季節は夏。
8月2日真っ只中に、その手紙は届いた。
奇しくも8月2日は響ミソラの誕生日であり、山のようにプレゼントが集まった。
花束やお菓子などのお約束な物から、服やバッグにぬいぐるみ、果ては指輪などのアクセサリーがトラック単位で雪崩れ込んでいく。
まだ10代前半の少女に対しあまりにも大げさのような気がするが、日本全体が彼女に夢中なのだから仕方がない。
そんな一日の中、それは届いた。
「あー、もうお腹いっぱい」
『よく食べたわねー』
満足そうに腹を叩くミソラに、ハープが茶化すように言う。
さっきまでミソラは生番組に出演していたのだが、その番組内でミソラの誕生日を祝うイベントが行われたのだ。
用意されたバースディケーキに立ったろうそくの火を消し、そのケーキを頂いた。有名パティシエによる作品らしく、ケーキはとても美味しかった。
しかししばらくは運動量を増やすのかと思うと、少しだけ頭が痛い。太らない体質と宣言しているが、努力を怠けていればその分体重計は絶望を与えてくる。
どうやってカロリーを消費するかを考えていると、スタジオのスタッフがこっちに駆け寄ってきた。
「あ、ミソラちゃん。良かったわ」
「何ですか?」
またプレゼントかと内心身構えたが、スタッフはごそごそと懐からあるものを取り出した。
「これ、貴女にって」
手渡されたのは、一枚の絵葉書だった。電波技術が発達した今、このようなアナログアイテムは珍しい。
住所欄は真っ白で、差出人どころか送り先の相手の名前すら書いていない。本当に自分宛てなのかすら疑わしい。
だが。
文章欄には、たった一文だけ「実物の代わりにこれを送る」とだけあった。堅苦しいペンの字が、送り主の性格をうかがわせる。
――そしてそれは、ミソラにとって差出人を知る何よりの手がかりだった。
「ありがとうございます」
渡してくれたスタッフに深々と頭を下げ、ミソラはその場を後にした。
絵葉書はどことも知れぬ密林だが、ちらほらと何かが光っている。よく目を凝らしてみると、何かが発光している何物かだ。
「……ああ」
思い出した。
今よりももっと涼しい頃――初夏に、彼に連れられて見た景色に似ている。
「ね、ねえ、どこに連れて行くつもり!?」
「黙っていろ」
仕事が終わり、家路に着こうとしたら彼にいきなり手を引かれた。まるで連行だが、自分には全く心当たりがない。
繁華街など目立つ場所を歩きたくないなと思っていると、彼はやたらと入り組んだ道へと自分を連れて行く。人目を避けたのか、それは解らない。
「ねえ! 本当に何処に連れて行くつもりなの!?」
「……」
黙っていろという戒めを破って聞いてみるものの、彼からの返事はない。ただ無言に手を引いて歩いていくだけだ。
ミソラはもう、黙ってついて行く事に決めた。彼の性格上、変なところに連れて行くことは多分ないだろう。そう考えると気が楽になった。
彼の方はそんなミソラの内心に気づく事もなく、無言のまま手を引いて歩く。複雑な道なので、正直帰れるか少し心配である。
歩く事しばし。周りが見慣れない風景になった頃、彼が足を止めた。
「? どうしたの?」
「……」
問うこっちに対して、彼は少し体をずらして目の前にあるウェーブステーションを見せた。
「スカイウェーブを使う」
彼はそう一言だけ告げ、すぐに電波変換してウェーブロードに乗り込む。ミソラの方も慌てて電波変換して、その後を追った。
それにしても、スカイウェーブまで使う辺り、一体何処へと連れて行くつもりなのだろうか。少なくとも近くではないのは解るが。
ミソラが首をかしげている間も、彼は手を引いたまま黙って歩いていく。結構複雑なスカイウェーブすら迷いなく進むので、多分道は解っているのだろう。
やがてどこかへの出口にたどり着くと、彼はこっちの手を引いたまま出口へ飛び込む。当然、ミソラも飛び込む形になった。
着いた先は華やかな都会とは違い、閑静な田舎。車も滅多に走っていないらしく、どこかから虫や鳥の鳴き声が聞こえてきた。
耳を済ませたいのは山々だが、彼が手を引くのでそれも出来ない。何とかしてまた来たいなと思いつつ、ミソラもその後を追う。
彼の行く先は暗い森の中のようだ。何の装備もないのにためらいなく入り込むのは、事前に下調べしているのかそれとも彼の性格上か。
自分の目の前すら解らなくなっていく中、手を引っ張っていく彼の手だけが頼りになっていく。
「ね、ねえ……」
三度同じ言葉で呼びかけようとしたその時、彼の足が止まった。こっちもあわせて足を止める。どうやらここが目的地らしい。
暗い闇の中で何とか目を凝らすと、目の前に川が広がっているのが解る。月の光が届けば、もう少し解るのだが。
どうすればいいのか解らず、彼と川両方に視線を向けていると。
「……時間だ」
ぼそりと彼が口を開いた。そして。
ふわ
明かりが、一つ点いた。
「え?」
目を丸くして目を凝らしているうちに、明かりは一つ、また一つと増えていく。
手のひらにちょうど収まる小さな明かりは、ふわふわと辺りを漂い幻想的な光景を生み出していく。その明かりの正体は。
「……蛍」
辞典や辞書でしか見たことの無い幻の虫。自ら明かりを灯すその虫が、目の前を飛んで回っているのだ。
「……この時期になると、活発的に動くようになる。ここは数少ない生息地帯だ」
「そうなんだ……」
テレビにも全く出てこないので、すっかり絶滅したと思い込んでいた。しかし、このような誰も来ないであろう場所で、ひっそりと生き延びていたようだ。
「よく知ってたね」
「貴様らが知ろうとしないだけだ」
感動の言葉に対し、彼はつっけんどんに返す。だが今は、そんな言い方も悪くないと思えてしまう。
蛍のせいだろうか。
「どうして、私を連れてきたの?」
幻想的な明かりの中、ただ何となく聞いてみる。答えは返ってこないだろう、そう思っていたのだが。
「……悪かったのか?」
いたって普通の疑問と不思議そうな顔が、こっちに向けられた。何の悪意もない、本当に「普通」の疑問が。
「え!? ううん、ちょ、ちょっと驚いたの。それだけなの」
まさかそう返してくるとは思っていなかったので、あたふたと向けられた疑問に答える。何故だろう、上手く言葉が紡げなかった。
「そうか」
彼のほうはそれで満足したのか、視線を蛍の方へと戻す。
その時の顔は、いつも見せている張り詰めた感情のない自然体のように見えた。
この絵葉書は、おそらく海外のものだろう。この国にはもう蛍の生息地はほとんどない、と言われているからだ。
海外ならどこかで生息していて、それを売りにしている観光地もあるかも知れない。彼はそこで絵葉書を買ったのだろう。
文章と言うにはあまりにも短すぎるそれは、おそらくあの時ただの気まぐれで言った「もっと見てみたい」という自分の言葉への答え。
「変なとこ、生真面目なんだから」
くすりとミソラは笑う。
彼は今、どこの空の下にいるだろう。
ひねくれている癖して馬鹿なくらいに一途で真面目な、孤高の戦士は。