「HaPpiNeSS kEEpeR(幸福の守護者)」

 差し込む朝日の光がまぶしい。
「おはようございます。マルティナ姫さま」
 今だ一人で起きられないマルティナの一日の始まりは、起こしに来たメイドの声で始まる。いい加減メイドの力を借りずに起きたいものだが、柔らかなベッドと布団の魅力には勝てない。
 何度も目をこすりながら体を起こし、大きく伸びを一つ。あくびもついでだ。
「おはよぅ……」
 語尾がいまいち締まらなかったが、それでも朝の挨拶はできた。
 もぞもぞとベッドから降り、メイドに手を取られつつ身支度を始める。
「今日はユグノアからロウさまやアーウィンさまたちが来られますよ。しっかりおめかししましょうね」
「ゆぐ…のあ……?」
「ええ。ユグノアからです」
 名前を聞いて、じっと考え込む。ユグノア。国の名前。ああ、友好関係を築いている国だ。何回か行った事がある。ではどこだ? 何があった?
「えっと……北東の国、よね。綺麗なお城がある。うん、きれいなお城」
「はい、それがどうかしましたか?」
 メイドたちに軽く髪をすかれたまま、ぼんやりと虚空を見つめる。何もない。そこには何も見えない。
「うん、そこから、好きな人たちが来るの。今日は、人が来るのよ」
 自分を納得させるように、マルティナは呟く。
 そう、私はずっとこうしてきた。ユグノアで王子が生まれてから、ずっとこうして生きてきたのだ。

「遠路はるばるよくお越しくださいました。歓迎しますぞ」
「今更そのような堅苦しい挨拶なぞいらんじゃろ! わしらとおぬしらの仲じゃからな!」
「それは確かに!」
 ロウの言葉に、大人たちが声を出して笑う。
 そんな中、母親のドレスを掴んだままやけに大人しい少年が、こっちを見ていた。6歳になったばかりのユグノアの王子、イレブン。
「ほら、ご挨拶なさい」
 母親に背中を押されたイレブンがよたよたと前に出るが、彼がやったのは挨拶ではなく全力のあっかんべー。
「こら!」
「へへーんだ!」
 息子のやんちゃぶりを笑うエレノアに代わってマルティナが大声で叱ると、イレブンはけらけら笑いながら応接間を飛び出していく。
「全くもう!」
「ごめんなさいね。でもあの子、緊張してたから」
「それでも今のはないわ! ……じゃなくて、ないです!」
 エレノアが頭を下げるのが腹立たしい。あのやんちゃ坊主、今日こそはっきりと言ってやらないといけない。
 いたずらっ子でやんちゃすぎるイレブンを叱ってきたのはいつも自分だ。それでもいつの間にか上手くあしらわれて、一緒に城内を駆けずり回るのもまた自分だ。
 そうだ、叱っていたのは自分だ。そして一緒に遊んでいたのも自分だ。
「そうよ。小さいころからそうなのよ。私はそうだったのよ」
 はっきりと口に出したが、何故か誰一人としてその言葉を拾いはしなかった。

 走り回っていたイレブンは、中庭で捕まえることが出来た。いつものようにおとなしくするよう言い聞かせるが、当のイレブンはどこ吹く風だ。
「だから、貴方は王子なんだから、もうちょっとそれを自覚しなさい!」
「してるもーん。あ、それより飴食べる? 持ってきたんだ!」
「話を聞きなさい!」
「聞いてますー」
 全く聞いてない顔で飴を差し出してくるイレブン。買収に乗ってなるものかと思うものの、目の前のカラフルな飴の魅力に負けてつい一つ手に取ってしまう。
 口に放り込めば、たちまち広がるフルーツの甘味がたまらない。
「美味しい?」
 イレブンがこっちの顔を覗き込みながら訊ねてくる。素直にこくこく頷くと、イレブンの顔がぱぁっと笑顔になった。
「もっとあるからね! 一緒に食べよう!」
「うん!」
 マルティナもさっきまでの怒りをあっさり手放し、笑顔で飴をもう一つ手に取る。
 幸せ。
 お父様がいて、城が平和で、ユグノアの人が――イレブンが来てくれる。イレブンと一緒にいられる。とても幸せ。
 私は幸せ。今日も、明日も、明後日も、幸せなまま生きていく。いかなければならない。
 そうしなければ、私は。

「――違う!!」
 飴の袋を弾き飛ばし、マルティナは叫んだ。
「マルティナ?」
「これは違う! 全部嘘よ!」
 飴を握りつぶす勢いで拳を握り、マルティナははっきりと、自分のいる空間全てに響かせるように叫ぶ。
「私の過去はこんなのじゃない。全部でたらめ。まがい物。嘘しかないわ!!」
 目の前にいるイレブンが口を開く前に、ひたすら叫ぶ。
「これは違う。貴方は確かにイレブンだろうけど、私が望んでいたものなんだろうけど、本物じゃない!」
 いつの間にか、使い慣れている槍を手に握っていた。槍を握る手も、いつも通りのそれ。
「まるてぃな。きみはなぜそれをこばむ?」
 さっきまではっきりとイレブンの形をしていたそれは、今や黒いヒトガタの影になり果てている。
 もうここは懐かしいデルカダールの城ではない。懐かしい人はいない。ただのでたらめの塊の世界だ。
「きみはずっとかこをこうかいしていた。もしもとねがいつづけていた。ならばずっとそのままでいればいいではないか。しあわせなままゆめをみればいいではないか」
「そんなもの……幸せな夢でも何でもないわ」
 槍を振れば、びしりと世界にひびが入る。
 遠くから誰かの声が聞こえたような気がする。
「幸せに見せかけたまがい物。いつかは壊れて消えるだけの幻でしかないのよ。私は……」
 嘘が、幻が、まやかしが、こぼれ落ちるように消えていく。
 それに比例するかのように、心や体がずきずきと痛み出す。現世の痛み。本物の苦しみ。……かけがえのない、真実。
「私は……」
 広がり出す、本物の世界。吹き荒れる風と砂が見える。戦場の光景が見える。ぼろぼろになりながらも、立ち上がろうとする「彼」が見える。
 その後ろ姿に届けるように、はっきりと声に出す。
「貴方と再会できた『今』でいいの」

「うわぁぁぁっ!」
 黒いヒトガタが拳を合わせて衝撃波を放つ。
 かろうじて勇者の剣ではじくことが出来たが、衝撃波すべてを避けられなかったイレブンは大きく弾き飛ばされる。
「イレブン!!」
 何とか意識を取り戻したマルティナが声をかけると、驚いたようにこっちを見た。
 急ぎ周りを見渡すと、かろうじて戦えるのは自分とイレブンしかいないようだ。後はカミュが意識を取り戻しかけているぐらいで、残りは全員倒れている。
 ヒトガタの手が、今だ倒れたままのベロニカの方を向く。その指先には、明らかに攻撃であろう光が宿った。
「まずい!」
 槍を構え、防御を捨てた捨て身の勢いで飛び込む。閃光のごときその一撃は、迷わずにヒトガタの脇を鋭く貫いた。
 腹にうっすらと書かれた「HaPpiNeSS kEEpeR(幸福の守護者)」の文字に、マルティナは一瞬苦笑いを浮かべてしまう。
 ……それが隙に繋がってしまった。
「!!」
 ヒトガタの青い目が、マルティナを完全にとらえた。フラッシュ二回。パーティ全員を偽りの世界に落とした、驚異の攻撃が始まる合図だ。
 びぃぃぃぃぃぃぃぃ、と耳をつんざく音が響き渡る。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「マルティナぁぁっ!」
 イレブンの絶叫が遠く聞こえる。また視界がぼやけて、歪んだまがい物の世界が広がり始めるが。
「そうは……させるかよぉぉっ!!」
 ようやく意識を取り戻したカミュが投げたブーメランが、ヒトガタの目を潰した。同時に、奴の後頭部で闇の塊が爆発する。
「じいちゃん!」
「イレブン、姫を連れて下がるんじゃ!」
 同じく意識を取り戻したロウが呼びかけた。
 イレブンに強引に引き寄せられることで下がるマルティナ。二人の攻撃を喰らいながらもまだ動こうとするヒトガタに、今度は別方向からムチが絡みついた。
 シルビアも起きたんだと気づいた瞬間、イレブンが呼んだ轟雷がヒトガタを焼いていた。
 高火力の一撃には耐えられなかったヒトガタが、火だるまのままゆっくりと崩れ落ちていく。
「……さよなら、私の過去のかたち」
 マルティナは亡骸に向かって、そうひとりごちた。

 サマディー城下町、宿屋の一室。
 あの戦いの後意識を失ったマルティナと、それを看病しているイレブンを除いた六人が、今後の対策を考えていた。
「……今のわしらでは、邪神を倒すのは無理じゃな」
 苦々しい顔つきのロウが、最初に結論を出す。
 実はケトスが覚醒したことで勢いのついたイレブンたちは、そのまま邪神討伐のために黒い太陽に乗り込もうとしていたのだ。
 サマディー地域の上空に浮かぶ月付近までは問題なく近づけたものの、月はモンスター――HaPpiNeSS kEEpeRを生み出して抵抗した。
 応戦しようと武器を構えたイレブンたちに対し、敵は精神に直接干渉する衝撃波を放つ事で彼らに大きな被害を与えてきたのだった。
「今回はマルティナちゃんのファインプレーで何とかなったケド……次はないでしょうね」
 シルビアの一言に、セーニャが暗い顔で深々と頷く。癒し手である彼女は、ずっと戦闘に参加できなかったことをショックに思っているようだ。
「やはり、バンデルフォンの地下にあるらしい『試練の間』に行くべきだろうな。心身ともに、鍛え直すためにも」
 同じくずっと戦闘に参加できなかったグレイグが、重い声で呟いた。

 暗い部屋で、目を覚ました。
 起き上がろうとすると、誰かの手で押さえられた。
「寝てて。まだ安静にしてる方がいいと思うから」
 イレブンだった。暗い部屋のせいか、表情も暗く見える。
「おかげで助かったよ。ありがとう」
「……ええ」
 それからはお互い押し黙るだけで、何も言わない。イレブンも手を放し、ただマルティナを見つめるだけだ。
「……どうしたの?」
 どういう意味、とは聞かない。彼の言いたい事は、おそらく。
「過去という夢を見てたわ」
「……?」
「ありえなかった過去の夢よ。貴方がユグノアの王子様で、親子で仲良くデルカダールに来るの。笑っちゃうでしょう?」
「笑えないよ。そんなの」
「笑っちゃってよ。ホントありえないもの。貴方はイシの村で幸せに暮らしていた。それが正しい過去なんだから」
「……何も知らずにのほほんと暮らしていた、とも言えるよね」
 そんな事はない。彼は何も知らずに幸せに暮らしていたからこそ、今まで命を狙われずに済んだのだ。
「姉さんやじいちゃんの苦しみも知らず、自分だけはのんきに暮らしてた。そんなのってありかよ……」
「真っ先に村を狙われて焼かれるより、はるかにマシでしょう?」
「だけど!」
「イレブン」
 起き上がって、落ち着かせるように優しく抱きしめえる。ぐずる幼子をあやすように、背中をそっと撫でた。
 私はね、と優しい声で告げる。
「強くたくましくなった貴方と再会できて一緒に戦える今の方が、夢よりもずっとずっと幸せなのよ」