膝枕

 ベロニカとセーニャから聞いたことだが、マルティナは寝るとうなされることが多いらしい。曰く、悪夢を見やすいのだとか。
 無理もない、とイレブンは思う。16年前のあの出来事から、彼女はずっと戦い続けてきた。自分を手放した事を後悔しながら、悲劇を繰り返すまいと頑張り続けてきたのだ。
 悪夢の内容はそれ以外にもあるのだろうが、イレブンは表立って聞いたことはない。誰が好き好んで人のトラウマを抉りたがるのか。
 ただ、何もできないのは辛い。
 母と一緒に自分を守ってくれた――今も守ってくれている彼女が、一人で苦しんでいると思うと、胸の奥から苦しくなる。自分を守ってくれる仲間を守れないで、何が勇者だろう。
 救いたい。今だ苦しむ貴女を。
 守りたい。それでも自分を守ろうと必死な貴女を。
 全ての運命を変えるために過ぎ去りし時を求めた自分が、これ以上何かを望むのは欲張りなのだろうか。

 ぱちり、とたき火の薪が爆ぜた。
 その音に反応して、イレブンははっと顔を上げる。気を抜いていたつもりはないが、どうもうとうとしていたようだ。
 モンスターすら寝ていそうな深い夜。今ここで起きているのは、寝ずの番をしているイレブンだけだ。乗ってきたブラッドポリスのハチも、今は動いていない。
 ぶるぶると首を振っても、眠気はじわじわと侵食している。誰か起きてこないだろうか。そうすれば、会話で暇をつぶせるのに。
 手に持っている薪で適当に地面に線を描いていると、テントの方からごそごそと物音がした。
 交代か、と思って立ち上がると、中からうつむいた顔のマルティナが出てくる。はて、とイレブンは内心首を傾げた。
「どうしたの? 次はマルティナだっけ?」
 声をかけると、「いいえ」と返事が返ってきた。
「目が覚めただけよ。すぐに寝るから気にしないで」
「そう……。あ、何か飲む?」
「いらないわ」
 きっぱり拒否されたので、居心地の悪いままに座りなおす。マルティナはたき火を挟んだ向かいの方に座る。
 それからしばらくは、燃えるたき火だけを見つめるだけの時間が過ぎる。ここにシルビアがいれば、上手く茶化しながらも話のネタを提供してくれるだろうが、残念ながら彼は夢の中だ。
 仕方ない。イレブンは軽く深呼吸してから、口を開いた。
「眠れない?」
 オーソドックスな切り出し方に対し、マルティナは誤魔化すような笑みを浮かべながらも「少しね」と答えた。
「目が冴えちゃったのよ。おかげで横になってても眠れなくて」
「それでも横になってる方がいいって、じいちゃんやカミュが言うけど……」
「まあね。でも、逆に開き直って眠くなるまでこうしてるのもありってのも聞くわ」
「そんなものかなぁ」
「そんなものよ」
 くすくすと笑う顔に一筋の汗が流れたのを、イレブンは見逃さなかった。彼女は、嘘をついている。
 おそらく、起きた原因は何かしらの悪夢なのだろう。それを見て目を覚ました彼女は、逃げるように起きてここに来た。眠れば悪夢を見るからだ。
 何とかしてあげたい。そう思った時、イレブンの脳裏でペルラの言葉が浮かんだ。
「マルティナ」
 声をかけて、太ももあたりをぺしぺしと叩いた。
「……何の真似?」
「膝枕してあげる」
「は?」
 マルティナの顔がみるみるうちに赤くなる。こっちも恥ずかしいけど、これが一番だと思った。
 顔が赤くなるのを抑えるために、にっこりと笑ってみる。本当はもう体も顔も熱いけど、バレたら嫌がられるのは目に見えている。
「やっぱり横になってた方がいいよ。寝るまではこうしてるからさ」
「いや、そういうのを君にしてもらうのは、その、ね?」
「いいからいいから。こっちにおいでよ」
「だから……!」
 誘うようにもう一度ぺしぺしと太ももを叩くと、観念してくれたのかマルティナはこっちに来て頭を乗せてくれた。
 膝枕は初めての経験だが、思ったより人の頭は重くも軽くもない。痺れることはなさそうだ。撫でてあげたいのをぐっとこらえ、そっと肩に手を置く。
「どう?」
 寝心地の良さを問うてみれば、いつもの彼女らしからぬくぐもった声で「ちょ、ちょっとごつごつしてるかな……」と感想を述べられる。悪くはなさそうだ。心の中で胸をなでおろす。
 子守歌も歌えば完璧なのだろうが、あいにく自分は一曲も知らない。ラリホーマはただの呪文なので割愛した。
 代わりに、努めて優しい声で語りかけることにした。
「母さんがね、『怖い夢を見た時は、誰かと一緒に寝るといいよ。そうすれば、怖い思いなんて吹っ飛ぶから』って言ってたんだ。マルティナもそうすれば、怖い夢も吹っ飛ぶんじゃないかな」
 寝かされていたマルティナの顔が一瞬はっとなり、すぐに柔らかい笑顔になった。
「……エレノア様からも、似たような事を言われたわ。『誰かと一緒なら、悪い夢なんて怖くないのよ』って」
「そうなの?」
「ええ。ペルラさんとエレノア様、もしかしたら似てたのかもね」
「そうなんだ……」
 何か羨ましい。イレブンは素直にそう思った。
 本当の両親――アーウィンとエレノアとの思い出は何一つないが、ロウやマルティナにはある。二人には、自分が知らない親の顔をたくさん知っている。
「母親って、みんなそっくりになっていくのかしらね。言ってる事とか」
「暖かいとことか?」
「ふふっ、そうね」
 それからはとりとめのない話を、いくつもした。やれカミュとベロニカがまたくだらないことで喧嘩していた、やれセーニャがスイーツ巡りできなくてしおれていたとか。いくつも、いくつも。
 いつしか時間も過ぎていて、イレブンの瞼も少し重くなっていた。マルティナの方を見れば、彼女は完全に睡魔に負けたようで、すやすやと寝息を立てている。
 穏やかな寝顔には、一片たりとも苦痛の色がない。どうやら、今見ているのは悪夢ではなさそうだ。よかった、とつい口に出す。
 誰も見ていないのをいいことに、イレブンはそっとマルティナの髪をなでた。
「……ねえ、僕は貴女を救えてる?」
 返ってこない問いを、投げかける。

 ねえ、少しは苦しまずに眠れてる?
 ねえ、少しは貴女の頑張りに報いてる?
 ねえ、少しは僕の気持ちに気づいてる?

 答えなくてもいい。でも今だけは。
 今この瞬間だけは、自分の都合のいいように考えさせてほしい。

「……おやすみなさい、いい夢を」

 そろそろテントに移すべきかな……と考えていると、そのテントからごそごそとグレイグが出てきた。
「交代だ……って姫様!?」
「しっ! 今寝てるんだから」
 膝枕で寝ているマルティナを見たグレイグを慌てて止める。ようやく寝れた姫君を、家臣の大声で叩き起こしてはまずい。
 愚直な家臣はすぐにそれを察して、音を立てずにマルティナをイレブンの膝枕から解放する。イレブンは膝枕でがちがちになっていた足に喝を入れて、ゆらりと立ち上がった。
 眠るマルティナを抱き上げ、テントに向かう。
「僕も寝るよ。後はよろしくね」
「あ、ああ。大丈夫か? 良ければ私が姫様を寝かせるが」
「大丈夫だよ。それにこれだけは譲るつもりはないから」
 弟の特権です、とイレブンはうっすらと微笑みながら言う。
 目を白黒させるグレイグをよそに、イレブンはマルティナを抱き上げたままテントの中に入っていった。