遣らずの雨 - 1/3

『遣らずの雨』
 帰ろうとする人を引き留めるかのように降ってくる雨。

 雨は今も降り続けている。
 先ほどウィザードたちが教えてくれたが、この雨は一晩ずっと続くらしい。
「夕方は晴れてたのに」
 降りしきる雨を見ながら、女――響ミソラがぼやく。声には出さないが、男――ソロも内心そのぼやきに同意する。
 体も服も乾いたのでもう出ようと思った矢先に、この雨だ。

 そもそも、ここに来たこと自体が間違いだった。

 突然の雨に傘を差さずに走っていると、偶然ミソラに見とがめられた。
 風邪をひく、濡れた服は乾かせ、いろいろ言われたのち、無理やり彼女の家に引っ張られた。
 電波変換して晴れた場所に移動すれば問題ないと言い続けたが、あっちはあっちで今すぐ乾かすべきだと言い張り続けた。
 お互い自分の意思を引っ込める気はなかったが、最後はウィザードと組まれて押し込まれてしまった。
 気づけば濡れた服は下着含めて全部脱がされた挙句、風呂に放り込まれていた。せっかくだから洗濯して乾かしておくと人質ならぬ服質を取られ、やむなく風呂に入った。
 風呂から上がれば髪を乾かされるという、まさに至れり尽くせりな状態。ファンが見たらさぞかし嫉妬で騒いだことだろう。自分には関係ないが。
 思えばそこが問題だった。
 ドライヤーの暖かさと自分の髪の色に関心する彼女の声が、いい感じに眠気を誘ったらしい。気づけばソロは転寝をしていた。
 しとしとと降る雨の音に目が覚めたのが、ついさっき。時計を見れば7時を回っていた。
 乾いた服に袖を通す間に窓の外に目をやれば、街灯がぼんやり見える程度。電波変換すればそれほど気にする物でもないだろう。
「ちょっと、この天気で帰るつもりなの?」
 ミソラが気づいたらしく、慌てて引き留めに来た。
「せっかく乾かしたのにまた濡れるでしょ。雨止むまで外出るのやめなって」
「止むまで待ってたら夜が明けるだろうが」
「だったら泊まっていけばいいよ」
 ……内心頭を抱えた。
 血縁関係のない若い男女が一晩を過ごすという事の重大さを、彼女は全然理解していないらしい。
 自分の事を信頼している証拠でもあるのだろうが、正直その信頼は重くて辛い。
「『濡れて風邪ひきそうになった友達を保護しただけです』。それで騒ぐ方がおかしいんだよ」
「……」
 暗にそれで黙らせると言い切る神経の図太さ。伊達に長い間芸能界に居続けるだけの事はあるようだ。

 夕飯はストックしていたパックもので済んだ。
「非常食も兼ねて一週間分はストックしてるんだ」
 そう言って笑うミソラ。
 ソロは初めて食べる物だったが、味は問題なかった。それほど食事にこだわりがあるわけでもないのだが。
 食事が終わると、コーヒーが並ぶ。何も加えられていない無地のカップを取り、口を付けた。
 そう言えば。
 コーヒーの趣味について語り合った事はないが、彼女はいつも自分にブラックを渡してくる。気にしたことはなかったが、今は少しだけ気になった。
「……コーヒーの味について、話した事はあったか?」
 ソロが聞くと、ミソラは一瞬あっけにとられた顔になったが、すぐに「見てて解ったんだ」と答えた。
「自分の事語りたがらないし、特に観察しないとね~」
「……なるほど」
 コーヒーを飲んでいると、窓の外が少し騒がしくなった。雨が強くなってきたようだ。
『あら、雷注意報ですって』
『……』
 ウィザードたちが、これからの天気を教えてきた。
 この辺りはまだ土砂降りで済んでいるが、少し遠い地域だと雷が鳴っているらしい。道理で視界の端に見える電波の道が揺らいでるわけだ。
 もし夕飯を食べずに家を出ていたら、土砂降りにあっていたかもしれない。そう考えると、ミソラが引き留めたのは間違ってなかった。
「何か見る?」
 そのミソラはモニターのリモコンを手に、こっちに聞いてくる。TVは興味がないので黙っていたら、OKと取られたかモニターのスイッチを付けた。
 賑やかなバラエティが流れ出すが、やはりソロの興味を引きそうな内容ではない。ミソラはいちいち反応して笑っているが、何が可笑しいのかは解らなかった。
 たまにこっちに視線を向けてくるので、その視線から逃げるように目を閉じた。寝たふりにしては不自然だが、彼女の視線を受けないならそれでよかった。
 雨はまだ止まない。
 どうやら一晩過ごすのは避けられなさそうだ。

 雨はまだ止まない。
 できれば朝まで降り続けてほしい、とミソラは心の中で願ってしまった。
 ソロは放浪の身だ。ふらりと自分たちの前に現れる事もあるが、基本どこにいるかは解らない。だから、こういう時には何としても引き留めたい。
 大事な人と一緒にいたい。ただそれだけの気持ち。
 ……でも、彼がここから出たがるのも解る。
 人との繋がりを嫌う故に、誰とも仲良くなろうとしない。そして何より、真面目でストイックな彼が、若い男女と二人きりというこの状況を受け入れる事はない。
(もう『何か』あった後なのにね)
 ベッドを共にする、肌を重ねる、一線を越える。色々言い方はあるが、要は既に自分たちはセックスまでした関係だ。
 自分は相手の体の傷の数や形まで把握しているし、相手も自分の体のどこにほくろがあるかを熟知済みだろう。それだけ、自分たちは深く繋がり合った。
 それでも、彼は徹底的に手を出すことはしない。
 このような場所だと、肌を重ねるどころかキスすらしない。絶対に二人の関係が察知されないであろう場所でしか、自分を求めてこないのだ。
 でも、ここなら?
 高額マンション故にセキュリティはしっかりしているし、隠しカメラや盗聴器などは定期的に調べているので1つたりとも存在しない。
 デンパくんのデバガメもハープがきっちりと抑えているので、この家もある意味世界から隔離された場所なのだ。
(……って何考えてんだか)
 そこまで考えて、ミソラは自分の不純さを恥じた。
 真面目な彼の事だ。誘った時点で、怒って家を飛び出すのが目に見えている。それに自分がただのアバズレの様に思われるのも不本意だ。
 ふと、ソロの方に視線を向けてみる。
 TVを見始めてからはずっと目を閉じていたが、どうもそのまま転寝してしまったようだ。結構疲れていたのだろう。
「どこで何やってたんだろ」
 ついつい言葉が出る。
 ソロは自分の事を語らない。問われれば答えるが、ささやかな事しか話してこない。スバルすら、プライベートについてほとんど知らないらしい。
 いつも何をしているのだろう。喧嘩とか物騒な事をしているのだろうか。
「心配してるのにな」
 最近、ふとした事で思い出す事が多くなった。怪我してないだろうか、とか、いつ会えるだろうか、とか。そんな些細な事を考えながら。
 スバルの事が好きだった頃と同じ感覚。だけど、微妙に違う感覚。どちらも大事な想いだ。
 そっと頭をなでると、ソロは軽くうめいた。
 顔を覗き込んでみると苦しそうな顔ではないので、悪夢は見ていないらしい。ほっと胸をなでおろした。

 さて、当然のことながらベッドは1つしかない。
 幸い来客用に布団は複数用意しているため、寝る場所さえ確保できるなら問題ないだろう。
「……まあ、ソファがあるから大丈夫か」
 ソファは昼寝程度なら十分の大きさがある。寝相が悪いなら転げ落ちるだろうが、ソロの寝相はいい方だ。寝かせることができれば朝まで大丈夫だろう。
 TVを消し、テーブルの上を片付けてから、押し入れから布団を引っ張り出す。
 時計を見れば、まだ9時半ぐらい。寝るには早いが、ソロにつられてちょっとだけ眠くなっている。
「明日何時に起きればいいんだっけ?」
『いつも通りの時間で問題なしよ』
 明日の予定を思い出そうとすると、ハンターVGにいる有能秘書が間髪入れずに問いに答えてくれた。
 大きな仕事がないから今すぐ寝なくてもいいのだが、一人で起きているのもつまらない。かと言って、隣に人がいるのに誰かと通話やメールと言うのもマナーが悪い気がする。
 起こそうか。それとも寝かせたままがいいだろうか。ミソラが悩んでいると
「うー、ん……」
 ソロが起きた。むにゃむにゃと何か言っているが、あいにく聞き取る事は出来なかった。
 まだ意識がはっきりしていないようで、のろのろと辺り一面を見回している。そんな顔が可愛いなあと思いつつ、声をかけた。
「起きた? 大丈夫?」
「……? あ、ああ、そうか……」
 やっと目が覚めたらしい。徐々にいつもの仏頂面に戻っていった。
「まだ夜か」
「うん、雨も降ってる」
「ちっ……」
 あからさまに嫌な顔をするソロに、ミソラはあえて笑顔で「ゆっくりしていきなよ」と言った。
「せっかく会えたんだし、色々話とか聞きたいな」
「こっちにはない」
「そう言わずにさぁ。私も話したい事たくさんあるんだから」
「……」
 彼の嫌な顔は変わらないが、少しだけ反応があったのは見逃さなかった。わずかながらも興味があるらしい。
 ミソラにはそれだけでも十分だった。