All in One・8

 極度の疲労を抱えたまま、ミソラはふらふらとステーションに戻る。
 もう視界もぼやけて意識もうつろな状態。この状態で帰れるかな、と思っていると、とうとう足がもつれた。
「う……」
 そのままばたりと倒れるかと思ったが、誰かが抱きしめる形で支えてくれた。顔を確認したいが、もうそうする気力すら残っていない。
 ただ解るのは、自分を軽々と支えられるほどのたくましい誰かということぐらい。スバル君だったらいいな、とぼんやりと思った。
「……疲れたか?」
 かすかに聞こえるぶっきらぼうな声。スタッフにしては愛想が悪いが、今のミソラにはそこまで考えるほど意識がはっきりしていない。
 ただ心配してくれているのは解るので、かすかにだがこくりとうなずいた。
「そうか。他に異常は?」
 質問の意味がよく解らないが、とにかく疲れているだけなので首を横に振る。
「……そうか。歩けるか?」
 この質問にも首を横に振る。すると、体が急にふわりと浮いた。
「あ……」
 抱き上げられたのだと気づくのに、しばらく時間がかかった。
 そして、ゆらゆらと揺れる感覚。どうやら自分を抱き上げた人物は、このまま部屋まで連れて行ってくれるらしい。
 このまま甘えてしまおう。そう思ってミソラは目を閉じた。

 

 目を開くと、あまり見覚えのない天井が飛び込んできた。
「ん……?」
 いつもの自室じゃない事に戸惑いながら起きると、「気がついた?」とハープの声が聞こえた。
 近くのミニテーブルに置かれた自分のハンターVGから、自分の相棒を呼び出す。そこでようやく、自分が今どこにいるかを思い出した。
「おはよう……と言うより、もうこんばんは、ね」
「……私、どうしてここに?」
 挨拶を返さないで質問というのはどうかと思ったが、気になるので口に出してみた。
「覚えてない?」
 ハープに質問で返され、何とか記憶を掘り出す。式典のゲストとして呼ばれ、ライブとして歌を歌い、それから……。
 と、そこで今何時か解らない事に気づいた。ハンターVGのディスプレイに目を凝らすと、端っこに現在時間を見つける。

 現在、午後4時半近く。

「……ええっ!?」
 式典が始まったのは午後0時。それから1時間ぐらい代表の挨拶などで流れ、最後にミソラのライブで締める事になっていた。
 長くなっても3時前までには終わるはずだと思っていたのに、この時間。一体何があったというのか。
「言っておくけど、貴女がここに運び込まれたのは午後4時ごろよ」
 自分の聞きたいことを察したらしく、ハープが一つ情報を追加した。それで謎は解決しないが。
「一体どうなってるの? 何でこんな時間に……」
「さあね。私もよくは知らないわ。ただ……」
「ただ?」
 オウム返しに問うミソラに、ハープは珍しく眉根を寄せた顔のままで答えた。
「助けてくれたのは、ロックマン……スバル君よ」
「え!?」
 ミソラの顔が、驚きから一転して笑顔になった。
 スバルが来たという事だけで、ミソラの頭の中からいくつもの疑問が消える。スバルが来てくれた。自分を助けにだ!
 結局メールを出す事は出来なかったが、自分のピンチを感じて飛んできてくれたに違いない。そのまま帰る辺り、謙虚と言うか恥ずかしがりと言うか。
 早速お礼のメールを、と思ってメールアドレスを出すが、ハープに止められた。
「今日は寝なさい。疲れてるのよ」
「でも」
「いいから」
 珍しくハープが強く進めるので、大人しく寝る事にした。横になって目を閉じると、急に眠気が襲ってくる。
 やっぱり疲れてたんだな、と思いながら、ミソラは眠りに着いた。

 

 寝息を立て始めたミソラを見て、ハープは深々とため息をつく。
「何とかこの場は切り抜けたわね……。この調子でどこまで誤魔化せるのやら」

 ――ハンターVG内にいたハープは、一部始終をすべて見ていた。

 ミソラが熱に浮かされるまま(?)、予定の4曲の5倍である20曲を歌ったこと。
 そのせいなのか、極度に体力を消耗してステージを降りたこと。
 部屋に着く前に倒れそうになったこと。

 その彼女を支えて部屋まで運んだのが、あのソロだということ。

 

『貴方、一体何を考えてるの?』
 意識のないミソラをベッドに寝かせているソロに向けて、ハープが尋ねる。大人しく答えてくれるとは思っていないが、聞かなければ始まらない。
 予想通り、彼からは「貴様には関係ない」というぶっきらぼうな言葉が返ってきた。
『じゃあ、今何が起きているのかぐらいは聞かせて欲しいんだけど』
 この質問に対し、ソロは普通に首をかしげた。とぼけているのではなく、質問の内容が解らないと言った感じだ。
「……貴様が見たのが全てだ」
 何故かミソラのギターを手に取ったソロが、そうぼそりと答える。
「奴は予定の5倍歌った。それで急速に疲労がたまって倒れた。それだけだ」
『それだけって……』
 確かに見ただけならそれだけだろう。だがミソラとずっと付き合っているハープなら解る。あれは、異常だった。
 普段ならどれだけ乗っていても自制を利かせる彼女が、止まることなくずっと歌い続けたのだ。同じ曲を繰り返しもした。いくらなんでもおかしすぎる。
 どう考えてもそれだけどころではない。ソロは気づいていないのだろうか。
 だが、ハープはあえてそこを突っ込むことはしなかった。ソロがそこまで言い張る以上何も言えないし、あえて触れないでいるのが解るからだ。
 ソロは聡い。そして、他人に頼ることをしない男だ。故に何一つ語ろうとしないのだろう。
 と、ずっとギターをいじっていたソロが、急にこっちを向いた。
「もし何か言われたなら……そうだな、星河スバルが解決した、とでも言え」
『え?』
 唐突な言葉に、今度はハープが首をかしげた。ソロの方は、すぐに視線をギターの方――正確には自分の手――に戻す。
「そう言っておけば、奴は満足するだろう。何一つ疑わずにな」
 ……確かに、スバルが何とかしたと言えば、ミソラは満足する。でも、それでいいのだろうか。
 本当に彼女は何一つ疑わず、その嘘に乗ってくれるのだろうか。
 珍しく不安になるハープを余所に、ソロはギターを置いてこの部屋から立ち去ろうとする。
 ――その足が、ドアの手前で止まった。

「……そう信じ込ませろ。それが一番だ」
 その一言を置き去りにして、ソロは部屋を出て行った。

 ……ハープはその後姿を見て、ソロの嘘に乗ることを決めた。

 

 道行く人々に向かって、ミソラが明るい笑顔を振りまく。本物ではない。新曲宣伝のポスターだ。
 ソロはその笑顔に苛立った視線をぶつけ、煽るように缶ジュースを飲み干す。
(忌々しい……!)
 この女のせいで、自分は今日どれだけ振り回された? どれだけ苦しめられた?
 無論、彼女に罪は無い。振り回されたのは自分だけだし、そもそもそう思ったことすら理由が解らない。
 ただ、あの時彼女とギターを引き剥がすために剣を投げられなかったのは事実だし、彼女を苦しめないように嘘を強要させたのも事実だ。
 それが解らない。何故自分は、そこまで彼女に固執してしまうのか。
「くそっ!」
 苛立ち紛れに投げた空っぽの缶は、ポスターの真ん中に当たって落ちた。