メテオG事件から1年後のある日、ソロは見知らぬ連中に拉致監禁された。
響ミソラの一番のファンだと言う彼らは、「ミソラちゃんが受けた痛み以上の苦痛を味わわせてやる」と言い放ち、何日も暴行を加えた。
殴る蹴るの暴行から始まり、熱湯を体中にかけられる、氷水を使った水攻め、糞尿を頭からかけられた後それを食べさせられる。そんなのが昼夜問わず繰り返された。
さすがのソロも心神喪失に近い状態になったが、それでも気はまだ収まらないようだったらしく、彼らは更なる暴挙に出た。
意識が朦朧としているソロの首に「私はミソラちゃんを傷つけた重罪人です」というプラカードを下げさせ、写真を撮った。その写真を、ファンコミュニティに流したのだ。
……当然のことながら、その写真は速攻でサテラポリスに目を付けられた。
ミラーを含む写真を全てネット上から消し去り、背景などから暴行者たちのアジトを突き止めた。
暴行者がソロに向かってゴルフクラブや金属バットで殴りつけようとしていた瞬間と、シドウ達サテラポリスがアジトに乗り込んだ瞬間はほぼ同時。
彼らは全員現行犯逮捕され、衰弱していたソロは保護されたのだった。
今のソロは、集中治療室で寝ては起きるの繰り返しだった。
いつもなら体が動くと判断したら速攻抜けだすのだが、さすがに今回はダメージが大きすぎた。医者が「あと数日遅かったら死んでいた」と言っていたが、全く同感だった。
そうでなくても最近は少し調子が悪かったので、この際体調が完全に回復するまでいる事にした。
そんなわけで、今日も寝ては起きるだけだろうと思って目を閉じていたのだが。
がちゃ
部屋のドアが開くのを、耳がとらえた。
そっちの方に視線を向けると、誰かががドアを開けたようだ。
おや、と内心首をかしげる。いつもの医者や看護婦の影と比べて、その人影は小さすぎた。
影はまっすぐこちらに向かってくる。目を凝らして見て……思わずその目を丸くしてしまった。
「大丈夫?」
見舞いに来たのは、響ミソラだった。
面会謝絶にしてあるのだが、彼女はスケジュール的に見舞いに来れる日が極端に少ないらしい。シドウ達に無理を言って、特例として入れてもらったようだ。
なおスケジュールが厳しい理由は、自分が拉致監禁されていた事にも大きく関わっていた。何せ犯人が響ミソラの1番のファンを公言していたからだ。
「あんまり興味ないかも知れないけど、犯人たちがどうなったかとか、教えとこうと思ったの」
「そうか」
近くで見ると、ミソラの顔は少しやつれている。事件が原因なのは、想像に難くなかった。
ミソラが言う通り、暴行犯たちの事は全く興味がない。とはいえ、聞かせてくれるのなら聞いてみてもいい話だ。
目線で話してくれるように促すと、彼女も理解したようで口を開いた。
始まりは、ムー事件の終盤でミソラが入院した理由が一部のファンの中で漏れた事だ。
ミソラ=ハープ・ノートなのは事務所にも伏せているため、彼女の入院はムーのウィルスに襲われたからだとされている。
だが、暴行犯たちは、ミソラが大怪我したのは誰か……ソロに襲われたからだと突き止めてしまった。
一般公開されている情報では、ソロもオリヒメ一派となっている。彼らはそれらの情報を繋ぎ合わせ、「ソロがミソラを半殺しにした」と推理した。
あくまで推理だ。しかし、それを否定する材料はなかったし、何よりその情報は全てとはいかないが間違っていなかったのが厄介だった。
彼らは憤り、ソロを探し出してかつてのミソラと同じような目に合わせると決めた。
全ては自分が愛する「響ミソラ」のためだった。
「あいつら、だいぶ前から復讐を計画してたみたい。家からはスタンガンとか麻薬とか見つかったって」
「……なるほどな」
拉致されたあの日、確かに後ろから首筋に強烈な電流を受けた。
生身でもチンピラ程度なら軽くあしらえる自信はあったが、そういう道具を使われることは予想していなかった。今後は表通りを歩いている時も警戒しようと心に誓う。
ミソラの説明は続く。
「元々あいつらは普通のファンにも迷惑かけてる鼻つまみ者で、事務所の方も何回か警告してたの。
それでもあいつらは迷惑をかけてたし、イベントでも問題起こしてたから、そろそろ警察の方にも動いてもらおうかって相談してたんだけど……」
ミソラたちが行動する前に、奴らはとうとう犯罪を犯してしまった。しかもミソラの名前を盾に、一般人(一応)のソロを暴行しているのである。事務所は頭が痛いだろう。
「貴様は、どうなんだ」
ソロの言葉に、ミソラが首を傾げた。
わざとかは解らない。だが彼女がこのことに関して、何も感じていないとは到底思えなかった。
心を痛めているのか、それとも……。
「オレが痛い目に合って、少しはすっきりしたんじゃないのか」
あえて口に出す。
自分が彼女をぼろぼろにしたのは事実だ。敵対していたことも。
星河スバルを愛する彼女としては、孤高を掲げる自分に良い感情はないだろう。そんな自分が徹底的に痛めつけられた事に対し、内心は喜んでいたのではないか。
そんな諦念に近い感情で呟いた言葉に対し、返事は予想外の物だった。
「点滴、抜くわよ」
いつもの明るさがない、冷え切った声。
視線も怒気をはらんでおり、本気で怒っているのがよく解った。さすがに言い過ぎたか、とソロは反省した。
「ごめんなさい、は?」
「……すまなかった」
冷え切った声のまま促され、思わず彼女の目を見て謝罪の言葉を述べてしまう。いつもなら言い返すのだが、彼女の迫力と自身の負い目が口を閉ざさせた。
ミソラの方は謝られた事で満足したのか、一つため息をついた後はいつもの――それでもどこか疲れた感じの――顔に戻る。
「あの時の事は別に気にしてないよ。私の力じゃソロに……ブライに敵わないって解ってたもの」
それでも前に立ったのは、スバルを庇うためだ。
仲間のため、大事な人のため。ソロにとって気に入らない感情だが、スバルを始めとした仲間たちにとってそれが大事な心なのは十分知っている。
しかし何も知らない第三者は、それを知らない。つぎはぎされた事実である、「いけ好かない男がミソラを半殺しにした」ことだけしか知らないのだ。
そこまで考えて、ソロはミソラの疲れが何となく解った気がした。
彼女がニホン内で大人気のシンガーソングライターなのは、ソロも知っている。
両親を失いつつも、それと同等かそれ以上の大事な人々に囲まれ愛される少女。幸せを擬人化したようなアイドル。
だが彼女を取り巻く人々全てが、心優しい人とは限らない。……そして誰もが、ミソラの事情を知っているわけではない。
それらの「限らない」が重なった事で起こってしまった事件。そんな事件とそれらに関係する人々の思想が、彼女を疲れさせたのだろう。
さて、どうすべきか。
突き放すべきか。それとも何かアドバイスすべきか。
自分に関係ないと言えば関係ないのだが、今後も彼女は戦士として戦いに出るつもりだろう。そして無駄に何も知らない他人を巻き込んでしまうのだろう。
巻き込まれてはかなわない。
「……戦場において、誰であろうと一人だ」
ぽつりぽつりと話し始めた。
ミソラが不思議そうな顔をしてこっちを見てくるが、ソロは構わず続けることにした。
「チームを組んでも、相手の攻撃次第ではバラバラにさせられる。貴様がやったように、自分一人で殿をせざるを得ない時もある」
絆を重んじるスバルたち故、チームプレイが多い。しかし相手もそれを承知で、作戦を展開してくるだろう。
それに対応できるかどうかは……正直難しいと言うのがソロの見方だった。
「常に誰かに守られるなんて考えは捨てろ。自分の立場も考えるな。目の前の敵を切り抜けられるか、どうかだ」
「……私が、甘いって事?」
ミソラが口を開いた。
責めるような口ぶりに対し、ソロは「そうだ」と即答した。
「星河スバル……ロックマンに助けてもらおう、助けてくれる、と考えているのは確かだろうが。見れば解る」
「……」
こちらの断定的な言葉に、ミソラが沈黙する。さすがに心当たりがあるようだ。
そもそも、彼女はいつも守られている存在だ。普段は事務所の大人たちに、電波変換すればロックマンに、彼女は常に誰かに守られ続けている。
共に戦っていると言えばその通りだが、ソロから見ればおんぶにだっこされているに過ぎない。
戦士に向いていなさすぎる少女だった。
「一人で戦えないなら、戦士をやめろ」
「それは嫌」
速攻で拒否された。
だろうなと思いつつ、その理由を聞く。
「星河スバルのためか」
「それは違う」
これまた速攻で否定された。
ただ今回の否定はソロにとって意外だった。てっきり「そうよ」と肯定すると思っていたから、興味を持った。
「では、何故戦う」
ミソラの顔が真剣なそれになる。
ソロの目をまっすぐ見て、一言一言はっきりと言った。
「スバル君だけのためじゃない。スバル君を含めた、私の歌を愛してくれる人たちのため。
そしてもう一つは、私の歌そのものを守るためよ」
「……?」
前者は解るが、後者はよく解らない。歌への情熱か、その歌にかかる費用の事か。
こっちの疑問に気づいたか、ミソラは付け加えた。
「どの歌も、私の誓いであり、私からみんなへのメッセージなの。だから私は全力で歌を作って、歌ってる。
ハープ・ノートとして戦ってるのも、歌と同じぐらい大事な事。できることがあるのに目を背けて何もしないなんて、私の歌への裏切りだから」
まっすぐな眼差しが、ソロの心にさざ波を引き起こす。
ただの星河スバルの女だとしか思っていなかった彼女が、こうして強い意志を持って自分をまっすぐに見つめている。
そこにいるのは間違いなく、響ミソラという一人の歌手であり、戦士だったのだ。
思わず目を逸らしてしまったが、ミソラはそれを痛みか疲れによるものだと思ったらしい。「長居しすぎたね」と笑った。
「もう帰るね」
「……そうしろ」
「最後にさ、一つ言っていい?」
「好きにしろ」
ぶっきらぼうに応じると、布団の中にあった手をぎゅっと握られた。
「……!」
「本当に、本当に無事で良かったよ」
手を覆う包帯が濡れたので、はっとしてミソラの方を見る。
彼女は泣いていた。
「最初に君が拉致監禁されて暴行されたって聞いて、目の前真っ暗になったの」
「……」
「私のせいで大怪我したらどうしようって。それどころか、もし死んじゃったら、私はどうすればいいんだろうって」
「……貴様のせいではないだろうが」
「でも、暁さんたちが間に合って、重傷だけど命に別状はないって聞いて、本当に安心した。腰が抜けちゃったくらいに」
「……」
「ごめんね、本当にごめんね」
「……終わった事だ」
「うん……」
ばたん、とドアが閉まる音がした。
明かりも消えた暗い部屋に残るのは、ベッドで眠るソロだけだ。
「……」
涙で濡れた包帯を、もう一度見る。
1時間もすれば、涙の跡は乾いて消えてしまうだろう。しかし、彼女がこの手を握って泣いていたという事実は、ソロの心の中に残る。
彼女は何故、泣いたのだろうか。
人間、大事な人が傷つけば泣くこともある。それはさすがに知っている。
だが、自分がその「大事な人」だとはどうしても思えなかった。
――俺たちのミソラを傷つけた罰だ!
――なんだその目は! ミソラはもっと痛かったんだぞ! 簡単に死ねると思うなよ!?
――てめぇは生きる価値ねーんだよ! クソ野郎が!
自分を徹底的に痛めつけた男たちの言葉が蘇る。
もし、あのまま自分がなぶり殺しにされていたら、彼女はどうしていたのだろう。自身が言ってた通り、どうすればいいのか解らずに途方に暮れたのだろうか。
解らない。でも、一つだけはっきりしていることがある。
(あいつはもう、オレのために泣くことはないだろう)
できれば、そうであってほしい。もう自分に対して気持ちを向けることはやめてほしい。
ソロはそう願いながら、眠りに落ちた。