その連絡が届いたのは、皮肉にも祭り会場に到着してからだった。
『信号トラブルみたいで、結構遅れるみたいなんだ』
「どのくらい?」
『……20分ぐらい』
長すぎる、と言わなかった自分を褒めたい。
せっかく浴衣でおめかししたのに、その姿を見せたい相手はしばらく来ない。誰かを誘うにしてもみんな予定があるし、遊ぶ時間が足りない。
何もかも中途半端に感じて、ミソラは大きくため息をついた。
20分。あと20分もスバル君に会えない。自分とスバル君が一緒にいられる時間が20分もマイナスされた。
「つまんない」
思わず口に出る。
自分とスバルたちが住んでいる場所は別だ。故に、どっちかが遠出しないと遊ぶこともままならない。
基本スケジュールがぎちぎちなミソラがスバルたちの元に行くのだが、今回は特別に彼らの方が来てくれるのだ。
だからその日は、ありとあらゆる手を尽くしてスケジュールを死守した。定時になった瞬間に事務所から飛び出して、家で準備をしたのだ。
なのに、電車の遅延というトラブルで、その時間が削られた。
「一人で待つなんて寂しいのに」
ずーっと電話かメールでおしゃべりできれば、その時間も幸せなまま過ぎ去ってくれたことだろう。だが、スバルは一人ではないという現実が、その手を使わせてくれなかった。
こういう時、頭に浮かぶのはスバルの傍にいる幼馴染の委員長。
彼女はこれをチャンスと見て、スバルと仲良くおしゃべりしているのだろうか。
いつも一緒にいるくせに、こんな時までスバルを独り占めしている彼女が羨ましくて仕方がない。
自分は時間を作らないと会話することすらできないのに。
「あーもう、やだやだ」
むかむかもやもやを抱えたまま、20分も待つのはしんどすぎる。こうなったらやけ食いでもしてやると思って、ミソラは祭り会場に飛び込んだ。
どこかから流れる祭囃子のメロディと祭りを楽しむ人々の声を聞いていると、少しは気分が晴れてくる。
せっかくだから何か食べよう。本格的なものはスバル君たちが来てから食べるとして、軽くつまめる物がいい。
そう思ってきょろきょろと見まわした時、見覚えのあるモノクロな人影を見つけた。
「あ、ソロだ!」
思わず声をかけるが、相手からの返事はない。そういうのを期待できるキャラではないが、それでも完全無視は寂しい。
こうなったらとことん食いついてやる。スバルたちが来るまでまだ時間があるのだから。
そんな気楽な気持ちでソロの後を追いかけて、公園までついて行ってご飯を食べたりして
――『惚れた男を独り占めしたい。でもできない。あいつばかりずるい』。そんな事を聞かされるオレの身にもなれ。それとも……
自分の心の中を見抜くような厳しい一言を受けて
――オレが本当に何もしないと思っているのか?
初めてのキスを、奪われた。
「ミソラちゃん、お待たせ!」
「うわっ、ミソラちゃんも浴衣! すげぇ!」
「委員長も浴衣だし、最高の夏祭りになりますね~!」
「な、なに言ってるのよ!」
祭り会場に戻ると、タイミングよくスバルたちがやって来た。
20分以上電車の中で缶詰め状態だったというのに、彼らには疲れが全く見えない。
笑顔の彼らに対し、ミソラも笑顔で返す。
「みんな、来てくれてありがとう」
「ううん。こっちこそ遅れてごめん」
「電車はもう大丈夫なの?」
「まだ遅れはありますが、もう問題ないですよ」
「そっか。じゃあ思いっきり遊べるね!」
少し遅れたものの、ようやく全員集まった。ここから祭りの本番開始である。
さっそく屋台メニュー制覇だ、と盛り上がる男性陣をよそに、ルナがそっとミソラに近づいた。
「?」
「……ちょっと待たせちゃったでしょ。その分二人きりにしてあげる」
小声でそうささやかれたと思うと、ルナは意気込むゴン太とキザマロを連れて会場中心の方へとずいずい突き進んで行く。
残されたのはミソラとスバルだけ。
どうやら、ルナは予定外の遅れでスバルと一緒にいられる時間が少なくなってしまったミソラを気にしていたようだ。
気遣いが嬉しい反面、少し引け目も感じる。でも今は
「……あ、えーと、その、僕らも行こうか」
「うん」
大人しく、その気遣いを受けることにした。
はしゃぐ人たちの中を、ミソラとスバルは手をつないで歩く。
「こっちのお祭りは、コダマタウンのより大きくて凄いね」
「うん。街の規模違うしね」
「そうなんだ。でも屋台メニューはどっちも変わんないや」
「そうだね」
どこかちぐはぐな会話を続けながら、ミソラはソロと一緒にいた時の事を思う。
30分ぐらい前の自分なら、この状況を幸せと感じただろう。だが今は、何となく寂しさを感じる。
ふと、繋がってない手で唇に触れる。
20分前、この唇はソロのそれと触れ合った。
無骨な手や厳しい顔立ちからは想像できなかったが、とても柔らかい感触があった。
「……」
話した方がいいのだろうか。
スバルは怒るだろう。しかし、その先までは解らない。
ミソラにとって、なぜか酷いとは思っていなかった。初めてのキスはスバルとする、とずっと信じていたのにだ。
(多分、あの顔だ)
頭の中に浮かぶ、キスした後のソロの顔。
視線をそらし、頬をわずかに赤らめた顔。
普段の仏頂面からは想像できない、まさに年相応の男の子の顔。
多分彼の人生で誰にも見せていない……そもそもすることすらなかったであろうもの。
過酷な過去は、彼を「大人」にしてしまったのだ。そんなことに今まで気づかなかった自分を、思いっきり殴りたくなる。
半殺しにされても、ファーストキスを奪われても、彼を憎めなかった理由。その理由が、今解った気がした。
(ソロを、本当の意味で救いたい)
かつてスバルが自分を救ってくれたように。
力が及ばなくても、「生きていてよかった」と思わせるくらいには、暗い心に光を灯してあげたい。
この気持ちは、スバルに向ける恋慕とは違う。だけど、その強さと大きさはきっと同じだ。
ミソラは拳を握りしめた。ついでに足も止める。
「ミソラちゃん?」
引き留められたスバルが、こっちの方を向いた。不思議そうな顔をまっすぐ見つめ直して、ミソラは口を開いた。
「スバル君、あのね」