図書館の彼

『……と言うわけで、下町地区の神社は参拝客でにぎわっています』
 一月二日のTV。
 特番に挟まれたニュース番組の中で、今年の虹顔市の正月を映していた。初日の出を拝みに行く者、福袋を買いに行く者、そして参拝客。
 特に参拝客の方は人が多い。そりゃそうだ。私もその中の一人だったが、虹顔市の住民全員が来たんじゃないかってくらいの混雑ぶりだった(本当にそうだったら動くことすらできなかったんだろうけど)。
 シーンが切り替わる。
『お炊き上げの方もにぎわってますね』
 何の変哲もない、お炊き上げの一シーン。だけど私はその一シーンの中にいたある人物に目が行ってしまった。
 グレーブルーの坊主頭に黒いジャケット、決して崩れる事のないピシッとした姿勢。

(蒲生慈玄……!)

 それは確かに、数時間前少しだけ会話した彼だった。
 息をのんだ。
 その隣には、誰もいない。撮られた時間がいつなのかは解らないので、私が映らなかったのか、それとも私がいない時のものなのかは解らない。
 だけどその切り取られたシーンの中に、間違いなく彼はいた。
 いつもと変わらない仏頂面で。

 私は小さいころから勉強ばかりの、いわゆる「ガリ勉」だった。
 何故そうなったかは覚えていない。ただ、とにかく勉強していい点数、いい成績を取り続けた。両親も、そんな私を誇らしげに見ていた。
「どうして勉強ばかりしてるの?」
 何人もの人間がそう聞いてきたが、私はそう言う時「いい学校に入りたいから」でかわしてきた。実際にそうなのかは解らないのに。
 とにかく、私は勉強を頑張った。同年代の子どもたちがゲーセンだカラオケだと遊びまわる中、私は本屋や図書館に通い、ノートにペンを走らせていた。遊んでいる人たちを見返すとか何も考えず、ただ呼吸の一つのように、黙々と。
 一種の依存症なのかも知れない。人が煙草や酒、ゲームにハマって戻れなくなるように、私は勉強から戻ってこれなかった。まあ戻る気もさらさらなかったんだけど。
 そんな生活をし続けて何年も経ち、私はいつの間にか高校三年生になっていた。
 周りがどこに行くかで騒ぐ中、私はまたも勉強に明け暮れようとした。しかし、高校の時とは違い大学はさらに周りが気合を入れるのか、あちこちから「どこに行くのか」を聞かれた。いつもの「いい学校」でかわそうとしたら、「そこで何をしたいのか」と詰め寄られることも多くなった。
 私は疲れてしまった。
 親さえも追及される中、私は逃げ場所として図書館を求めた。そこで、一人の青年を見たのだ。

 最初は自分のようなガリ勉かと思った。
 何故なら背丈や服装からするに大学生のような気がしたし、自分の中で大学生=遊んでいるというイメージだったからだ。そんな青年が黙々とノートにペンを走らせているのだ。自分と同類かと思ってしまうだろう。
 でも彼は違った。勉強をしていたかと思うと、図書館の本を片っ端から借りては読みふけってもいる。そうかと思えば、あちこちを歩き回っては困っている人に声をかけたりもする。勤勉と生真面目が服を着て歩いているような青年だった。
 私と彼の大きな違い。それは、彼には友達がいることだった。
 その友達は赤毛の陽気な青年だったり、黄色の髪の優しそうな青年だったり、青髪の青年だったりした。ごくまれに、綺麗な女性の時もあった(さすがに女性が声をかけてたのを見た時は、驚きと同時にショックだった)。
 私には何もなかった。ああやって声をかけてくれる人なんて、親ぐらいしかいなかった。
 だからかもしれない。
 いつしか私は彼の近くに座り、ノートを広げるようになった。
 彼女とか友達とかなれなくてもいい。ただ、認識してほしい。同じ存在だと思われたい。
 それは私にとって初めての、恋のようなものだったのかも知れない。

 そんな中、私は彼と会話する機会を得た。
 とは言っても、大したことではない。検索機が壊れたから、本を探してもらった。ただそれだけ。
「〇〇大学の赤本か。それならC22だ」
「ありがとうございます」
 会話の内容もこれだけだ。詳しいですね、とか何で知ってるんですか、とかもない。ただの案内。その時は本を探すので手いっぱいで、もっと会話するという考えは頭になかったのだ。
 勉強が一息ついた時、もっと話しかければよかったと思ったけど、後の祭り。もう彼は図書館を出ていっていた。
 仕方ないので司書の松山さんに聞いてみる事にした。彼は図書館の関係者ではないけれど、松山さんとはよく話していたのを知っている。
「ああ、蒲生くんの事?」
「がもうくん?」
 予想通り、松山さんは彼の事を知っていた。ガモウ。そう言えば、彼の友達が「ガモウくん」「ジゲン」「ガモウジゲン」とそれぞれ呼んでいたのを思い出す。
「そうそう。蒲生慈玄くん。漢字はね……」
 松山さんが彼の名前を書いてくれた。蒲生慈玄。私が知る「ガモウジゲン」の情報がもう一つ増えた。
 だが、私は瞬時に後悔した。名前を知ってどうする。次会った時に挨拶して、本を探してもらったお礼をする。それだけで終わってしまうだろう。
 名前一つで友達になれるとでも思ったのだろうか。私は自分の頭を殴りたくなった。

 時は流れ、志望と言う名の適当に選んだ大学に入った私は、相変わらず特に誰かと仲良くなることもなく大学に通うだけだった。
 手に入れた情報を活かすことなく、ただただ彼――蒲生慈玄の近くの席で勉強するだけの日々。そんな日々でいいのかと自問自答しつつも、答えが見出せないままだった。
 と言うより、見出したくなかったのかも知れない。
 蒲生慈玄が読書や勉強に明け暮れる隣で、自分もまた勉強する。そんな日々を失いたくなかっただけなのだ。何故なら、その方が気楽だから。
 そして明けて一月二日。
 私は何とも言えない思いを抱えたまま、下町地区の神社にやってきていた。去年合格祈願のために買ったお守りを納めるためだ。
 去年クラスの連中が盛り上がっていたので、つい自分も付き合ってここの神社で買った。来年みんなで納めようねと言ったくせに、実際納める時になるとこの有様。所詮は口約束と言う事か。
 それならいい。自分は自分でさっさと納めるまでだ。
 一年前歩いた道を、同じように歩く。去年と変わらない混み具合の中で、何を話しただろうか。もう覚えていない。
 本殿に着き、お賽銭を投げる。合格報告とお礼、それから今年も無事に過ごせますようにという祈り。それらをまとめて願い、混んだ流れから飛び出した。
 飛び出した場所の近くに、おみくじがあった。誘われるように引いてみれば、おみくじは「吉」だった。願いは叶い、待ち人は来る。そんな内容が古めかしい言葉で書かれている。
「……」
 去年は何だっただろうか。もう思い出せない。思い出せることと言えば。
(ああ、そうだ)
 おみくじか何かに釣られて、合格祈願のお守りをもう一つ買ったのだ。自分の以外の物を、もう一つ。
(『待っているより自分から動け』)
 一月四日、蒲生慈玄が席を外したのを見計らって、彼のノートの上にこっそりとお守りの入った紙袋を置いた。誰かがいたらバレたり落とし物コーナーに送られる可能性があったが、運よくその日は私と彼以外いなかった。
 彼が受け取るか否かは関係なかった。でも、私からの物だとは気づかれてほしくなかった。我ながら恋する乙女みたいだなとは思うが、それが私の本心だった。
 おみくじの行方は解らない。少なくとも翌日あのテーブルにお守りは置かれてなかったし、落とし物コーナーにも届いていなかった。
(まったく)
 今更思い出して何になる。こうなったらさっさと古いお守りごとお炊き上げしてもらった方がいい。そう思った。
「え」
 お炊き上げの場に到着した時、私の心臓はどきっと跳ね上がった。
「? 何だ?」
 お炊き上げの列に並んで待っている人の一人がこっちを向く。グレーブルーの髪に黒いジャケットの青年。
 ――蒲生慈玄その人だった。
「ど、どうして」
 不覚にも混乱した私は、心の声を思わず口に出してしまった。
 蒲生慈玄はまるで顔見知りのような言葉に首をかしげるものの、何となくこっちの顔は見覚えがあったらしい。「ああ、図書館のか」とぼそりと呟いた。面と向かって顔を合わせたのはあの1回ぐらいなのに、彼は覚えていてくれたようだった。
「あんたに言っても仕方ないとは思うが」
 ぼりぼりと坊主頭をかきながら、蒲生慈玄はポケットからごそごそと何かを取り出した。
 去年、私が置いて行ったお守りだった。
「去年このお守りが俺のノートの上に置かれていてな」
「……」
「落とし物だと思って落とし物コーナーに渡そうとしたんだが、松山さんが『多分蒲生くんにくれたんだよ』と言うから、そのまま持っていたんだ」
「……」
「正直大学受験をしない俺が持っていても意味があるのか解らなかったが……、少なくとも勉強で悪いことはなかったから御利益はあったんだろうな」
「へ、へえ」
 もう何を返せばいいのか解らなくて、ただ震える声を押さえながら相槌を打つので精一杯だった。
 いろんな言葉が私の心の中でバウンドボールよろしく弾んでいるものの、中には聞き捨てならない言葉があった。
「大学受験、しないんですか?」
 そう。
 大学受験を「しない」。まるで資格はあるけれどやらないようなその言い方が、少しだけ気になった。私と同い年だったのも驚きだったが、あえて大学に行かないという選択を取ったのも驚きだった。
 こっちの動揺など知らない蒲生慈玄は、当たり前のように「そうだ」と答える。
「今は大学に行っている余裕はないからな」
 大学に行かない。そんな選択肢を選ぶとは思わなかった。あれだけ読書や勉強をしていたのに。
「行きたいと思ったら行く。そのぐらいでいい」
「……」
 考えたことがなかった。
 そもそも自分が大学に行ったのは、勉強する姿を見られた時に面倒ごとに巻き込まれたくないからだ。大学に行っておけば、勉強してる姿もそれほど問題ない。
 だけど、隣の彼は勉強を一つのサイクルとして捉えた上で、その先を見据えているような気がした。
 なんだか心が少しだけほぐれたような気がした。
「そう言えば、あんたは何をお炊き上げするんだ?」
 聞かれたので、私は去年買ったお守りと答えた。同じお守りだけど、ここの神社のお守りなのだから被ったって別に何の問題もないはず。現に、蒲生慈玄は「そうか」とだけ返した。
 お炊き上げの場で私たちは、同じタイミングでお賽銭を入れ、手を合わせてお祈りし、去年のお守りを火にくべる。私が買った二つのお守りは、あっという間に燃えていった。
「それじゃ」
「はい、それじゃあ」
 お互い顔見知りのような挨拶をかわし、私たちは別れた。

 

『さて、明日で三が日は終わりですが……』
 キャスターの言葉で、私は我に返った。
 お炊き上げ会場のシーンはとっくに終わり、今は天気予報の話題になっている。蒲生慈玄の姿も、当然ない。それでも、私の目にはあのグレーブルーの坊主頭と黒いジャケットがはっきりと焼き付いている。
 明日も私は図書館に行くだろう。そして、蒲生慈玄の近くの席でノートを広げるのだろう。ただノートを広げ、ペンを走らせる。そして学んだことを糧とする。今はそれでいいのだ。
 私も、勉強のその先を見据えられるようになる。そんな気がした。

 ……そこまで考えて、私はある事を思い出す。
「あのノートは何を書いてるのか聞けば良かったな」
 そう、彼が本を広げて書き留めているあのノート。あれの内容を教えてもらえば良かった。
 私はちょっぴり後悔した。