6月×日大安吉日。午後8時過ぎ。
星河家と白金家の結婚式→披露宴→二次会のプログラムが終わり、招待客が家路についていた。
今も変わらぬ大人気アイドル・響ミソラもその一人だった。
20代となりますます美しさと歌声に磨きがかかった彼女だが、その姓名は今も変わっていない。
そう、まだ彼女は独身だった。
(まあ、スバル君とルナちゃんが結婚しちゃったもんね)
あいにく、この国は一夫多妻の法律はない。……あったとして彼が自分も嫁にするとは限らないが。
恋敗れた今、彼女はフリーだ。しかし国民的アイドルという地位は、彼女から男を遠ざけている。また彼女自身も、改めて誰かを選ぶ気は今のところなかった。
ちょっとだけ酒の入った溜息を一つついて、ミソラは夜道をいつも通りのペースで歩く。
有名人ではあるが、誰も彼女に目もくれない。それどころか、今この道を歩いているのが響ミソラだと気づいていない。
サテラポリス開発のリアルシェードウェーブ。このアイテムを持っている人間への認識を少しだけ狂わせて、相手が誰かが解らなくなるのだ。
おかげで今、ミソラはファンに囲まれることなく安全に道を歩けている。とはいえ見慣れない道と暗闇は、履き慣れていないヒールであっても足を速めるには十分な恐怖だ。
近くにホテルでも取ればよかったな、と今になって後悔する。それほど遠くないし、いざとなったら電波変換があるし、の楽観理論で考えてたが失策だった。
どこかに泊まれる場所はないだろうか。デバイスはバッグの中でハープも今はお休み中だ。検索するのも面倒で、ついあちこち見まわしてしまった。
ふと、近くに建物の影を見つけた。主張しない静かな光が漏れていて、何となく入りたくなる気分になるような建物だった。
引き寄せられるようにドアを開けると、からん…と軽い音と共に酒の入り混じった大人な匂いがミソラを迎えた。
「いらっしゃいませ」
そこは壮年のバーテンダーが一人いるバーだった。いつの時代の物か解らないジャズは、この場所にぴったりと合う雰囲気を醸し出している。
欲しいのは酒ではなくゆっくり眠れるベッドなので、申し訳ないけど帰ろうかなと思ってたら、視線がカウンター奥で止まった。
会うのは数年ぶりなのでちょっと印象が変わっているものの、人を刺すような目つきだけは変わっていない。ソロに間違いなかった。
「隣、いい?」
迷わずカウンター奥へと進み、彼の隣に座る。視線がこっちを向いたが、何も言わずに酒のお代わりを要求していたので彼なりのOKサインなのだろう。
ご注文は、と問いかけるバーテンダーにアルコール少な目とだけ返せば、一分も経たずに柔らかな桃色のカクテルが置かれた。
一口飲んで、おや、と思ってしまう。味は好みだが、何か引っかかるような引っかからないような……そんなもやもやが付きまとってくる。そんな感じだった。
ああ、そうだ。
ここ最近ずっと引きずっている感覚。
正確には、スバルからルナと結婚すると告げられた時からあった感覚。このカクテルは、それを引きずり出した。
「……今日ね、スバル君の結婚式だったの」
カクテルをもう一口飲みつつ、独り言のように切り出した。隣のソロからの反応はない。
「相手は私じゃないよ。ルナちゃん……あ、知ってるかな? いつもスバル君と一緒にいた金髪の子ね。その子と結婚したの」
「……あのドリルのような女か」
始めてソロが反応した。
ドリルのような女、と言う例えにミソラは内心苦笑する。ドリル。確かに小学生の頃は凄い髪型だった。
ぼんやりと遠くを眺めているような感覚に陥りながら、ミソラは話をつづけた。
「半年前、結婚するって話を聞いた時、何も感じなかった」
――委員長……ルナと結婚することにしたよ。
――もう付き合って三年はするからさ。お互いの両親にはもう報告済みなんだ。
あの時のスバルの告白を思い出す。付き合って三年。両親には報告済み。そんなの全く知らなかった。
――話してくれれば良かったのに。
――ごめん。
そんな会話をしていた気がする。
本当に申し訳なさそうなスバルの顔を見て、こっちが罪悪感に苛まれそうになったくらいだった。
選んだのはスバルなのだから、謝る必要なんてないはず。こっちは普通に祝福する。それだけではないか。
(……あれ?)
「好きだったのに」
この人しかいない。そう思っていた。
ずっとずっと一緒にいたくて、積極的にアプローチしまくった。デートにも誘ったし、一緒のドラマにも出たし(ハプニングによる飛び入りだけど)、親にも挨拶した。
彼も自分の事が好きになってくれる。根拠こそなかったがそう信じていたはずだった。
でも現実は、常に傍にいてくれた幼馴染が選ばれた。その事にショックを受けて然るべきはずなのに、現実はそうならなかった。
「何も感じなかったことに、ショックを受けたの」
隣のソロはまた何も言わず、酒に口を付けていた。自分のカクテルとは違う、やや暗い青色のそれだった。
「恋が終わる時ってこんな感じなの? 初恋だからこんな感じなの? 違うでしょ? もっともっと悲しいんじゃないの? それなのに何で普通に『おめでとう』なの?」
一旦話し出すともう止まらなかった。
初恋が破れたはずなのに。好きだと思っていた相手は、もう振り向いてくれないというのに。
どうして自分は笑顔で祝福できたのだろう。それが解らない。
「私の初恋、どうしてこうなったのよ」
大声で叫ばなかった自分を褒めたい。やけになって酔いつぶれてやろうかと思った瞬間、隣でグラスが大きく鳴った。
ぎょっとしてそっちに目を向けたら、ぎらぎらとしたまなざしをこっちに向けた孤高の戦士の顔があった。
「諦めたふりをするな。目障りだ」
「え?」
「欲しい物がどこかに行ったら取りに行けばいい。奪われたなら奪い返せばいい。
貴様は望めば何かも手に入る。諦めたふりをしてる暇があるなら、さっさと行動しろ」
「い、いや、別に諦めてなんか……」
「オレは何も手に入らない! 望んでも何も手に入らない! 全て奪われるんだ!」
「……」
「貴様のような女も、あいつも、全部全部気に入らない!」
絞りだすような言葉に、もう何も言えなかった。
いつも冷徹で口数少ない彼がここまで感情的になったのを見たのは初めてだし、こんな卑屈な事を言ってくるのも初めてだった。
そんな彼は、急に口を押さえてがたりと立ち上がる。その足取りはややふらついていて、酔っているのは明らかだった。
お手洗いは奥ですよ、とバーテンダーが静かに言うと、飲みすぎたらしくふらふらとそっちに歩いて行った。
後に残されるのは、彼が飲んでいたカクテルとバーテンダー、そして自分と自分が飲んでいたカクテルだけ。
「……諦めたとか、考えたことなかったんだけどな」
気づけばそう呟いていた。
あの時感じたのは、カクテルの味と同じくもやもやした何か。諦めとは全く違っていた。
まだ、諦めきれていないのだろうか。あれだけ好きだったのだから、まだ心の中でスバルを求めているのだと。
「酒は、自白剤にもなると言います」
ぼんやりとカクテルを飲んでいたミソラに、グラスを磨いていたバーテンダーが独り言のように語りかけてきた。
「人が酒を飲んで暴れてしまうように、心の中に押しとどめていたものが、アルコールによって引き出されるのです」
バーテンダーの視線が、ミソラのカクテルに移った。
「……貴女もそうでしょう?」
まあ彼には少し強すぎたかもしれませんがね、とバーテンダーが笑うが、ミソラはついカクテルの方に視線を向けてしまう。
飲んだ時に感じたもやもや。激情に任せたソロの言葉。それらが全て、酒と言う自白剤から導き出された本当の心だとしたら。
改めて考える時が来たのかもしれない。
こびりついているもやもやを払いのけるように首を何度も振り、カクテルを一気にあおった。
ちょっとふらりとしたが、大丈夫。酔いどれてなどいない。
ごちそうさま、と立ち上がると、バーテンダーはお代は結構ですと告げた。
「翌日にまとめて払ってくれればよろしいので」
「え?」
「当バーは宿泊施設の一部ですので、飲みすぎても問題ないのですよ」
「……上手い商売だね」
「お褒めにあずかり光栄です」
バーテンダーがまた笑うが、その笑みには何かいたずらめいたものを感じた。
「“ご友人”も一緒にどうぞ」
そう言って渡された部屋のカギは、1つだけ。
……彼の真意を悟ったミソラは、深々と溜息をついた。