私は彼を知らない・3「扉の向こう側」

 目の前に大きな扉があります。
 その扉の向こうには誰かがいます。
 貴方はその扉をどうしますか?

 扉を壊しますか?
 鍵を持ってきて開けますか?

 それとも
 中の人が開けてくれるまで待ちますか?

 でも。
 どれだけ選択肢があったとしても、
「はい、どうぞ」という言葉がない限り、入ってはいけないものなのです。
 人の心というものは。

 

 

 

 いつまでぼーっとしていたのだろう。風がかるく吹いただけで、急に寒さを感じてしまった。
『あの子、風邪引かないといいわね』
「……うん」
 ハープの言葉に、ミソラはこくりとうなずいた。
 思えば今までずっと黙っていたのは、ミソラとソロをちゃんと向き合わせるためだったのだろう。ハープはこういうのには聡い。
 ……おかげで、自分の気持ちがもっとぐちゃぐちゃになったのだが。
「はぁ……」
 ため息をついたその時、また風が吹いた。寒さを追い出そうと体を震わせると、ふと時間が気になった。
 慌てて時計を見ると、そろそろパーティー会場に行かないと拙いという時間。ミソラは慌てて空き地を出ようとして……その足が止まった。
「ミソラちゃん」
 いつの間にいたのか、心配そうな顔のスバルが立っていた。
「大丈夫? ソロに何かされた?」
 スバルの言葉に、ミソラは目を丸くした。何故ソロと関係があると解ったのだろうか。
 不思議そうな視線を向けると、スバルは空き地出口に視線を向けた。
「さっきすれ違った。声かける余裕もなさそうだから、そのまますれ違っただけだけど」
「そう……」
 もしかしたら、自分とソロの会話も聞かれてただろうか。だとすると、スバルは自分が泣いてるのはソロのせいだと思うかもしれない。
 それは嫌だ。展開がどうであれ、彼一人だけが責められるのはあまりにも悲しすぎる。
「お願い、何も聞かないでくれる?」
 スバルの手を握りながら懇願すると、なぜか目頭がじわっと熱くなった。
 泣いちゃダメだ、とは思うものの、一度あふれた涙はそう止まることなく、頬からとめどなく流れていく。
 ただスバルにしては、いきなり泣き出したミソラに驚いたのだろう。あたふたとこっちの肩に手をかけてきた。
「み、ミソラちゃん!?」
「お願い、お願いだから、ソロ君だけは責めないで……」
 半べそをかきながら、ミソラはそれだけを何度も繰り返す。
 ここでスバルがソロだけを責めてミソラを庇ったら、それこそ動けなかった。誰も自分の気持ちを解ってくれない気がして。
 ミソラのその気持ちが解ったのか、スバルはあやすように頭をなでてくれた。
「大丈夫。ソロには何も聞かなかったし……」
 大きな手になでられてると、気持ちが少しずつ落ち着いてくる。その手に、その腕にすがりつくと、ようやくミソラは安心して泣けるようになった。
「うわぁぁ……」
 悲しみとか悔しさとか辛さとか、それらがぐちゃぐちゃになって、頭の中を埋め尽くす。
 どうして上手く行かないんだろう。
 どうして分かり合えないんだろう。
 スバルの腕の中で泣きながら、ミソラは心の中で脳裏に浮かんだあの後姿に向かって彼の名前を呼んだ。

 びゅうと吹いた風の冷たさに、ソロは思わず身震いした。
(暖かい場所に行かないと、風邪を引くかもな)
 暖かい場所、でミソラが言っていたパーティーの事を思い出すが、すぐに首を横に振ってそれを記憶から追い出した。
「馬鹿馬鹿しい」
 あれはただ単に、彼女の気の迷いだろう。それか、星河スバルと自分を引き合わせて仲良くさせようという魂胆から。
 敵だった奴を誘うなんて、まともな思考なら思いつくわけがない。絆で結ばれるという事は、味方同士で傷を舐めあうのと同じ。そこに敵の入る余地はない。
(……それとも、同情から?)
 その答えが浮かんだ瞬間、ソロはまた身震いしてしまった。風が冷たいのではなく、哀れまれたという屈辱が、寒気を感じさせたのだ。
 同情は嫌いだ。
 一方的に哀れまれ、頭をなでられ、勝手に完結される。ああ、何て可哀想な子だろう、と。
 そこに自分の意思はない。同情する人間の安っぽい感情だけで、同情される人間の感情はどこにもない。
「くそっ……」
 いらいらする感情を何かに叩き付けたい気分だったが、あいにく回りには八つ当たりに向いてそうな物は何一つない。
 苛立ち紛れに小石を蹴ると、それはちょっと飛んだだけですぐに転がった。もう一回蹴り飛ばすと、今度は結構遠くへと飛んで見えなくなった。
 小石を思いっきり蹴り飛ばした事で、多少なりとも心は落ち着いた。
 行く先を定めずに適当に歩いていると、「この先 天地研究所」という看板が目に飛び込んでくる。何となくそれを見ているうち、ソロは天地との会話を思い出していた。

「本当はね、このままここで引き取りたいんだけど」
 身体検査が終わり、提出されたデータを見ていた天地がぼそりとつぶやいた。
「ラ・ムー事件に大きく関わっていたとは言え、君はまだ幼い。本来なら保護され、きちんとした教育を受けるべきなんだ」
「余計なお世話だ」
 天地の心配を、ソロはたった一言で切り捨てる。こっちはずっと一人で生きていくと決めたのだ。「引き取る」とか「保護」とか、聞くだけで寒気がする。
 相手も一言で切られるのは予想していたのか、ショックを受けた様子もない。ため息をついて、データの方に視線を落とした。
 あのデータにあるのは、身体検査の結果だけだろうか。それとも、自分の過去もあるのだろうか。
 もし過去の記録もあるのなら、彼は自分が何故絆を嫌うのかも知っているはず。それでも彼は絆を大事にしろとか一人でいるなとか言ってくるのだろうか。
 いつでも行動が取れるように身構えるが、天地から出た言葉は予想外のものだった。
「そうだろうね。でも、そんな事を言っていた大人もいたって事は覚えていても悪くないと思うよ。
 世の中、色んな奴がいる。絆が大好きな子がいれば、一人が好きな子もいる。君みたいに色々あって、他人を受け入れられない子だっているから」
 人の心を絆とかでは縛りたくないんだ、と彼は付け足した。
「綺麗事を」
 吐き捨てるように言うと、天地は苦い笑みになる。辛そうな表情だが、別にソロは失言したとは思っていない。
 群れると強くなったと誤解する。一人でいる者を踏みにじるか、無理やり自分のテリトリーに吸収しようとする。
 人間など、所詮そんな生き物なのだ。
 まあ、今は自分の理論を語る気はない。語った所で否定されるだろうし、べらべら喋るのは自分のキャラではないからだ。
 もう終わりかなと思っていたら、天地がまた口を開いた。
「それにね、一人でいる事が悪ってわけじゃないと思う。心に傷を負った子にとって、人間は恐怖でしかないからね。
 ただ……」
 ここで天地の視線が、データからソロへと移った。
「やり直すチャンスを自分からへし折るのは、ダメだと思う」

「……やり直す、か」
 あの時天地が言った言葉は、今までかけられたどの言葉とも違っていた。
 一方的に敵視するようなものではなかったし、無理やり組み込もうとする偽りの優しさでもない。自分の考えを淡々と述べただけで、自分には何も言わなかった。
 自分の周りにいたのがああいうのなら、少しは生きやすかっただろうか。いや、結局は同じだっただろう。何も言わないという事は、自分で解決しろという事だから。
(いつもの事じゃないか)
 生まれてからずっと一人で生きてきた以上、自分で……一人で解決しろというのはいつもの事だ。なら別に気にすることでもない。
 しかし、天地の言う「やり直す」という言葉が、頭の中で引っかかって離れない。自分は一体、何をやり直せというのか。
 自分の人格か? それとも生き方か? どちらにしても余計なお世話だ。誰に何と言われようと、自分はこの生き方を変えるつもりはないし、変える方法も知らないのだ。
「ふう……」
 色々考えてると、少し疲れが出てきた。
 こんな時は、どこかでゆっくりと何かを飲むに限る。手ごろな喫茶店を探すため、ソロは一歩踏み出した。

 スバルに手を引っ張られるような形で、研究所についた。
「ミソラちゃん、本当に大丈夫?」
「うん、顔洗ってすっきりすれば大丈夫だよ」
 心配そうな顔のスバルに手を振り、ミソラは洗面所に飛び込んで顔を洗う。
 散々泣いたとは言え、時間にして10分もかかっていないので顔を洗うだけでもだいぶマシになった。目が赤いのに気づかれなければ、誰も泣いたなど解らないだろう。
「全く、酷い顔よね」
『仕方ないわよ。誰だって真実を言われればショックになるわ』
 自嘲すると、今まで黙っていたハープが口を開いた。
「ハープも、そう思うの? 私、そんなにスバル君に縛られてる?」
『縛られてるというより、貴女はスバル君しかいないからね。スターキャリアー的に』
 ハープに指摘され、ミソラは改めて自分のスターキャリアーを見てみる。
 自分とブラザーバンドを結んでいるのは、スバルだけだった。それでもキズナリョクが高いのは、彼との絆が深いという証拠だ。

 ――だがそれは、自分はスバルとの絆しかないとも取れてしまう。

 スバルを通して知り合ったルナたちも、間違いなくミソラの友達だ。それは間違いない。
 だが、スバルほどの絆はあるかと聞かれれば、首を横に振らざるを得ない。彼女らとは会う機会も少ないし、会っても会話が少ないのだ。
 それは他の人々たちも同じである。どれもスバルと比べてしまうと、その絆は浅い。
 絆は深ければ深いほどいい。だが、他の人の絆が浅くなるのはどうなのか。スターキャリアーは、それを暗に訴えているような気がした。
『ま、貴女はアイドルだから、迂闊にプライベートを晒せないというのもあるけどね』
 うつむいたミソラを見て言いすぎたと思ったのか、ハープがとりなすように言う。
 確かにアイドルという立場な以上、そうそう気楽にブラザーバンドは結べない。だが、結べないのと結ばないのは違う。
 スバル以外の誰かと無闇にブラザーバンドを結べ、というわけでもないが、スバルとの絆を重視しすぎるのもどうなのか。
(……ソロ君はそこを指摘したのかな)
 彼の言葉の意味が何となく解ったような気がして、もやもやが少し晴れた。
「キズナリョクが高いってのも、考え物なのかも」
『そうね』
 ミソラのつぶやきに、ハープがしたり顔でうなずいた。

 パーティー会場に入ると、先に入っていたスバルをはじめとして、ルナやゴン太、キザマロなどの見知った顔に、天地も揃っていた。
「ミソラちゃん!」
「遅いよー」
 笑ってこっちに来る仲間たちに対し、ミソラは笑ってはぐらかす。
「ごめんね。ちょっとトイレ行ってたの」
 そう言うと皆はあっさり信じたようで、同じように笑顔で自分を真ん中へと連れて行ってくれた。
 会場は既にご馳走が並んでいて、ジュースも大量に置いてある。いくつか食べられた痕があるが、おそらく我慢できずに食べたのだろう。
「それじゃ、全員そろったってことで」
 パーティーの主催者であるルナがコップを手に取ると、皆も続いてコップを取る。ミソラも慌てて近くにあるオレンジジュースを手に取った。
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
 ルナの音頭で、パーティーは無事に始まった。