禁じられた言葉 - 1/3

 炎の赤で染め上げられた空は、いつも通りの光景。
 最近ようやく息が合ってきた「相棒」はこれを地獄と言うが、シルバーにはその実感があまり沸かない。確かにこの光景は異常だと思うが、延々と続けばそれが「いつも通り」と認識してしまうのだ。
 ――心が壊れているのだろうか。
 ふと、そう考える。こんな「地獄」で生きていられるのは、まともな生物ではない。だからここで生きている自分は、きっと心が壊れた異常な化け物なのだろう。
 もしまともでいられるとしたら……
「どうした、シルバー」
 相棒の少女――ブレイズ・ザ・キャットに声をかけられ、シルバーはびくりと震えた。いつしかにじんでいた弱気を、頭を振ることで追い払う。
「悪い。考え事してた」
「そうか」
 たった3文字の短い返事。「機能性」や「シンプル」に重きを置いたかのようなその言葉は、彼女の冷静さがいまだ健在だと言うことを示していた。
 彼女は、まだ「まとも」だと思う。
 こんな世界に放り出され、自分の力と災厄が同じという皮肉にも負けず、ただ己のやるべきことを冷静にこなす。この世界を「地獄」と評し、壊れた人々に責められても決して揺るがない。
 物語の勇者と言うのは、きっとこんな感じだろう。どれだけ手を伸ばしても、決して届かない神聖なる存在。
(……そういや、お姫様なんだっけか)
 暇つぶしか気を紛らわせるためか、彼女はたまにぽつぽつと自分のことを話す。断片的ではあるが、それでも何も知らなかった時よりかは彼女を理解できた気がする。
 曰く、彼女は異世界から来たこと。
 曰く、彼女は皇女であること。
 曰く、彼女は生まれつき炎を操る力があること。
 曰く、彼女は世界の至宝を守り、操ることが出来ること。
 どれもこの世界では縁の遠い話だ。特に世界の至宝と言われても、シルバーにはぴんとくるものがなかった。
 皇女だというのもどうもぴんとこない。この世界では国とはほぼ形を成しておらず、必然的に王族などの制度も形骸化していた。「お姫様」も、童話の存在でしかなかった。
 だが彼女から感じられる高貴さと気高さは、その「お姫様」にふさわしいものだ。それは疎いシルバーでもよく解る。
(こんな状況でもなければ、「身分の差」ってやつで会話も出来なかったんだろうな)
 サイコキネシスぐらいしか特徴のない自分は、いわゆる一般市民というやつだ。もし平和な世界だったとしたら、自分と彼女はこうして出会うことすらなかっただろう。
 ……いや、そもそも住む世界からして、自分と彼女は大きく違う。
 彼女は異世界からの来訪者だ。いつまでも一緒にいられるわけではない。全てが終われば、元の世界に帰ってしまうのだ。
 全てが終わる時。
 それはイブリースを倒した時だろうか。それとも、自分が天寿を全うした時だろうか。
 後者は有り得ないよな、とシルバーはこっそり自嘲気味に笑った。彼女がここに来たのはいわゆる事故だ。自分が呼んだわけではない。
 イブリースを倒した時。それがきっと、彼女が元の世界に帰る時なのだろう。そしてそれは、二人の別れの時に他ならない。
(別れ……)
 その言葉に、思わず身震いした。
 彼女との別れは、その縁が切れるということだ。自分から彼女の世界に行く方法がない以上、彼女が元の世界に帰れば再会する手立ては一つしかない。
 再会する唯一の方法は彼女がこっちの世界に来る事。だが、嫌な思い出しかないだろうこの世界に喜んで来る者がいるだろうか。
 さようならお前のことは忘れない、とそんなありきたりな言葉を残して帰り、ひょんな事しか思い出されない。そんな未来が簡単に想像できる。
(嫌だな、そんなの)
 前を歩く相棒の尻尾の動きを何となく目で追いながら、シルバーはまた物思いに沈む。
(……オレは、ずっと一人だったもんな)
 両親も友も過去の記憶も、全て炎が奪っていった。今も炎が色々なものを奪っているが、唯一目の前の相棒だけはいまだ奪われていない。
 だが、いつかは時と事情が自分から彼女を奪うだろう。それが、怖い。
 イブリースを倒せば平和になり、また自分に何か大事なものが手に入るかもしれない。それは物かもしれないし、者かもしれない。それでも、いつか来る彼女との別れという喪失が、怖い。
「なあ」
 思わず言葉が口に出る。それを拾った彼女が、こっちの方を向いた。
「どうした」
「もし……」
 次の言葉をつむぐ瞬間、シルバーは慌てて自分の手で口を塞ぐ。変な姿を見せてしまったが、頭に浮かんだ言葉を出さずに済んだだけマシのはず。

 ――今、オレは何と言おうとした?

 こぼれかけた言葉を口の中で転がした瞬間、暑いのにも関わらず冷や汗が流れるのを感じた。
 それはあまりにも恐ろしい、禁じられた言葉。

『もしずっとイブリースを倒せなければ、あんたはずっとこの世界に留まってくれるのか?』

 言わなくてよかったと、心の底から安堵する。
 もし口に出していれば、彼女は軽蔑の瞳でこっちを見てくるだろう。気でも触れたか、と一蹴するかもしれない。
 言ってはいけない。だけど頭に浮かんでしまった、暗すぎる誘惑。
「ごめん、何でもないんだ」
 首を横に振って、笑顔を見せる。もう何も考えないほうがいい、とシルバーは心底思った。
 彼女は首を傾げたが、「それならいい」と断ち切って前のほうを見直す。シルバーも釣られて前へ視線を移した。
 炎の赤で染め上げられた空は、いつも通りの光景。
 自分が「壊れた」のも、この空のせいだろうか。
「ブレイズ」
 彼女の名前を呼ぶ。
 その彼女の姿がぼやけて見えるのは、自分の心が壊れている証なのだろうとシルバーは思った。