魅上才悟、風邪を引く

「だーかーら、ちゃんと休んどけって言ったんだ」
 それを伝えた時、伊織陽真が開口一番言ったのはそれだった。
 すまない、と頭を下げる魅上才悟。その手にあるのは「38.2℃」とくっきり記された体温計。誰がどう見ても熱がある状態だ。
 なぜこうなったかと言うと。単純な話、才悟が仮面ライダー屋の仕事で水に濡れたままトレーニングをしたためだ。水に濡れたままだと風邪をひく、そんな初歩的な事を、才悟はすっかり忘れていたのだ。
 ごほ、と咳を一つする才悟。前なら普通に起き上がって、仕事やらトレーニングに行こうとしたのだが、今は大人しく布団の中にいる。少しは学んだようだ。
「とにかく、今日は大人しく寝てろよ」
「解った……」
 本当なら面倒を見たいところだが、あいにく今日は仮面ライダー屋の仕事が入ってしまっている。今回は重要そうな仕事だし、一つキャンセルしてしまうと連鎖的に仕事が来なくなる可能性もある。外せない用事だった。
 さてどうするか。
 ちょっと考えて、すぐに代案が頭に浮かぶ。ライダーフォンを取り出して、お目当ての相手に電話をかけた。
『もしもし?』
 コール二回でお目当ての相手……エージェントの少女が出た。

「魅上くんが風邪を?」
『そうなんだよ、昨日ちょっとバカやらかしてさ』
 伊織陽真の言うバカが何となく理解できたが、そこは言わないでおく。またずぶ濡れ状態から身体を乾かさなかったのだろう。
 彼が言うには、自分が面倒を見たいところだが、あいにく仮面ライダー屋の仕事があってそれができないとの事。しかし家に才悟一人を残して行くにはあまりにも不安、ということで、看病しに来て欲しいとの事だった。
「なるほどね……」
 事情は分かった。しかし、一応自分も仮面カフェの仕事がある。幸運にも今日は団体客の予約など、人手が足りなくなるような状態ではないのだが、あくまで予定は予定。何が起こるかは解らない。とはいえ、風邪を引いた才悟を放置するなんてもってのほかだ。
 ……と、そこまで考えて、少女は別の仲間の存在を思い出した。
「深水くんや蒲生くんには連絡したの?」
『え? あ、あー……忘れてた。聞いてみるからちょっと待っててくれ』
 いったん電話が切られる。ぷつりという音を聞いた瞬間、思わずため息が出てしまった。
 才悟はまた無理したようだ。彼は「無理などしていない」と言い張るだろうが、彼はたまに自分の限界を鑑みないでトレーニングをしたり戦ったりする。その都度全員で諫めたり注意したりしているのだが、そう言うのは頭からすっぽ抜けるのだろうか。
「変なところ子供なんだから」
 思わずつぶやいた瞬間、ライダーフォンが鳴った。取り落としそうなのを慌ててキャッチして、通話ボタンを押す。
『お待たせ! 紫苑たちに聞いたけど、あの二人も別件で家を空けるから、丸一日看病は無理らしいんだ』
「交互に看病とかも無理なの?」
『午後、二人とも用事があるんだって言ってた』
「そう……」
 仮面ライダー屋の仕事か何かは解らないが、三人全員が才悟に付きっきりとはいかないようだ。となると、やはり自分が行かないといけないか。
 思わず隣のレオンに視線を向けるが、レオンは何故かにこにこ笑うだけ。その笑みに何かのたくらみのようなものを感じたが、深く考える余裕はない。
「じゃあ、私が行くわ」
『そうか。マジサンキュー!』
 安堵したのだろう、陽真の声が明るくなる。その声を聞くと、自分が力になれているのだとほっとできた。
『鍵はかけていくから、合鍵で入ってきてくれよ』
「ええ」
 もしもの時のために、とジャスティスライドは自分の家の合鍵を預けてくれている。困った時に使ってほしいと言われているので、今がその時だろう。
 レオンから仮面カフェの水と、お粥に使う具材を貰ってから、家を出た。本当はレオンが車を出すと言っていたのだが、レオンはレオンで仮面カフェの仕事をしてほしいと説得し、自転車で才悟たちの家へと向かう。
(魅上くん、寂しがってないかしら)
 普段の才悟なら有り得ないとは思うが、病気になると人は不安になるもの。そういう時こそ、自分が支えてやりたかった。何せ、自分にはそのくらいしかできないから。
 きこきこ、きこきこ。
 自転車をこいでいると、少しだけ気分が楽になった。

 さすがに熱がある状態で、あれこれできない。なので、食事を取って薬を飲んだらすぐに寝た。
 熱で倒れたのは初めての経験だ。前もずぶ濡れになったことはあるが、その時はあの少女に会ってすぐに服を乾かしてもらい、美味しいお粥もご馳走になった。その時、こうなったら暖かくして早く寝ろと言われた。
 今回は、どうしただろうか。
 仮面ライダー屋の仕事……子供たちの送迎をしていた時、子供たちを庇って水を被ってしまった。というのも、一昨日は本降りの雨のせいで道路が水たまりだらけだった。そこに車がスピードを上げて走るものだから、それによって水が大きく跳ねたのだ。
 前回とは違って濡れたのは一部だけだと判断してしまい、トレーニングを優先してしまった。天気も晴れだし、すぐに乾くだろうと言う浅い考えのままで。その結果がこのザマだ。
 今、この部屋にいるのはぼんやりと目が覚めた才悟一人だ。
 伊織陽真は仮面ライダー屋の仕事に出かけている。「本当は看病したいんだけど」と出かける時まで言っていたが、才悟は別にいらないと言って彼を送り出した。
 そう、別にいらない。はずだった。
(何だろう)
 いつもなら当然なはずの一人が、何故か心細い。
 身体を動かせないからか、何となく鬱々とした気分になってくる気がした。ああ、そう言えばランニングに出かけていない。体調が悪いとはいえ、トレーニングを何一つできていないのは、生まれて初めてだ。
(……寝よう)
 この気持ちはよく解らないが、とにかく寝る事にした。寝て体力を回復すれば、少しは身体を動かせるだろうし、何より気分も晴れるはずだ。
 目を閉じると、まだ眠かったのかうとうととしてくる。このまま寝れるかと思った時。

 がちゃ

 何かが開く音がした。半分寝ている頭ではそれが何なのか理解できず、ぱたぱたと言う音で誰かが上がりこんできたとようやく解る。
 確かめたい。でも身体が動かない。そのまま寝てしまおうかとも思うが、やはり誰が来たのかは気になってしまう。そんな感じでうとうとしていると、夢を見た。
 寝ている自分に誰かが近づいて来て、優しく声をかけてくる。何を話しかけてきているかは解らないが、自分を心配してるのはよく解った。暖かい手のひらを自分の額に当ててくる。
 この人は誰だろう。解らないのに、何故か言葉が口に出た。
「……おかあさん……?」

「お母さん……?」
 才悟の口がそう動いたのを見て、思わず違うと言いそうになった。しかしすぐに才悟にも母親の記憶があるんだと思い直す。
 改めて才悟の様子を見ると、顔は赤いが呼吸は落ち着いている。恐らく熱があるだけで、他は問題ないのだろう。ほっと胸をなでおろした。
 今のうちに作っていたお粥をよそおうとすれば、才悟がうう、と唸って目を開く。
「……エージェント?」
「あ、起きた?」
「ああ……」
 起き上がろうとするのを手で押さえる。熱はあるのだから、無理はさせられない。才悟もそれが解っているのか、暴れたりせずに大人しく布団の中にもぐり直してくれた。
 クールシートを新しいのに張り替える。
「お腹空いてる?」
「解らない」
「朝ごはんは?」
「食べた」
 短いやり取りと、今の時間で彼の空腹度を何となく予想する。やっぱり食べさせた方が良いな、と判断して、台所からお粥をよそって持ってきた。なお今回のお粥は中華粥だ。レオンのレシピ通りに作ったから、不味いと言うことはないはず。
 食べられるか目で聞いたところ、大丈夫と返って来たので体を起こした彼の膝の上に置いた。2、3回咀嚼する音が聞こえたかと思うと、ごくりと飲み干した。
「うまい」
「そう? 前のと違うのだから口に合わないかなと思ったけど、大丈夫みたいね」
「キミの作ったものは何でもうまい。だから心配していない」
「え」
 唐突な言葉に固まった。自分の作ったものは何でも旨い。そう言ったか? 真意を問い質したくなったが、当の本人はお粥を食べる事に夢中で、先ほど言った言葉など既に忘れているような感じだった。
 胸がときめく。抑えていた気持ちが、少し滲み出そうになってしまう。たかだか看病で、こんな気持ちになるとは思わなかった。
 肝心の才悟は何も気づいていないのだろうけど。

 食事が終わったら、汗で濡れた寝間着を取り換える事にした。
 服は洗濯機の近くにあると聞いたので、そこで才悟の着替えとタオルを見つける。部屋に戻り、才悟に手渡した。
「着替えはできる?」
「問題ない」
 今着ている寝間着を脱ぎ出したので、慌てて背中を向ける。才悟は不思議に思ったのか一瞬動きを止めたようだが、すぐに衣擦れの音が響いた。次いでタオルで汗を拭く音も。
 待つことしばし。衣擦れの音が消えたので、才悟の方を向く。着替えを済ませた才悟が、もそもそと布団に潜り込むところだった。
「熱も測りましょうか」
「解った」
 近くのテーブルに置きっぱなしだった体温計を取り、才悟に渡す。彼はそれを受け取り、懐に入れた。
 音が鳴って出してみれば、「37.5℃」の数字が出ていた。薬を飲んで寝たことで、だいぶ下がったようだ。しかし、まだ一時的なものだと見ていいだろう。
「まだ寝ていてね」
「解っている」
 本当かしら、と内心不審に思ってしまう。
 これが紫苑や慈玄なら大人しく寝るんだろうなと思うが、才悟は解らない。うっかりしていると、外にトレーニングに行きかねない。とりあえず、彼が寝るまでこのまま見ていようと思った。
 しばらくはお互い何も話さない、だが寂しくない心地よい沈黙が辺りを満たす。外から差し込む光は暖かく、ふとすれば自分が寝てしまいそうになる。
「……不思議だ」
 寝転がっている才悟がぽつりとつぶやいた。
「寂しくない」
「? どういう事?」
 思わず聞いてしまうが、才悟は答えない。独り言かなと思っていたら、その顔がこっちの方を向いた。
 竜胆色の目が、まっすぐこっちを見てくる。
「さっきまで、オレは寂しいと言う気持ちがあった。だけど、今は寂しさがない。だから、不思議なんだ」
「……そう」
 才悟の言葉には心当たりがある。自分も小さいころ、病気で臥せっていた時に母親が傍にいるだけで寂しさが消えたのだ。今の彼も、同じような気持ちなのだろう。
「今は寂しくないの?」
「ああ」
「なら良かったわ」
 そっと頭を撫でると、才悟の顔が少し緩んだ。まるで子供をあやすような感じだが、今の才悟は子供と同じ。
 こうして傍にいてあげるべきなのだ。

「……このまま、寝るまで頭を撫でてくれないか?」
「いいわ」
「ありがとう」