ヴェリツィアの王子ジャック。
彼もまた若いながらもクインティアを補佐する優秀な王子として名が知られ始めており、「氷潔の女王」と合わせて「獄炎王子」の名で呼ばれていた。
クインティアの後をついて回っていたあの頃を思い出しつつ、シドウは声をかけてきたジャックに会釈する。
「ジャック王子。わざわざこのような場所までご足労いただき」
「やめろ、お前に言われると虫唾が走る」
形式通りのあいさつを切り捨てられ、シドウは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「何年ぶりかな。大きくなったな」
「ふん」
あの時と同じく砕けた態度で話しかけるが、これまた切り捨てられる。どうやらこれも彼のお眼鏡にかなう返事ではなかったようだ。
だとすれば。
「……もしかして、怒ってるか?」
大震災の時に「戻って」これなかった自分。一番支えてほしかったであろう時期に、何もしなかった自分。彼らが自分に対して良くない感情を抱いていてもおかしくないだろう。
しかし、ジャックは首を横に振った。
「怒ってねえよ。お前がこっち来て復興手伝ってたのは見てたからな」
「……マジか」
シドウは気づいていなかったが、ジャックは何回か様子を見に来ていたらしい。声ぐらいかけてくれればよかったのに、と内心ため息をついてしまう。まあ立場を考えれば無理ではあるが。
では、何故来たのだろうか。
旧交を温める……にしては、ジャックの顔は渋い。元々きつい顔立ちではあるが、今の顔はそれに輪をかけてきついのだ。
どうしたものか、と考えるが、シドウはとりあえず普通に会話することを選んだ。
「今回のヴェリツィアの代表はお前なのか?」
「そうと聞かれれば、そうだ。でも……」
「でも?」
「最悪の可能性も、有り得るかも知れねぇ」
ジャックの言葉に、先ほどの可能性がまた頭に浮かぶ。クインティア……ヴェリツィアがミーティアとの友好を結ばず、ディーラーの方に与するとならば。
シドウの背中に冷や汗が流れた。
「まさかとは思うが、ティア……クインティアに危害が及ぶとかないだろうな」
「さすがにそれはないと思いたいぜ」
ジャックの返答に一旦胸をなでおろすシドウだが、次の一言で目を見開いてしまった。
「姉ちゃんが、結婚するかもしれないからな」
クインティアが結婚するかもしれない。
ジャックにそう言われてから、シドウの頭はそれでいっぱいになっていた。
「頭を冷やしなさい。そして落ち着くのよ」
戻ってきた時、ルナがそう諫めた。どうやら思いっきり表情に出ていたらしい。
さて、シドウが戻ってきて少しすると、部屋の扉がノックされた。やっとヴェリツィア代表がやってきたらしい。
二人が席から立つのと同時に、扉が開けられる。中に入ってきたのはジャックと、護衛数名だ。
「ジャック殿下、この度はこのような席を設けてくださり、ありがとうございます」
「お、おう」
ルナの堂々とした態度に気圧されたか、つい砕けた口調で返事をするジャック。当然護衛の兵士がジャックをとがめ、慌ててジャックが「堅苦しい挨拶はいい」と改めて返事した。
そのままジャックに促されたので、シドウとルナは席に着く。
「早速本題に入りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ。ミーティアとは早いところいい関係になりたいってのが、姉ちゃん……女王陛下の意思だからな」
「ありがとうございます」
ルナが書状を取り出し、ジャックに見せる。受け取ったジャックは書状に目を落とした。
しばらくはジャックが書状を読むだけの時間が過ぎる。そして。
「……解った」
ジャックが顔を上げた。ただ、その表情はやや厳しいままだ。シドウはルナの方に視線を向け、それを受けたルナも視線を返す。
(やはり、ティアの結婚の相手はディーラー国の奴か)
ルナの不安は的中してしまった。
武力でヴェリツィアを落とせないのなら、謀略で落とす。そして今の女王は夫も婚約者もいない状態。婚約と言う形でヴェリツィアを掌握しようとしているのだろう。
(どうすりゃいいんだ……)
なんとなく再度ルナに視線を向けると、彼女の方は何故かこっちの方に向けてうっすらと笑みを浮かべていた。
どういことだろうと疑問に思っていたが、ルナがジャックの方に向き直って微笑んだ。
「ジャック殿下。短いですが話はこのあたりにして、せっかくなのでこの辺りの案内をしてくださいませんか?」
「え? ……ああ、それぐらいなら」
当然だが事情が呑み込めていないジャックは首を傾げつつも、護衛とルナを連れて部屋を出ていく。シドウはそれについていくふりをして、さっとその場を離れた。
さて、単独行動できるようになったのだが、肝心の女王がいる場所がどこかは解らない。やはりオーソドックスに玉座の間だろうか。
シドウは事前に教えられた城内のマップを思い出しつつ、足はいつの間にかその玉座の間へと向かっていた。
誰かに会ったら厄介だなと思っていたが、幸い誰にも会わずに玉座の間までたどり着く。これまた幸いなことに、女王は誰とも面会をしていないようだった。
「……何者です」
こっちの気配に気づいたらしい。まあこちらも気配を殺していないので、気づくのは当たり前だろう。
隠れるつもりもごまかすつもりもない。シドウは大人しく女王……クインティアの前に立った。
すぐに兵士がクインティアの前に立つが、彼女は冷静に今この場にいる者全員(当然だがシドウは除く)を去るように命じる。命じられた者たちはある者は疑問符を浮かべながら、またある者はやや不服そうな顔でその場を去って行った。
後に残るのはシドウとクインティアのみ。
「この立場では初めまして……かな」
「……そうね」
あえて砕けた口調で話しかけてみたが、クインティアの表情は変わらない。なるほど、「氷潔の女王」は伊達じゃないなと内心感心した。
「今はミーティアの使者でしょう? 一人で行動させるなんて、随分と自由な国なのね」
――あなたここの人でしょ? 私たち道を知らないから、案内しなさい。
涼しげ……と言うより冷ややかな声。しかしあの頃とあまり変わらない声は、シドウの心に懐かしさを引き起こした。
泣きたくなる。あの頃に戻りたい、と泣きたくなるのをこらえ、シドウはいつもの飄々とした態度を崩さず答えた。
「でなけりゃオレのような平民が、ここまで成り上がれるなんてありえないからな。……知ってるんだろう? 『音速の英雄』」
「ええ」
クインティアがうなずく。先ほどの兵士たちの反応と言い今と言い、努力した甲斐はあったようだ。
だが、それだけでは足りない。今こうして彼女と向き合えるだけの名は得られているが、あと一歩が足りない。それが何なのだが解らないが……。
「ジャックから話を聞いた。結婚するかもしれないんだって?」
ぴくり。
クインティアの眉が反応したが、言葉は紡がれない。こういう時、クインティアは何を話せば解らないのだ、とジャックが語っていたのを思い出した。
さもありなん。おそらく結婚についてはまだ内密の話なのだろう。それをあえて自分に話したということは、ジャックはかなり焦っているのかも知れない。
「相手はディーラーの奴か?」
「話す必要はないわ」
「何でだよ!」
思わず食って掛かってしまった。相手が女王だと解っていても、理不尽なことには食って掛かってしまう。昔からの癖だ。
対するクインティアは冷静。……いや、冷徹だった。
「もう話すことはないわ。下がりなさい」
玉座の間から追い出されたシドウは、ルナが待っているであろう応接室に戻る。道すがら、クインティアとの会話の内容を一つずつ思い出していった。
はっきりとした返答は避けていたが、結婚自体は持ち込まれているのは間違いないようだ。相手もおそらく、ディーラーの誰か。
ディーラー王は既婚なので、名のある貴族か富豪だろう。狙いはやはり、結婚と言う形で同盟を結ぶつもりか。
国としても、自身の意思としても、その結婚は何としても止めさせたい。だが、自分に何ができるだろうか。
「……おっと、危ない」
悩んでいる間も足はちゃんと動いてくれていたようだ。気づけばシドウは先ほど出ていった応接室の前に立っていた。
ルナが気を利かせてくれたとは言え、表向きは護衛の仕事をさぼったようなもの。一応シドウは申し訳なさそうな顔で中に入った。
「上手くいった?」
頭の回転の速い参謀長は、開口一番そう聞いてきた。それに対して、無言で首を横に振ることで答える。
「そう」
彼女の返答はそれだけだった。顔がやや暗いのを見る限り、そっちも会談は上手くいかなかったようだ。
それからしばらく、お互い沈黙の時間が続く。所在なさげに置かれていたカップに視線を落としたが、あいにく中のお茶は既に飲み干していた。
先に口を開いたのはルナだった。
「ジャック王子が今日は城に泊っていけって言われたわ。お言葉に甘えましょう」
「……そうですね」