夕闇の赤は、全てを紅へと染め上げていく。
ようやく合流できた「相棒」はこの世界を「いい場所」と言うが、ブレイズは特にそう感じられなかった。確かに人々は笑って生きているが、それだけでいい場所と思えないのだ。
――心が穢れているのだろうか。
ふと、そう考える。こんな些細なことでも「いい」と思えないのは、純粋ではない気がする。だからそう思えない自分は、きっと心が穢れてしまった汚い存在なのだろう。
もし純粋なら……
「どうしたんだ? ブレイズ」
相棒の少年――シルバー・ザ・ヘッジホッグに声をかけられ、ブレイズは思考を現実に戻した。いつしか染み付いていた弱気を、頭を振って追い払う。
「少し考え事をしていただけだ」
「え、何か気になることがあったのか?」
向けられる自分と同じ色の瞳。濁りも歪みもないそのまなざしは、彼の純粋さがいまだ損なわれていない証だった。
彼は、とても「純粋」だと思う。
あんな世界で生まれ、異質な力を持ったことを嘆くこともなく、その力で平和をもたらそうとひたすらに戦う。この世界の全てを素直に受け取り、未来への活力へと繋げていく。
物語の英雄と言うのは、きっとこんな感じなのだろう。どれだけの苦難が降り注いでも、決して揺るがない絶対的な存在。
(英雄と言い切るには、まだ青いし無邪気すぎるがな)
この世界の物全てが珍しいのか、彼は何にでも興味を示す。実際、彼は日が落ちるソレアナの景色に見とれていた。
晴れた青い空を「とても美しい」と言い、
小川のせせらぎや風のざわめきを「きれいな音」と言い、
休憩のために入ったカフェのスイーツを「こんな美味しいの食べたのは生まれて初めて」と言い、
行き交う人々の会話を「人々が力強く生きている」と言う。
どれもこの世界では「普通」のことだ。ブレイズにとっていつも通りで見逃すことを、彼は素晴らしいと言うのだ。
あの時代の悲惨さは身に染みて解っているつもりだ。それでも、一つ一つを拾っては喜び、感動するのはやや大げさな気がしないでもない。
しかし、彼の瞳に宿る感情は嘘一つない。あの時代の人間からは決して見れない感情の流れが、彼にはまだ残っているのが解る。
(そう言えば、この時代に来てから、表情が明るくなった気がする)
自分とは対照的に、彼は表情と感情がとても豊かだ。怒りたい時には怒り、笑いたい時には笑う。ただ、あの時代では笑う時があまりにもなかったけど。
……そう。笑う時があまりにもなさ過ぎた。
彼は出会った時からずっと、勝ち目のない戦いをしていた。不死の存在を相手に、希望だけを胸に延々と戦い続けてきていたのだ。
不死の存在。
はたして自分達は、奴を完全に滅ぼすことが出来るのだろうか。原因を断つことが出来るのだろうか。
今自分達は後者を成し遂げるために行動している。だが彼は、その後者と関わり合いのある者と知り合った故に揺らいでしまった。
青い男だと思う。しかしその青さは、彼の魅力だとも思う。あの時代で生きながらも、彼は決して優しさを失わない強さを持っている。
(……だが)
ブレイズは気付かれないようにため息をついた。
その強さがいつまで続くか解らない。イブリースは不死の存在だが、自分達の命や心は限りがあるのだ。
長い戦いは体力だけでなく心も消耗させる。今は笑顔や優しさを見せる彼が、これからもずっとそのままでいられるとは限らない。
時が流れるにつれ感情も表情も失い、ただイブリースを倒すという目的だけで動く。何故そう思ったのかすら思い出せない機械となった彼の姿が思い浮かび、寒気が走った。
(そんなのは……嫌だ)
夕焼けに見とれる相棒の横顔を横目で見ながら、ブレイズはまた物思いに沈む。
(今見ている顔も、これきりかも知れないなんて)
素直な表情も豊かな感情も優しい心も、今はまだ奪われていない。ささやかな希望が彼の支えになっているが、その希望もいつ消えるか解らないものだ。
彼の表情が、心が失われる。その時が来るのが、怖い。
もしかしたら今度こそイブリースを倒せるかもしれない。世界を平和にすることで、彼も本当に笑えるようになるかもしれない。それでも、今のその顔が失われるのが、怖い。
「シルバー」
思わず名前を呼ぶ。それを拾った彼が、美しい光を浴びたままこっちを向いた。
「何だ?」
「もし……」
次の言葉が浮かんだ瞬間、ブレイズは勢いよくそっぽを向いた。間抜けな姿を晒したが、こぼれそうになった言葉を言わずに済んだだけマシなはずだ。
――今、私は何を言おうとした?
頭に浮かんだ言葉をもう一度浮かべた瞬間、顔が青ざめていくのが自分でも解った。
それはあまりにも恐ろしい、禁じられた言葉。
『イブリースを倒すのはやめて、ずっとこの時代で暮らせばいいんじゃないのか?』
言わなくてよかったと、心の底から安堵する。
もしそんな言葉を口にすれば、彼の闘志を萎えさせてしまう。それどころか、彼の存在意義の否定に繋がるかも知れなかった。
言ってはいけない。だけど頭に浮かんでしまった、暗い誘惑。
「忘れてくれ」
視線をそらしたまま言えば、彼が首をかしげながらもまた風景に目を向けるのが解った。ブレイズはその横顔を、もう見ることが出来なかった。
夕闇の赤は、全てを紅に染め上げていく。
この赤の中に彼を閉じ込めてしまいたいと思うのは、きっと自分が「穢れて」いるからだ。
「ずっとこうして見ていたいものだな」
お前と一緒に、とは言えなかった。
彼の顔がまぶしくて見えないのは、自分の心が穢れている証拠なのだろうとブレイズは思った。