温泉に行こう

 その日は、秘湯巡り番組の収録だった。
 秘湯と言われているが、ミソラもそこは知っている。肌がきれいになる、景色が素晴らしいなど評価も高く、いつかは行きたいと思っていた場所だ。
 キャストやスタッフ、旅館の人々はいい人ばかりで、出された料理もとても美味しかった。収録は最初から最後まで和やかな雰囲気で進んだ。
「「お疲れさまでしたー!!」」
 収録終了の一声に、キャストやスタッフが声をそろえて喜びの声を上げる。安堵の息をつく者もいれば、すぐに次の仕事に取り掛かる者、様々だ。
 ミソラはそのどれでもなかった。マネージャーはまだ来ないし、日も高いので散策したい気分だった。
 何か面白いものはないかな…と辺りを見回すと、見覚えのあるモノクロな人影を見つけた。
「ソロ!」
 名前を呼ぶと、いつもの仏頂面でこっちの方を向いてくれた。
「……貴様か」
 相変わらず人の名前を呼んでくれないが、反応はしてくれるので少しは気を許してくれているのだろう。楽観的に考えて、気楽に会話を切り出した。
「こんな所で会えるなんて奇遇だね。何かあったの?」
「関係ないだろう」
「もしかして湯治? ここ温泉が有名だし」
「だから関係ない」
 話題を振っても同じようなフレーズしか返ってこない。だが何か事件があったようには見えないので、本当にふらりと立ち寄った程度なのだろう。
 こうなったら、何が何でも「関係ない」以外のフレーズを引っ張り出してやる。
 そんな負けん気がむくむくと湧き上がってきたミソラだが、こっちが口を開く前にソロの視線がさっと動いた。
 釣られるように視線の方を向くと、いつの間にかマネージャーが立っていた。予想以上に早く来ていたようだ。
「ミソラちゃん、仕事は終わりだけどそうふらふらしないで欲しいな」
「あー……」
 咎めるような口調に、思わず苦笑いの形になる。今日の仕事はもう終わりではあるが、無許可で歩き回るのはさすがにまずかった。
 一応ソロを紹介しようかと思ったが、彼は既に背中を向けてその場から離れていた。自分とマネージャーが会話し始めたから、用は終わったと判断したのだろうか。
 その背中を無言で見送ってから、マネージャーの後をついて行く。
(結局まともに会話できなかったな)
 コダマタウンに暮らしているスバルと違い、ソロはいつもどうしているのかすら解らない。だからこうして、会えた時に色々聞きたかった。
 次会えるのはいつかな、なんてぼんやりと考えていると、前を歩くマネージャーが「ミソラちゃん」と声をかけてきた。
「何ですか?」
「あのね、こういうのはあんまり言いたくないんだけど……」
 渋い声で語りかけながらミソラの方を向く。その顔は、声と同じくらいに渋いものだった。

「あの黒服の男の子とは、あんまり仲良くしないでほしいんだけど」

「……え?」
 唐突なその要求に、思わず目が丸くなる。
 普段ならミソラの交流関係にまったく口を出さないマネージャーが、渋い顔をしつつもこうして苦言を呈してくるとは思わなかった。
 理解しきれていない顔のミソラに、マネージャーは渋い顔を崩さずに続ける。
「あの子、確かムー事件の時はオリヒメ一派だった子だろ?」
「はぁ」
「そんな大きな問題は起こしてないようだけど、いつ何をしてくるか解らないんだから、あまり近づかない方がいいよ。
 ミソラちゃんに怪我とかあったら大変だし」
「……」
 沈黙してしまった。
 本当は怪我どころか病院送りにされたのだが、それは世間一般には伏せられている。もしそれがバレていたら……。
 そんなミソラの沈黙を反省と取ったか、マネージャーは少しだけ表情を緩める。
「ミソラちゃんは優しいから、そういう奴にも声をかけたりできるんだろうけど、こっちとしては君に何がないか冷や冷やなんだ。
 君の気持ちは汲みたいけど、やっぱり友達は選んで欲しい」
「……」
 一言一言が重くのしかかった。
 さっきまでの楽しい気分はすっかり消え、ただひたすら重苦しい気持ちだけが心を占める。
(ソロ、ごめんね)
 心の中で、ソロの後ろ姿に詫びる。
 当然だが、彼はもう既に姿が見えなくなっていた。

 用意されたホテルのベッドにごろりと寝転がる。
 つけっぱなしのTVから好きなドラマが流れているが、ミソラはそれを全く見ていなかった。
 さっきから頭の中を占めているのは、マネージャーの言葉の数々。

 ――あの黒服の男の子とは、あんまり仲良くしないでほしいんだけど
 ――いつ何をしてくるか解らないんだから、あまり近づかない方がいいよ

 偏見に満ち満ちた言葉に、反吐が出そうになる。
 だが、彼の今までの行動とその信念を考えると、そう思われるのも仕方ない。そう考えてしまう自分にも、反吐が出そうになる。
 社交性が全くない態度に、キズナ社会においてキズナを嫌う姿勢、いつも変わらない不愛想な顔。これで仲良くしろと言われて、誰ができるだろうか?
 正直ミソラもスバルたちから事情を聞くまで、彼の評価は最低だった。崩壊するムー大陸から助けてくれた、というスバルの言葉も信じきれなかった。
 自分ですらそうなのだから、何も知らない一般人はソロを警戒するのは至極当然だろう。
 ……だからと言って、今日のマネージャーの発言を許せるかは別問題だった。

 ――君の気持ちは汲みたいけど、やっぱり友達は選んで欲しい

 まるで彼が友達に相応しくないような言い方。
 本人は嫌がるだろうけど、ミソラにとって彼は友達だった。キズナを嫌いつつも、困った時は助けてくれる。そんな不器用な少年を、ミソラは嫌いになれなかった。
(これがもしスバル君だったら)
 もしあの時会っていたのがスバルだったら、マネージャーはどうしただろうか。
 答えはすぐに頭に浮かぶ。キャストやスタッフと共に暖かく見守り、戻って来たミソラを「お似合いだね」と茶化したのだろう。
 温厚で社交性のあるスバルは、あっさりと友達、またはそれ以上の存在として受け入れる。
 正反対のソロは、「あいつと仲良くするな、近づくな」と警告する。
 どちらも友達なのに、真逆な評価。何も知らないとは言え、その評価を素直に受け入れることはできなかった。

『彼はそんなに悪い人じゃないわ!』
『だけどね、あの子の親は……』

 つけっぱなしのTVから、親子の会話が聞こえる。今の心境に近いセリフだったこともあって、ついミソラはそっちの方に視線を向けてしまう。
 確か結婚の許可をもらいに行ったのはいいが、主人公の親は犯罪者だという理由でヒロインの親が難色を示しているシーンのはずだ。
 この物語は、毒親に苦しめられた主人公が人生の恩師や愛する人と出会うことで、幸せになる事に前向きになるという内容だった。
 犯罪者の息子というレッテルは、いろんな場所で主人公の脚を引っ張り続けていた。そして一番のキモである、結婚を断られるシーンがこれなのだ。
 必死になって主人公の良さをアピールするヒロインとなおも渋る両親の姿に、自分の姿が重なって見えた。

『差別や偏見はいけないって、いつも言ってるのに……!』

 ヒロインの怒りの言葉が、ミソラの耳にむなしく届く。
『ドラマとかでこんなに言ってるのにねぇ』
 ずっと黙っていたハープがぼそりと呟き、ミソラは内心深々と頷いた。
 物語ではこんなに偏見や差別はやめようと言っているのに、実際はこうだ。ソロがキズナを嫌がり、他人に心を開かないのも解る。

『もういい! あの人の事を理解する気がないなら、みんな嫌い!』

 激昂したヒロインが拒絶の言葉を投げつけて、家を飛び出す。
 そして流れるEDテーマ。次回予告では、ヒロインが主人公に向かって「私はあなたを見捨てないわ」と泣きながら叫んでいた。
(私だって、見捨てたくないよ)
 人々がソロを悪人だと言っても、自分はソロをいい子だと思いたい……いや、思っている。
 せめてそれは伝えることができれば。
 そんな事を考えていると、TVの画面がまた切り替わって「こんばんは。6時のニュースの時間です」とニュースキャスターの挨拶が始まった。
 窓を見ると、外は夕焼け一色に染まっている。今の時間なら、『現地』に到着する頃にはすっかり日も落ちているところだろう。
『そろそろ行きましょうか』
 ハープに促され、ミソラはハンターVGを手に取った。

 ミソラがホテルを出て向かっているのは、昼に撮影で訪れた秘湯だ。
 そこの温泉はたどり着くまでが大変なので、解放されているのは昼のみとされている。夜は道そのものを封鎖し、誰も入れないようにしているのだ。
 しかしミソラはこの温泉は夜こそ絶景が見れる、と確信していた。なぜなら、そこの温泉は露天風呂だから。
 昼に行った時は上り下りがきつかったが、電波変換で電波の道を歩けば最短距離でたどり着ける。なので、夜にこっそりと秘湯を堪能しようと思ったのだ。
 鼻歌交じりで電波の道を走り、現地近くまでたどり着く。さあ電波変換解除だと思った時、目が黒い影をとらえた。
「え、人がいる?」
『あらまあ。行動力のあるマニアかしら?』
 少し警戒しつつ近づくと、黒い影がこっちに気づいたらしくざばっと大きな水音が立った。
 ぎらり、と鋭い光が目の前に飛び込んでくる。思わず防御態勢を取るが、痛みは来なかった。
「……また貴様か」
「え?」
 黒い影――ソロが少しだけ目を丸くしてこっちを見ていた。

 ソロがここに来たのは、秘湯目当てだった。そんな彼が今ここにいるのは単純に、昼は人が多かったから。
 必要以上の揉め事は好まない彼は、人が居なくなる夜に入る事に決めたらしい。入湯料に関しては……あえて聞かなかった。
「温泉が趣味なの?」
「別に。休息に向いている場所だからな」
「ふーん……」
 さて困った。
 混浴するつもりはないし、かといってソロを追い出すつもりもない。諦めて帰るのはもったいなさ過ぎる。
 結果。
 温泉に全身浸かる少年、その隣で足湯状態の電波人間(少女)という妙な絵が出来上がった。
 足だけではあるが、温泉の暖かさは十分感じられる。昼の事を思い出して、ほっこりした気分になった。
 ソロの方は何も言わない。自分の方に視線を向けるわけでもなく、ただ無言でお湯に浸かり続けている。
 相変わらず人を寄せ付けない雰囲気だが、少し緩んでいるように見えるのは、温泉の暖かさのせいだろうか。
「……昼はごめんね」
「……?」
 思わず口から出た謝罪に、ソロの視線がこっちを向いた。
「うちのマネージャーがひどい事言ってたから、傷ついただろうなって」
「……?」
 まだソロは解ってないらしい。その目から鋭さが少しだけ消え、疑問の色が入り込んでいる。
 あの言葉は聞こえてなかったのだろうか。だとしたら、自分だけが悩んでいたみたいで少し気が抜ける。
 聞こえてなかったならいいの、と付け加えると、ソロもようやく昼の事を思い出したらしい。「いつもの事だ」と変わらぬ声音で返す。
「謝られるいわれはない」
「それでも……」
「奴の態度は間違っていないだろう」
 ミソラの背中に冷たいモノが走った。

“いつもの事”
“間違っていない”

 そう返せるほど、彼の中では差別や偏見が日常茶飯事なのだ。そしてそれを正しい事だと思うほど、自分が異端だとも理解してしまっている。
『……あなたは、それでいいの?』
 沈黙してしまったミソラの代わりにハープが尋ねるが、ソロは同じような声音で「いいも何もない」と切り捨てた。
 後は誰も何一つ言わない。たまにソロが湯をかき回す程度で、音すらなくなった。
 ゆらゆらと揺れる水面を見つめながら、ミソラは頭の中でソロの言葉を一つ一つ拾い直していく。
(私は、どうすればいいんだろう)
 誰からも恐れられる故に、誰かを信じる事を止めた。他人を信じないから、更に人々から恐れられて嫌われる。そんな悪循環を当然の結末として受け入れている。
 どうにかしたいとは思うけど、それが思いつかない。
 このままじゃいけないのはよく解っているのに。
 頭がこんがらがってるまま深くうつむいていると、隣のソロが顔を上げる気配がした。
「……貴様がここに来た理由は、これか」
「え?」
 釣られて顔を上げると、そこには満天の星空があった。
 雲は多少あちこちにあるが、それも一種のアクセントの様になっている。写真のような美しい星空が、二人の目の前に広がっていた。
「きれい」
 思わず言葉がこぼれる。
 昼に感じた「夜はもっと凄いはず」という確信が間違ってなかったのが嬉しい。さっきまでの重い空気が、この空であっという間に霧散していくのが解る。
 感動していると、隣でぼそりと声が聞こえた。
 
「……そうだな」

「……!」
 驚いてソロの方を見ると、彼の顔はほんの少し緩んでいた。
 初めて見る、緊張がほぐれた柔らかな顔。今まで見たことがないその顔に、ミソラはつい見入ってしまった。
(こんな顔もできるんだ)
 恐らくスバルも見たことでないであろう表情。それを独り占めできていると思うと、ぜいたくな気分になる。
 ちょっと嬉しい気分になっていると、ソロがざばりと立ち上がった。
 星明りではっきりとしてないし下半身はまだ湯の中で肝心なところは見えてないが、一糸まとわぬ姿が晒される。
「ちょ、ちょっと!」
「オレはもう上がる。後は好きにしろ」
「いや、そうじゃなくて!」
 そういう部分には疎いのか、ソロはミソラに裸身を晒したまま温泉から出ていく。ギリギリのところで目を閉じたので、肝心な部分は見ていない。
(スバル君なら配慮するのにな)
 ついついそんな事を思ってしまうが、それほど怒ってはいなかった。
「私も出るよ」
「そうなのか?」
「だって、見たかったものは見れたし、それに……」
 着替える背中ににっこり微笑む。
「宣伝しちゃったら、ソロがゆっくり休める場所が一つ減っちゃうじゃない?」

 ホテルの窓から見える星は、だいぶその数を減らしていた。
 明かりを消しても数が増えることはなく、ミソラはため息をついてカーテンを閉めた。もう寝る時間は過ぎているが、ぼんやりとしていたらこんな時間だ。
 シーツに潜り込んで目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのはさっき見たソロの裸身。

 体中についた大小さまざまな傷跡。
 紋様を思わせる痣。

 温泉から上がるソロを見た時、はっきりとそれらを見てしまった。
(刺激的過ぎるって……)
 恥ずかしさもあったが、それらが彼の人生観を物語っているような気がして、ミソラは枕に顔をうずめる。
 嫌われて当然。排除されて当たり前。だから一人でいる。差し伸べられる手を払いのける。
 そうやって体全体で拒絶を示す彼に、自分は何をすればいいのだろう?
 解らない。だけど、今日の夜の会話はそれほど悪くなかったと思う。最後の言葉はその場で思いついたものだったけど、彼は怒ったようではなかった。
 そうやって一つずつ答えを手探りで探していけば、いつかは。
(いつかは本当に仲良くなりたい)
 彼が傷を恐れるなら、傷ごと抱きしめたい。
 世界が彼を差別するなら、自分だけは彼を差別しないであげたい。
 そしていつかは。

 ――思い出すのは、星空を見上げるソロの顔。

(あの顔を、もう一度見たいな)
 ミソラは仰向けになって目を閉じた。