絆というものが美し過ぎて恐ろしいものだと気づいたのは、いつごろかな。
昔の私は、世界で一番大事なものを奪われた事で、耳をふさいで歩いていた。
ただ口を開いては頭に浮かんだフレーズを歌う。それだけで周りは自分を褒め、自分を許してくれた。それだけだった。
すごいね えらいね いいうただね きれいだね
周りの賞賛が薄っぺらいものだと気づいたのは、すぐ。それから私は目もふさいで歩いた。
意味なく歌い、意味なく笑い、意味なく詩を書く。その意味のない日常が嫌で、意味のない世界が嫌で、私は一度凶器を手に取った。
私を救ったのは、私と同じ傷を持った子。
同じ傷を持つのだから、痛みが解ると言ってくれた。自分の奥底にある黒い影を、彼は受け持ってくれた。
それから、私はようやく目を開き、耳で全てを聞いた。
きっと自分も、彼と同じように誰かを救えるようになる。そう信じていた。
そうして繋がる絆こそ、世界を救えると真っ白なまま信じていた。
そんな考えが浅はか過ぎたと気づいたのは、いつごろかな。
あれから数ヶ月。夏を超え、今私は人気アイドルの一人だ。
夏に起きた事件はあっという間に過去のものになり、みんながそれぞれの生活に戻っている。私も怪我が完治し、またアイドルへの日常へと戻っている。
……でも、私はまだ、あの事件を過去のことにすることが出来なかった。
街を歩く時、視線がいつも探してしまう。
どこか遠い場所に、つい目が行く。
気がつけば、探しているのだ。
あの少年を。
その再会は、恐ろしいまでに唐突だった。
いつものように夜遅くまでレコーディングして、くたくたな体を引きずりながら夜道を歩き、残りの気力を振り絞って自宅があるマンション入り口まで来たその時。
目が、もう一つの月を捉えた。
……いや、正確には月じゃなくて、月光が銀色の髪を反射させていただけ。でもその時は、本当に月のように見えてしまった。
冷ややか過ぎる視線を投げかけるその少年は、間違いなく自分が探していた相手。
「ソロ……君?」
あの夏の事件で、私たちと戦い、そのまま姿を消した少年。絆や仲間を徹底的に憎み、それを絶つ事に全てを注いだ子。
――私が、事件をいまだに引きずり続けている原因。
「ひ、久しぶりだね。元気だった?」
「……」
必死に搾り出した言葉に対して、彼は無反応だ。社交辞令混じりの挨拶に、答える義務はないって事だろうか。
「あのね、心配してたんだよ。本当だよ」
「……」
「スバル君と一緒に、ムー大陸行ってたんでしょ? 聞いたの」
「……」
「怪我、してないの? それとももう治った?」
「……」
「あ、そうだ。スバル君助けてくれてありがとう。優しいね」
「……」
「それから……私、元気になったよ。怪我の痕もないから、安心して」
「……」
答えない。何にも答えてくれない。
最初から聞いていないように……私なんか、目に入ってないように、何も答えてくれない。
辛いよ。
どうしようも、できないの?
助けて上げられないの?
心の奥底に封じ込めたはずの密やかで薄っぺらな希望が、また扉をこじ開けようとする。
その扉を開いたところでどうしようもないのは、よく解っている。吐き出したところで、彼はきっと何も答えない。
それでも、私は。
「……ねえ、どうして何も話してくれないの?」
「……」
いつの間にか、視界がぐにゃりと歪む。
自分の意識が遠のいてるんじゃない。私は、泣いていた。
「私、怒ってないよ? ソロ君にあんなに殴られても、私はソロ君を怒ったりしない。もう責めたりもしない。ただ、ただね、ほんのちょっとだけでも、言葉が聞きたいの」
自分でも何を言っているのか解らない。ただ、とにかく何か言わないといけないという焦りが、口から言葉を引っ張り出す。
「だからね……、お願いだから……、何か話して……」
今の自分を誰かが見たら、これがあの響ミソラなのかときっと疑うだろう。
明るくて、いつも笑顔で、とっても無邪気で、みんなに元気を与えてくれるシンガーソングライター。希望を与えてくれる小さな歌姫。様々な賞賛。華やかな愛称。
でも私は知ってる。それらの賞賛が、本当は身分不相応な代物であることを。自分の歌が、目の前のたった一人の少年の心には絶対に届かないということを。自分は、彼を大きく傷つけただけの弱い人間だいうことも。
今こうして泣いてうずくまっているのが、本当の私なのだ。
「……い出来ない」
かすかな声が、私の耳を振るわせた。
待ち望んでいたソロ君の声。でも、その言葉の内容は、限りなく私を否定するもの。
「理解出来ない。いや、したくない。下らない友情ごっこでもするつもりか?」
発せられる言葉は冷たいだけで、泣き続ける私を嘲笑うかのように突き刺さる。でも、それを痛いとは思わなかった。
自分に向けられた剣をそのまま受けられないのなら、もう自分は彼の前に立てない。そんな気がした。
話は終わったと言わんばかりに、ソロ君はすたすたと私の横を通り過ぎる。いったい何しに来たんだろうという疑問が、今更ながら頭に浮かぶが、流れる涙がそれをぼやけさせてしまった。
靴音が、私の隣でぴたりと止まった。
さっきよりも、かすかな……それこそ風か空気の流れる音と間違えそうなくらいな、かすかな声が届いた。
だから、もう泣くな
無理だよ、と心の中で呟いた。
彼は最後に、一番冷たい言葉を残して行った。一番優しいはずの言葉が、拒絶の言葉になるなんていったいどんな皮肉なのだろうか。
涙を拭いて振り向くと、もうそこにソロ君の姿はない。
「どうして……上手くいかないんだろ」
ぽつり、とそんな言葉が零れ落ちる。
私はただ、助けたいだけだった。
永い絶望と誇りと傷に挟まれて悲鳴を上げる心を、ほんの少しでもいいから救いたかっただけだった。
だけど彼は、傷だらけの体と心を晒したまま、もっと深い闇の果てに往ってしまった。永遠に溶けることのない氷の牢獄に、その心を置き去りにしてしまった。
そして、彼にそうさせた一因を作ったのは間違いなく……私だ。
絆というまぶしすぎる光に任せた言葉を叩き付けたのは、私だ。
私はゆらりと立ち上がり、自宅への道へと戻る。私の心は疲れていた。
最後にもう一度、白く輝く月を見上げる。
もし月が、万人全てに光り輝いているのなら、彼にも光り輝いて欲しい。
そんな事を願ってしまうくらい、私だって苦しんでいるのだ。