幻の名曲

 響ミソラの曲はいろいろ存在する。
 絆の尊さを歌った「ハートウェーブ」「絆・ウェーブ」。
 ある人物へのラブレターとも言われる「シューティング・スター」。
 それ以外にもたくさんのミリオンヒットを世に出してきた彼女だが、その中で一つだけ「幻の名曲」と呼ばれるものがある。

 「ツンデレーション」

 彼女らしいポップなタイトルなそれは、とあるライブで1回だけ歌われて以降、一度も歌われていない。
 アルバムどころかシングルにもなっておらず、この曲名を知っているか否かで響ミソラのディープなファンかどうかを判断する流れも存在すると言われている。
 しかし、如何なるファンでもこの曲の全容を知る者はいない。故に「幻の名曲」というわけである。

 ――絶望的な運命が ある日恋に変わる
     一方的な表現の ツンデレーション

 この曲を聴いたことのあるファンがかろうじて覚えていた、歌詞の一部である。
 ストレートに恋とうたわれているため、シューティング・スターと同じように誰かへのラブレターなのかとも思わせる。
 しかしタイトルでもある「ツンデレーション」……所謂「ツンデレ」というところがシューティング・スターと似て異なるため、これは彼女自身の恋の歌ではないだろう、というのが通説である。

 ではなぜ、彼女はこの歌を表に出さないのであろうか。

 失敗作をうっかり歌ってしまったのではないか、という説もある。
 しかし彼女は一度でも歌として出した曲はすべて大事にすると公言しており、没にした曲は徹底的に廃棄するとも言われている。
 もしこの曲が失敗作の一つだとしたら、まずライブに出す前に廃棄しているのではないだろうか。

 また、こういう証言も存在する。
『この曲は、改めて自分を見直した際に思いついた』

 ライブにてツンデレーションを説明する際、響ミソラはこう説明したらしい。
 自分を見直した際、と言っている以上、この曲は彼女自身の経験から生み出された可能性が高い。
 だが、そこでまた比較されるのがシューティング・スターである。

 ――まるで邪魔者みたいに こんなやつって態度して
     見えない角度で手をつないできた

 これもツンデレーションの歌詞の一部だとされるが、この一節とシューティング・スターから連想される「誰か」のイメージとはどうも一致しにくい。
 シューティング・スターの歌詞における「誰か」は、大人しいながらも強く人付き合いは上手そうなイメージだ。
 一方ツンデレーションの歌詞で描かれている「誰か」は、タイトルや上述の歌詞のように素直になれずに相手につっけんどんな態度を取っているのだ。
 二つの歌においてあまりにもかけ離れた人物像に対し、一つ仮説を提唱したい。

 響ミソラの人生に影響を及ぼし、なおかつ恋愛感情を向けていた相手は複数存在したのではなかろうか。

 彼女とて人の子だ。いくつもの恋を経験してきた可能性はある。
 シューティング・スターとツンデレーションにおいての「誰か」がそれぞれ違うのなら、これらの歌詞の矛盾点もすんなりと合点がいく。
 ……いくのだが、ここで疑問は最初に戻る。

 改めて、彼女がこの歌を表に出さない理由は何なのだろうか。

 人の恋路についてあれこれ検索するのはマナー違反ではあるが、あえて切り込んでいきたい。表に出したシューティング・スターと、しまい込まれたツンデレーションの違いは何なのか。
 単純に考えると、失恋か否か。
 響ミソラのキャラクターを考えると、やはり前者の恋が成就したのだろう。なぜなら、彼女の強さは誰かによって育まれたものだと容易に想像できるものだからだ。
 シューティング・スターにはその人への想いだけでなく、感謝と齎された幸せも織り交ぜている。一方のツンデレーションは相手の印象や自分の恋のみが描かれている。
 すなわち、ツンデレーションにて得られたものは何もない、とも取れるのだ。

 響ミソラが忘れたい恋。それこそツンデレーションそのものなのだろう。

 あの国民的アイドルを手ひどく振った相手が気になりはするが、彼女が忘れたい恋を深く掘り出す必要はなかろう。
 ファンはただ、シューティング・スターの送り主への恋路が成立することを祈るとしようではないか。

 ――好き わかりにくいね puppy love

 

「(雑誌をぺらりとめくる)……だってさ。スバル君の方を選んだんだろうって」
「だろうな」
「でもさあ、実際に私が選んだのは後者だもんね。ほんと、人生って解んないもんだね」
「……」
「ところでさ、本当にもうアレ歌っちゃダメ?」
「駄目だ」
「何でよ~。滅茶苦茶気持ち突っ込んだ曲なんだよ? もうソロのキャラばっちりでしょ!」
「それでも駄目だ」
「えー」
「ほんと、ソロってばツンデレーション」
「何なんだそれは……」

「だって顔真っ赤なんだもん」