騒音

 がこん、がこんと電車が通る音。
 どどどどど、とドリルが地面を削る音。
 ぎゃあぎゃあと誰かが叫ぶ声。

『最近ここも騒がしくなってきたわね』
 ハンターVGの中のハープが困った声を上げる。無理もない。自分たちのように音を商売にしている者にとって、騒音は厄介でしかないのだ。
「仕方ないよ。整備工事だもん」
 気にしてませんと言う態度で答えるミソラだが、この音は作曲に対して邪魔なのは事実。最悪、一時避難も考えた方が良いかも知れなかった。
(この際、スバル君の家に泊っちゃおうかな?)
 幸いここ最近の仕事の量は少ないので、スバルの家にお邪魔してしまうのも有りかもしれない。スバルは驚くだろうが、事情を話せばきっと苦笑いしつつ許してくれるだろう。
 魅力的な案についついスキップしてしまう。既に頭の中身は、スバルの家に行く時着ていく服や両親への挨拶についての事になっている。その案が通るかどうかも解っていないのにも関わらずに、だ。
 楽しい気分のまま道を歩く。整備工事現場はまだ続いているが、もう騒音は気になる物ではない。
 やがて道はトンネルに続いていく。ここまで来てようやく整備工事現場が途切れるが、反響のせいで音は外よりも大きい気がした。
 トンネル特有の暗さも加わって、さすがにこれは嫌だなぁと思いながら、足を早める。と。

 暗い世界の中でも解る、黒い影があった。

「……?」
 目を凝らす。黒い影はどうやらうずくまっているようで、苦しそうに見える。人も車も通らないので、誰も気づかないのだろう。
「だ、大丈夫ですか?」
 うずくまる影に声をかけるが、影は何の反応もせずただ唸るだけだ。具合が悪いのだったら大変だなと思い、背中をさすろうと近づいてみたら。
「……ソロ?」
 うずくまっている影はソロだった。珍しい人間の珍しい姿にミソラは一瞬困惑するが、具合が悪そうなのは事実なので近づいて顔を覗き込む。暗いのでよく解らないが、顔色は悪くなさそうだ。しかし具合が悪くないとは限らない。
 とりあえずさすろうと背中に手を触れるが、ソロは手をばたばたと振って抵抗してきた。人嫌いな彼らしいと言えばそうなのだが、今の状況では困る態度だ。
 まず熱を測った方がいいかな、と思った瞬間。

 がたんごとん!

 電車が通る音が響く。思わずミソラはびくりと体を震わせたが、すぐに落ち着いた。しかし。
「……!」
 ソロの方はそうでもないらしい。耳を塞ぎ、がくがくと震え始めた。
「え?」
 いつもの彼らしくないその動きに、ミソラは困惑する。冷徹な面影は鳴りを潜め、まるで怖いものに怯える子供のようだ。
 そこまで考えて、ミソラは一つの考えに至る。
(トラウマがあるのかな)
 ミソラはソロの過去を詳しく知らない。ムーの力で迫害されてたことぐらいは聞かされたが、どのような目にあっていたのかは聞いたことがない。おそらくスバルも知らないだろう。
 電車にトラウマがあるのか、それとも音にトラウマがあるのかは解らない。そもそもトラウマがあるのかすら解らない。
 だがこの怯えぶりは、ただ音が苦手だとかの問題ではない。過去の何かが原因で、この大きな音を嫌がってるとしか思えなかった。
 では、どうすればいいのだろう。
 あいにくミソラはこういう時何をすればいいのかが解らない。声をかけるにしても、いったいどういうのがいいのか解らないのだ。
(スバル君なら、こういう時普通に声をかけるんだろうな)
 そんなことを思う。きっとスバルなら怯えることなく、的確な行動ができるだろう。
 だがここにはスバルはいない。自分が何とかするしかないのだ。
「大丈夫?」
 とりあえず、もう一度声をかける。今度は抵抗せず、ただ震えるだけだ。これでは移動させたくてもできない。
 では、どうすればいいのだろう。またそこに問題が戻ってしまった。
 下手にアクションを起こせば彼を怒らせる。だが、何も思いつかないからと言って見捨てるのはひどすぎる。誰か人を呼ぶにも、ここは一種の裏道なので誰も通らない。
 しばし悩んだのち、ミソラが思いついたのは一つだけだった。

「大丈夫だよ」
 そう言って、震えるソロをそっと抱きしめる。

 抱きしめられたソロがもごもご言いながら暴れるが、ミソラはお構いなしに抱きしめ続ける。
「大丈夫だよ」
 もう一度同じ言葉を言いながら、そっと背中を撫でた。母親が子供にするように優しく、優しく。
 昔を思い出す。母親はこうして自分を何度も抱きしめてくれた。その度に、ミソラの心から負の感情が消えていったのだ。
 自分は今、母親と同じようにできているだろうか。
「怖くないからね」
 まだ暴れるソロだが、ミソラが何度も背中を撫でると少しずつ落ち着いてきたか大人しくなった。
 しばらくはそのまま抱きしめたまま動かない。ソロが本当に落ち着くまで、じっと待ち続ける。
 やがて、ソロが力を込めたかと思うと、ばっと大きく離れた。半ば突き飛ばされたようなものなので、ミソラはバランスを崩しかける。
「……何の真似だ」
 凄みを効かせて睨んでくるが、目元が赤いのをミソラは見逃さなかった。
「何って、怯えてるような感じだったから落ち着かせたの。それに道端でうずくまってたら、誰だって心配するって」
「ちっ……」
 きわめて普通に返事をしたからか、ソロが視線を逸らすが、顔が赤いのは相変わらずだ。そんなところが可愛いな、とうっすらと思う。
「それより大丈夫?」
 三度聞いてみるが、ソロの方は相変わらず視線をそらしたままだ。少し不安ではあるが、そのような態度が取れるなら当面は大丈夫なのだろう。心の中でほっと胸をなでおろす。
 埒が明かないと判断したらしいソロは、さっと立ち上がった。
「この借りは必ず……」
「じゃあスイーツ奢ってよ」
 よくあるセリフにかぶせるように、自分のわがままを一つ言うミソラ。
 不審そうな顔でこっちを見てくる彼に対し、くすくす笑って手を振った。
「それで借りはチャラでいいよ」
「何故オレが貴様に」
「借りを返したいんでしょ?」
「……」
 ミソラの返答にソロが完全に詰まった。しかしその目にはまだ訝しさが残っている。
 だからミソラはにっこりと微笑んで付け加えた。
「私にとって、それほど大きなことをしたつもりはないよ。スイーツ一つで十分」
「随分と小さいな」
「うん。だから気にしないで」
 そこまで言って、ようやくソロの目から訝しさが消えた。こっちが断言したことで、少しは疑いが晴れたのだろう。ちょっとだけ心が通じ合えたことが、凄くうれしかった。
「さ、行こう」
 ソロの腕を取って、トンネルから外に出る。どこに行くかはこれから考えよう。
 何せスイーツもとっさに思いついたことなのだ。何を奢ってもらうかはまだ考えていない。
 ただ解っているのは、これから連れていく場所やスイーツは、ソロが絶対に知らないであろうと言うこと。
 ちょっとだけ、わくわくした。