それは過去より来たる・3

 VIPルーム。
 二つのコップに適温の水を注ぎ、それぞれ同じタイミングで半分ほど飲む。調査で走り回ったので、いつも以上に水が凄く美味しく感じる。
「で」
 凜花のため息を見た隣の才悟が、心配そうな顔でこっちを見る。
「何があったんだ」
「……」
 何もありません、で済まされるわけがない。あれだけ自分の過去を知ってますよ、な素振りをしてきた人間たちを「ただの元学友です」で誤魔化しきれるわけがない。それは重々承知だ。
 だが才悟に自分の過去を知られることに対して、何故か抵抗を感じる。エージェントとして関係ないからか、それとも才悟に心配をかけさせたくないからか。まあ何が本当の理由だとしても、今の才悟を目の前にして教えないという選択肢を選べなかった。否、最初からなかったに等しい。覚悟を決めて、口を開いた。
「あの男性……吉阪先輩の言う通り、麻薙は私の旧姓よ。ここに来る前は、ママの姓名を使ってたの」
「先輩? 吉阪はキミより上の学年だったのか?」
「ええ。二つ上の三年だったわ。生徒会長として、風祭さんのような取り巻きを引き連れて、我が物顔で学校を歩いていた」
「……」
 解らないという顔で首をかしげる才悟。さもありなん。彼の通っていた「学校」は、アカデミーとは名ばかりの戦闘員育成所だったのだから。とりあえずそこらの説明は端折り、凜花は話を続ける。
「吉阪先輩は女好きでも有名で、ちょっと気に入った子でもツバを付けてたの。その『ちょっと気に入った子』に私が加わってしまったわけね」
「でも、キミは嫌がったんだろう?」
「そうね。さっきの態度を見たでしょう?」
 あからさまな上から目線。自分以外の者は全て格下と見ている態度は、どちらかと言うとカオスイズムの者に近いかも知れない。そんな男について行きたいと思う女子はまずいないだろう。……ただ、ある点を除けば。
「先輩があんな風に立ち振る舞えるのは、親が有名政治家らしいの。だから金も権力もある。自分に逆らう者はそれで潰してきたのよ」
 才悟の顔が険しくなった。
 金と権力の恐ろしさは解らずとも、彼の振る舞いがそれらを持つ者の振る舞いではないと言う事は解るらしい。まあ身近に模範的かつ参考になる者がいるからだろう。今にも立ち上がりそうな彼を抑えつつ、凜花は続ける。
「それに、そのおこぼれに与りたい人もいる。さっきの風祭さんみたいにね。当時の先輩は、金と権力をちらつかせればついて来る。そう思ったんでしょう」
 だが凜花はそれを拒絶した。そしてそれがきっかけで、いじめが始まった。
 物が無くなる、自分だけ大事な話を教えてもらえない。そんなのは序の口。気づけば周りに人がいなくなり、根も葉もない噂を広げられた。それでも凜花は幸太郎の誘いに乗る事はなかった。下手に従えば、そのまま骨の髄までしゃぶりつくされるのが目に見えていたからだ。そんな彼女に業を煮やした幸太郎は、男たちを連れて暴行しようと凜花を呼び寄せた。
「……!」
 ガタッと立ち上がる才悟に「落ち着いて」と凜花が抑える。
「大丈夫よ。実際には何もされなかったわ」
 というのも、さすがに暴行はマズいと思った取り巻きの中でも下っ端の一人が、凜花にこっそりと事情を説明したのだ。それを聞いた凜花は今まで録音していた暴言やそれとない脅しの数々を匿名アカウントでSNSに投稿。面白がった特定班が脅しているのが吉阪幸太郎と特定し、父親である幸一郎を巻き込んだちょっとした炎上騒ぎとなったのだ。
 当然、上――吉阪幸一郎が黙っていない。引き起こした原因である凜花を強制退学にすることで、半ば強制的に炎上を抑え、いじめはなかったともみ消したのだ。凜花自身もそろそろ母親の状態を考えて、学校に行けるか考えていた頃だったので、これ幸いと退学を受け入れた。
「これが虹顔市に来る前の話よ」
 ことり、と凜花はコップを置く。今となっては大したことのない、そんな話だが、話す事には少しためらわれた話。

 ふわり

「!」
 暖かで、力強い腕。気づけば凜花の身体は、才悟の腕の中にすっぽりと収まっていた。名前を呼ぼうとすると、才悟の方が先に口を開いた。
「オレがいられたら良かったのに」
 才悟の優しくもせつない言葉に、胸がどきどきする。気づけば顔も赤くなっていて、才悟には見られないように自分の顔をその胸にうずめた。
 絆されてはダメなのだ。自分はエージェントとして、戦うライダーである彼を支えなければならない。それが永遠の契約だから。

 小さくか細い身体を抱きしめると、胸のどこかがちくりとする。何故かは解らない。だが才悟はいつからか、このか弱くも自分より強い少女に寄り添いたいと願ってしまっていた。仮面ライダー関係なく、命を懸けて守りたいとも。
 だから彼女の過去を聞けば聞くほど、己の無力さとその場にいなかった事について虚しさを感じた。
「オレがいられたら良かったのに」
 心から呟く。
 もし自分がいたら辛い思いをさせなかった。いじめをしてくる奴らにも立ち向かったと言うのに。ただただ自分と彼女の出会いの遅さを痛感する。
 腕の中で凜花がもぞもぞと動くが、力を籠めることで抑えた。今はただ、こうして彼女のぬくもりを感じていたいし、何より自分はこうすることでしか彼女を慰められない。
 胸が苦しい。息をしたいのに息ができない。こんな状態……思いは初めてだ。
「だ、大丈夫、だから」
 息苦しさを感じたか、凜花が少し息切れしたように言う。さすがに抱きしめ続けるのも限界だろうと悟った才悟は、そっと彼女を離した。
「すまない」
「いいの。気持ちは十分嬉しいから」
 いつもの微笑みを浮かべる凜花。その優しい微笑みは、たまに見る「これ以上の詮索は不要」という微笑みだ。
 まただ。
 いつも彼女はそうやって一人で背負う。大丈夫よと微笑んで、自分たちの思いをシャットアウトするのだ。自分はいつでも頼って欲しいと思っているのに。
「……」
 胸が苦しい。締め付けられる。無力な自分が恨めしかった。
 コップが汗をかくまで、才悟は何も言えずにいた。

 さすがにそろそろ帰った方がいいと言われ、才悟は仮面カフェを出る。確かに、外の色は夕焼け一色になっていて、家に帰るよう促している気がした。
 調査からそのまま真っ直ぐ仮面カフェに来たので、帰りは歩きだ。走って帰ろうか、なんて思っていたら。

 カシャ

「……!」
 どこかから聞こえたシャッター音。音の方に視線を向けるが、見た感じそこには誰もいないしカメラもなかった。気のせいだったのだろうか。
(……違う)
 思い出す、吉阪幸太郎のねめつけるような視線。あの視線は、凜花だけでなく自分にも向いていた。凜花の話から想像するに、自分の「モノ」になるはずの女に男がひっついていた事に怒りを感じていたのだろうか。だとしたら。
(許せない)
 初めて感じる怒り。自分にとって大事な物を踏みにじられた、と心から感じた。
 だが相手はカオスイズムではなくただの人間。怒りに任せてライダーとして戦うわけにはいかない。そしてこの言う時に人と戦う術を、才悟はよく知らない。ならできることはただ一つしかない。
(皇凜花は、オレが守る)
 改めてその気持ちを胸に、才悟は家路についた。