別にソロもミソラに対してひどい扱いをしたいわけではない。
ちょっかいをかけてこなければ相手をするつもりはないし、何かを言われたとしても徹底的に叩き潰すつもりはない。
ただ、彼女は自分の無意識に背を向けて自分に構う。そのことがイラつくのだ。
ソロがそう考えるようになったのは、とある事件から。
適当に立ち寄った居酒屋で飲んでいると、入り口がざわめいた。
周りの客に釣られてソロも入口の方に視線を向けると、団体客がわらわらと入ってきた。男と女の比率が9:1のバランスの悪い団体だ。
まあ自分には関係ないと思い、ソロはまた食事に集中しようとしたが、数少ない女子と偶然目が合った……気がした。
(……響ミソラ……!?)
帽子やサングラスで顔を隠しているが、それは確かに響ミソラだった。
男たちに囲まれて困った顔をしているあたり、おそらく彼女は望んでここに来たわけではなさそうだ。はきはきした性格の彼女らしくないが、芸能界は彼女一人でどうにかなるようなものではない。無理やり付き合わされているのだろう。
まあ自分には関係ない。ソロはすぐに自分の目の前にある食事と酒に手を付けた。
「それでさ~、ミソラちゃんもそろそろ身を固めた方が良くないかって!」
「え~、まだまだ歌に集中したいです!」
陽気な会話がここまで聞こえてくる。
否応なしに飛び込んでくるので、何となく話に耳を傾けてしまう。どうやら男たちはミソラと何らかの繋がりを持ちたいが、ミソラはのらりくらりと交わしているようだ。
さもありなん。ミソラには意中の相手がいるのだから、そこいらの男など構っている暇はないだろう。
だが彼女の男事情など知らない男どもからすれば、響ミソラは未だに結婚どころか彼氏の影もない。狙うなら今だと必死にもなるわけだ。
と。
「私、ちょっとトイレ行ってきますね」
ミソラがそう言って席を立った。
ソロは内心呆れてため息をつく。この状況で一人でトイレ。手を出してくださいと言わんばかりではないか。
そしてソロの予想通り、男たちが下卑た笑いを浮かべて顔を見合わせる。そのうちの一人が何かを取り出し、ミソラが飲んでいた酒に振りかけた。
(睡眠薬か)
女が席を離脱した隙に睡眠薬を注入し、女をあっさり酔わせて事に及ぶ……よくある手口だ。だからこそ、ソロはミソラがあっさり席を外したことに呆れたのだが。
さてそのミソラ、トイレを済ませたらしくすっきりした顔で戻ってきた。
「おまたせー。のど乾いちゃったから注文しなおしていい?」
ミソラはそう言ってメニューを開こうとするが、男たちがそれを取り上げて先ほどの酒を握らせていた。
さて、どうするか。
このまま知らん振りを決め込んで、彼女が傷物になるのを黙って見ているか。それとも余計な騒動になるのを承知の上で突っ込むか。
少し悩んだ末、ソロは前者を選んだ。
自分と彼女の間には何もない。ならば、傷物になっても自己責任でしかない。そもそも、意中の相手がいるのに他の男と飲みに来るのが間違いなのだ。
ソロの予想通り、ミソラは無理やり握らされた酒を飲んでいる。そして当然だが、あっという間に酔いつぶれそうになっていた。
「なんかもう眠い……」
「あららー、ミソラちゃんそろそろ限界?」
「じゃあお開きだねー。眠いなら送っていくよ」
「ざんねーん」
男たちは罠にはまったアイドルをにやにやと眺めている。この先の展開を予想してか、舌なめずりしている男もいた。
その男の一人が、ミソラを起こそうと服の中に手を入れた。
ソロの中で、何かが動いた。
「うごっ!」
立ち上がって、ミソラを起こそうとした男にパンチ。続いてそのパンチでミソラに群がる男を薙ぎ払った。
「な、何しやがる!」
当然のことながら男たちが躍起になってソロを睨みつけるが、ソロは揺らぐことなく睨み返す。
数では相手の方が上だが場数はソロの方が圧倒的に上。気づけば男たちはしり込みし、ミソラからおずおずと離れていき……一人、また一人と店を出ていった(会計は既に済んでいるらしい)。
後に残るのはソロと酔いつぶれたミソラだけ。
「おい」
こうなったら仕方ないので、一応声をかけてみる。当然、ミソラは唸るだけで応答しない。
さてどうするか。
関係者に電話も考えたが、あいにくソロが思いつく関係者はそれほどいない。約一名――星河スバルに押し付けようかとも考えたが、時間も時間なので今は行けないとか言われるオチだろう。
ソロは深々とため息をついた。
かくして。
ソロは、ミソラが今住んでいるマンションまでおぶって歩く羽目になった。
当然ソロは彼女の家を知らないので、デバイスの中で寝ていたハープをたたき起こしてナビゲートさせている。
『このまままっすぐよ』
子供のころはベイサイドシティに住んでいたらしいが、年を取るにつれ部屋が狭くなったことや活動サイクルが変わったことで引っ越しせざるを得なくなったらしい。まあおそらく彼女の事。コダマタウンに近くなると言うのも理由の一つなのだろう。
「う、ううん……」
黙って歩いていると、後ろでミソラが唸る。目が覚めたのかと思ったが、続けて寝息が聞こえたので寝ているようだ。
まあ騒がれるよりマシかと思ってそのままにしていたが。
「スバルくん……」
びくりと身体が震えた。
足が止まって動けなくなるのが解る。
「スバルくん……」
懲りずに同じ寝言を呟くミソラ。
夢の中で意中の相手とデートでもしてるのか、その声色はとても幸せそうだった。
家にたどり着く。
背負っていたミソラを放り投げるようにベッドに寝かせると、ソロは「後は貴様で何とかしろ」と言い捨てて家を出た。
ドアを閉め、すぐさま電話をかける。時間など関係ない。とにかく急を要する案件だからだ。
『……もしもし?』
コール二回で相手……スバルが出た。
ソロは胸の中の忌々しさを隠すことなく、用件だけ告げる。
「貴様、今すぐ響ミソラの家に行け」
『は?』
「何度も言わせるな。いいから行け」
『だからどういうこt』
スバルのぐだぐだとした文句を無視して切り、ソロはその場を立ち去った。
十分後。
ソロのスターキャリアーがぴりぴりと音を鳴らす。珍しい電話音に手を取ると、ポップアップにある名前は「星河スバル」。
いったい何だと思って受信すると、『やっと繋がった』と安堵とわずかながらの怒りの混じった声が飛び出してきた。
「何だ」
『何だじゃないよ! ミソラちゃん寝かしつけるの大変だったんだから!』
「そのまま楽しめばよかっただろうが」
『そんな冗談言わないでくれる!? いい加減にしてよ!』
予想以上にスバルは怒っていた。
ミソラを寝かしつけるのが大変だったらしいが、スバルの言うことならすぐに聞くと思うのだが。
「響ミソラがご指名だったから呼んだだけだ。奴も喜んでいただろう?」
『確かに喜んでたけど、何で家にいるんだとか聞かれたし、もっと酒に付き合えとか言われたんだよ』
「飲み足りなかったか」
『そんなのんきな……!』
スバルの声に怒気が混ざる。勝手に呼ばれたことに怒っているのだろうが、こっちは彼女の希望を叶えたに過ぎないのだ。
「十回」
『は?』
「あの女が貴様の名前を呼んだ回数だ」
『……!』
スバルが息をのむのが解る。
彼はおそらく自分が無責任にミソラを押し付けたと思っていたのだろう。しかし現実は違う。ミソラが何度もスバルの名前を呼んだからこそ、ソロはお望みのスバルを送り付けたに過ぎないのだ。
「言いたいことは終わりか?」
『……』
「切るぞ」
スバルの返答を待たずに、ソロは無言で通話を切った。