――左手の薬指に。
「「!?」」
 これには全員が絶句する。今まで後ろで様子を見ていた紫苑、慈玄も飛び出して、才悟に詰め寄った。
「お前、何て処に指輪を嵌めるんだ!」
「何て処? 何故? 女性はここに嵌めるのだろう?」
「魅上くん、そこは恋人同士が嵌める場所なんだよ」
「だが浄は変身する時、ここにカオスリングを嵌めているが」
「あの人は特別なんだってば!」
「? よく解らない」
 どうやら才悟は才悟なりに考えて、嵌める場所を選んだらしい。ただ、無知故にこんな騒ぎになっているのだが。
 いつも通りなジャスティスライドのやり取り。それが平和の象徴のように見えて、とても愛おしい。
 思わずくすくすと笑いながら指輪を外し、首を傾げたままの才悟に手渡す。
「魅上くん、私はいつも魅上くんがカオスリングを嵌めてる場所がいいわ。そこに嵌めてくれる?」
「そこでいいのか?」
「ええ」
 恋人同士がつける左手薬指もいいが、才悟とお揃いの場所である右手薬指に指輪を嵌める。それが何よりも力になる気がしたのだ。
 右手を差し出すと、才悟がさっきよりか幾分丁寧に指輪を嵌める。
「ありがとう。大事にするわ」
 笑顔でお礼を言うと、才悟だけでなく陽真たちもほーっと安心のため息をついた。
 凛花は改めて指輪を見る。灰色の宝石は、見てるだけで安心できそうな輝きを持っていた。

 

「そうですか、誕生日プレゼントを……」
『はい。恥ずかしいですが、私は大きな勘違いをしていたようです』
 夜。
 戴天は凛花から電話で事情を聞いていた。真面目な彼女らしく、事が終わった後にこうして報告の電話をくれたのだ。しばらく音沙汰がなかったので、忘れられてたのかと思ったのは秘密だ。
 それにしても。
 誕生日プレゼントに指輪を贈る辺り、魅上才悟が彼女を慕う気持ちはこちらの予想以上のようだ。若い男女の恋愛模様は、何時の時代も人の予想を超えてくる。
 と。
『……戴天さん、私思うんです』
 凛花が話を切り替えてきた。
『今回は私の勘違いでしたけど、いずれ本当にそう言う感情を持つライダーたちが現れてもおかしくない。そんな時、彼らの壁になるようなものは、少しでも減らしておきたい。そう思うんです』
「……と言うと?」
『虹顔市だけでも、同性婚を許可できるように、動こうかと』
「……ふむ」
 これは意外だった。
 彼女は彼女なりに、ライダーたちの未来について考えることがあったようだ。同性婚というのはぶっ飛んではいるものの、皆が皆そのような関係にならないと断言できないわけではない。その時に起こるであろう摩擦を少しでも排除したいと思うのは、エージェントとして当然の考えなのかも知れない。何故なら、少しでもライダーたちをサポートするのが彼女の使命なのだから。
 戴天は慎重に言葉を紡ぐ。
「考えてみる価値はあるでしょう。しかし……」
『しかし?』
「非常にデリケートな問題ですからね。少しずつ、問題を紐解いては解決していく必要があります』
『急いては事を仕損じる、ですね』
「ええ」
『重々承知です。それでは……』
 電話は切られた。
 気づけば溜め込んでいたため息を思いっきり吐き出す。今に限って雨竜が傍にいなくて良かった、と戴天は心底思った。
(ライダーたちのためにサポートする。そのために身を削るのは良い事なんですがね……)
 削り過ぎて、こちらを心配させるということまで頭が回っていない。特に一番傍にいるであろうあの青年の気持ちにまで、頭を回すことはないのだろう。

 やはり彼女は思い込みが激しいようだ。