「あ、ルナちゃん? ちょっと出れるかな……」
某月某日。
ミソラはオフの日に、ルナに電話をかけて呼び出した。
場所はソロと一緒に飲んだバーが良かったが、あいにく昼間から飲むわけには行かない。そこで、個室が取れる定食屋を選ぶことにした。
ルナは仕事中だったが、何とか時間を割いて行くと返事があった。これがただのランチ会なら断られただろう。
ミソラも当然そんな理由で、今話題の人気社長を呼び出すつもりはなかった。彼女を呼び出すのは、それなりに大きな理由があった。
――結婚式の帰り道で、ソロに会ったの。
そう告げると、彼女は「あと一時間待って」と返してきた。なかなか会えない友の話を聞きたい……だけではなく、ミソラが含みを持たせた言い方に反応したようだ。
集合場所を伝えると彼女も知っていた場所らしく、そこなら予約を取っておくと言われた。持つべきものはコネをたくさん持つ友だ。
そして一時間後。
ミソラとルナはとある定食屋の個室で、コーヒーを飲んでいた。時間はまだ十一時。食事を取るかは、これからの話次第だ。
(食べられる余裕があるかどうかも解らないし)
少しだけ減ったコーヒーを覗き込みながら、ミソラは心の中でぼやく。
「改めてだけど、結婚おめでとうね」
「ありがとう。新婚旅行は落ち着いてからなんだけどね」
「仕事忙しいの?」
「貴女と同じくらいにね」
しばらくの間は当たり障りのない会話を楽しむ。香りのいいコーヒーが、さらに二人の会話を弾ませた。
だが、いつまでもそんな事を続けているわけにもいかない。二杯目のコーヒーを注文してから、改めて話を切り出そうと口を開くが。
「ソロ、元気にしてた?」
ルナの方が先に話を切り出した。彼女もかなり気になっていたらしい。
「う、うん。ルナちゃんとスバル君が結婚した事、知らなかったみたい」
「そう……。招待状、届かなかったのね」
「招待状?」
「彼だって友達だもの。招待状を送るのは当然でしょう?」
何の迷いもなく言い切るルナに、ミソラは内心敵わないなと白旗を上げた。
彼女はいつもこうだ。自分が気に入った、善人だと思った人物は何の疑いもなく信じる。人の本質を見抜く目が確かなのだ。
「来ないとは思ってたけどね」
そのルナが、ため息を一つつく。
人嫌いのソロが、個人的な事情もなく人だらけの場所に来ることはない。ルナも重々承知だが、それでも招待状を送ったようだ。
届かなかった理由は解らない。しかし、仮に届いたとしても彼は普通に捨てたのではないかとミソラは思った。
タイミングよく、二杯目のコーヒーが届く。
「結婚の事話したら、さすがにちょっと驚いてたよ。まあ、表情は相変わらずだったけどね」
「……想像つくわ」
お互い顔を見合わせて苦笑する。ある意味単純で解りやすい男だ。
ひとしきり笑った後、ルナが真剣な眼差しでミソラを見た。
「で?」
「??」
「それ以外にもあるんでしょ? ソロと会って、何かあったの?」
……思わず息を呑んだ。
ルナに言う事は覚悟を決めていたはずなのに、いざ問われると怯んでしまう。悪い事をしたわけではないのに、罪悪感のような何かがのしかかって来た。
一旦大きく深呼吸をする。コーヒーで喉を潤してから、一つずつ話し始めた。
「会って、ちょっと話したよ。それから……」
話を切り出すと、止まらなかった。
スバルにルナとの結婚を告げられてもそれほどショックを受けなかった事、それをぶちまけたらソロに反論された事。
ソロの反論とバーテンダーの言葉で、自分を見つめ直そうと考えた事。そして……。
「一緒の部屋で、一緒のベッドで寝た」
ルナが息を呑んだのが解った。
「……そういう事?」
「……そういう事です」
さすがに直接言うのは恥ずかしくて遠回しで言ったが、すぐに察してくれたらしい。思わず顔を近づけ合い、小声で話してしまう。
「酔った勢いってのはあるけど、別にスバル君の代わりってわけじゃないの。あの時は、本当に彼じゃないと嫌だって思った」
あの時、と付けているが、今も彼以外の誰ともセックスしたいとは思っていない。例えそれがスバルだったとしてもだ。
「ソロの方はどうだったの?」
「解んない。だけど、悪い反応じゃなかったよ。その……テクニックもあったから、気持ち良くしてくれた」
「そう……」
さすがに延々と続けていると、遠回しな言葉でも恥ずかしくなってくる。ミソラは話を一旦止めて、ルナの方を見た。
ルナは恥ずかしさで少し顔を赤くしているが、目だけは真剣なものだった。セックスの内容よりも、ミソラとソロが一線を越えた事そのものを考えてるのかも知れない。
ふしだらな女と軽蔑しただろうか。ミソラは今までの言動やスバルへのアプローチを思い出し、深くため息をついてしまった。
だが。
「……それでいいのよ。きっと」
彼女の口から吐き出された言葉は、予想外なものだった。
「ソロと寝たことは驚きだけど、こういう形でもないと、貴女はずっとスバル君に全部押し付けて寄りかかっていたもの」
「……どういう事?」
ルナの言う事がいまいち解らず首をかしげていると、彼女は「言葉通りの意味よ」と答えた。
「ボーイフレンド、人生の師、恋人、伴侶、その他もろもろ。貴女はそれらを、全部スバル君一人にやらせようとしていた」
ようやく。
ようやくミソラは、自分がずっと抱えていたもやもやの正体を理解できた気がした。
愛する母親を喪い、一人自暴自棄になっていた。そんな時に「自分と同じだ」と教え諭してくれたスバルに、光を見た。
その光を初恋だと信じ、自分の一番大事なものをスバルと定めた。その光を、絶対に手放すまいと必死になった。光――スバルを独り占めしたかった。
だってスバルが居れば自分は安心できるから。
何かあっても、スバルに縋りつけば良かった。スバルは苦笑いしながらも、自分のために何かしてくれたから。
頼りになるヒーローは、いつでも頼りになった。こっちが頼み込めば、恋人のふりもファーストキスも全部やってくれた。
親友の言葉を借りるなら、ボーイフレンドも恋人も永遠の伴侶も人生の師も、全部スバルにやらせようとしていたのだ。
だがスバルは神でも超人でもない。ヒーローではあるが、自分と同じ人間だ。ミソラの人生を全て背負えるわけがない。それでも彼は、必死になってミソラの我儘に応じてくれていたのだ。
ミソラだけが何も知らないまま、自分の我儘を押し付けていた。スバルは自分と結ばれる。そう無邪気に信じて。
スバルの結婚報告を聞いて感じたもやもや、それはスバルに任せきりの未来が断たれたことによる不安だった。
「反論は?」
「全くございません……」
意地悪く聞くルナに、ミソラはへなへなとテーブルに突っ伏した。
考えれば考えるほど、思い返せば思い返すほど、心当たりしか浮かんでこない。それだけ自分は、スバルに甘えていたのを思い知らされてしまった。
そんなKO状態のミソラを見て、ルナは深くため息をついた。
「でもまあ、私も正直スバル君……夫が私を選ぶとは思ってなかったわ。あれだけ貴女たちの絆の深さを見せられ続けてきたんだから」
夫、と言い直したのは勝利者の余裕ゆえか。それでもルナの顔は少し浮かないものだった。
「今だから言えるけどね、私スバル君を振ってるのよ」
「え!?」
「ミソラちゃんのアプローチの数々を知ってたからね。私に浮気してる暇なんてあるのって何度も怒ったわ」
「そ、そうなんだ……」
リアルに想像できる。
いつの話かは解らないが、結婚を告白されるまではちょくちょくスバルにアプローチをしていた。ルナはそれを見ていたから、まさか自分を選ぶとは思わなかっただろう。
「でも彼、何かと声をかけてきた。大学を出る頃にはデートにも誘ってくるようになったし、そこまで来てようやく本気なんだって解ったのよ」
「じゃあ正式に付き合い始めたのって、大学出てから?」
ミソラの質問に、ルナは一つ頷いた。
「高校からそれぞれ離れ離れになったしね。私も別の相手と付き合ったりしてたし」
「へぇ……」
ルナの意外な過去を聞いて、ミソラは目を丸くする。
彼女も彼女で、ずっとスバル以外誰も好きにならないと思っていた。どうやら、スバルと同じくらいに大事に思える相手にも出会っていたようだ。
そのままその相手と結ばれてれば、とは思わない。ただ、彼女がそう思えるくらいの人物と巡り合っていたというのが、少し羨ましかった。
「私自身、スバル君はミソラちゃんと結ばれると思ってたから、いい機会だって思って付き合ったの。まあ続かなかったんだけど」
それでも失恋のショックは少なからずあり、家に引きこもる事もあった。その時はスバルだけでなく、色んな人が世話を焼いてくれたとルナは語る。
「あとはさっき言った通りよ。スバル君の熱に押された感じだけど、私自身やっぱり彼じゃないと駄目だって思ったわ」
スバルの本気が通じた時、二人は結ばれた。
そこには周りの評価や思い込みはない、ただただ時や経験を積み重ねた二人の真剣な想いがぶつかり合った結果だ。
「初恋の人がそのまま伴侶になって、幸せな家庭を築いて人生を終える……ってのも、素晴らしいんだけどね」
人生はそんなに狭くはないのよ、とルナは付け加える。それを聞いて、前に何回かスバル以外の男性を話題にしてきたことを思い出した。
彼女は最終的に初恋の人がそのまま伴侶になったが、そこに辿り着くまでの過程に様々な出会いと別れがあったのだ。
(私は、そんな未来に拘り過ぎてたんだなぁ)
最初に決めた未来に固執しすぎて、様々な可能性や未来を無視し続けていた。人々との出会いをちゃんと受け入れていれば、もっと色んな可能性があったはずなのに。
だが時間を巻き戻すことはできない。出会いをやり直す事も、もうできないのだ。
(でもそのおかげで、もう一つの初恋に気づいたんだけどね)
バーで何も手に入らないと叫んだソロの横顔を見て、今まで感じた事のなかった想いが沸き上がるのを感じた。恐らくきっと、放置されたままの初恋が戻って来たのだ。
「これから、どうなるかなぁ」
何となく独り言ちる。
スバルへの「恋」の理由が解った事で、改めて二人を祝福できるようになった。だが、自分の気持ちは今だに上手く消化できるか解らない。
何せ相手がキズナを嫌う孤高の戦士だ。そうそう簡単に結ばれるとは思えない。まあそれでも諦めるつもりはないが。
「少しずつ、歩み寄るしかないわよ。今までそういうのをサボってたツケ」
「はーい」
安心したからか、急にお腹が空いてきた。
時計を見れば、もうすぐ正午を回るぐらい。そろそろ昼飯を頼んでもいいだろう。
ルナの方も同じことを思ったらしく、端からメニューを取り出してきた。ぱらぱらとめくってから、「これ美味しいのよ」とお勧めのメニューを紹介してくる。
「私はこれを頼むけど、同じの頼む?」
「ううん。別の物頼むから、ルナちゃんの食べさせてくれる?」
「いいわよ。そっちのもちょうだいね」
再び会話が弾みだす。
お互いの近況などを、愚痴も加えて面白おかしく語り合った。小学生の頃に戻ったように、手を叩いて笑いあった。
国民的アイドルとか人気社長とか、元恋のライバルとか全く関係ない。
親友っていいな、と心から思った瞬間だった。
気づけば午後一時前になっていた。
さすがに仕事があるから、とルナが立ち上がったので、ミソラも同じように立ち上がる。
お勘定を済ませて店を出た時、思い切って聞いてみた。
「あのさ」
「?」
「もし私がスバル君の事を諦めてなかったら、どうする?」
ルナは一瞬きょとんとした顔になったが、
「私が負けるわけないでしょ」
当然のように答えた。
「……そっか」
そんな自信にあふれた顔を見て、やっぱり彼女には敵わないなとミソラは心から思った。
「改めてだけど、お幸せにね」
「ありがとう」
そして二人は別れた。
大きく深呼吸してから、空を見上げる。
雲があちこちで浮かんでいるが、曇る様子はない。明日も晴れるだろう。
「さ、明日も頑張ろう!」
ミソラは大きく伸びをしてから、軽い足取りで歩いて行った。