美術雑誌のコラム

 昨今の芸術界は若手が育ちにくいと言われて、もう何年経つだろうか。
 誰が言い出したか知らないが、確かにレイヴン・ダンのようなインパクトのある天才は今の時代現れていない。全くもって残念である。
 しかしいないからと言って、ここで筆をおくわけにはいかない。私なりに様々な個展、コンテストなどを巡り、その中から見出した者を一人紹介する。

 神威為士。

 現在は虹顔市を中心に活動している若き芸術家で、その作品は水彩、油絵、写実など多岐にわたる。……と書けば、レイヴン・ダンの再来か、と思われるだろう。だが彼とレイヴン・ダンを分ける部分が一つだけある。
 それは彼が描く絵は全て自画像であるという事だ。
 水彩だろうが油絵だろうがクレヨンだろうが墨だろうが、彼はそれを自分の顔のみに使っている。彼の才能ならば風景画や静物画でも十分その素質を発揮できるだろうに、徹底的に自画像のみを描くその姿は、一種の狂気すら覚えてくる。
 いや、既に彼は狂気に堕ちているのかも知れない。
 徹底的に他者を排除し、己の美のみを追求する。そのような画家……芸術家がこの世にいただろうか? 断言しよう。まず、いない。
 普通の芸術家なら自然や人に美を見出すのだが、彼はそれらに目もくれずに己のみを追求し続ける。キャンバスに、自分以外の存在を認めないのだ。それは他者の拒絶か、それとも徹底的に内面を伝えたいと言う事なのか。
 彼は自画像と言う形を通して、何を伝えたいのだろうか。また、何を見ているのだろうか。私は「美の化身――Stay Gold」を前に、そう思うのだ。

(〇月号)

 神威為士を知るには、やはり当人へのインタビューが必要かと思い、私は虹顔市へと足を運んだ。
 中央地区にあるとあるカフェで神威為士について聞いてみると、彼はこのカフェにたまに足を運んでくると言う。ちょうどいいので待たせてもらっていると、その本人が来た。
 正直、見て驚いた。彼自身、滅多に見ない美男子だったからだ。
 一般的な芸術家によくある、偏屈さを感じさせない。立ち振る舞いから身だしなみまで、彼自身が一つの作品であるかのようだった。
 早速インタビューを試みようと思ったが、彼は紅茶を頼んでからはそれに夢中でこちらの話を聞いていないようだった。それどころか、「インスピレーションを得た」と言って、紅茶を飲み干してすぐにどこかに行ってしまった。
 カフェのマスター曰く、彼はいつもこんな感じらしい。インスピレーションが湧けばどこだろうと何だろうと、帰って絵を描き始めるのだそうだ。
 四六時中自画像の事を考えているのかと思うと、やはり彼はそんじょそこらの画家とは違う。せっかくなので、知り合いらしいカフェのマスター(まだまだ若く、神威為士と年が近そうな感じがした)にもインタビューを敢行する事にした。

 ――彼はいつもここに?

「はい、インスピレーションが湧かないと言う時はたまに来ています。というか、うちのレオン……店員の紅茶が目当てな部分もありますね。神威くん……彼は紅茶にもうるさいので」

 ――彼の絵を見た事は?

「あります。というか、誕生日プレゼントにもらいました。絵だったり立体物だったり様々ですけど、全て自画像です」

 ――絵を見た感想は?

「私は絵が上手いわけではないので、彼の才能がうらやましいと思いますね。それだけ彼は色んな物に自分の絵を描きますから」

 ――色んな物、とは?

「コンテナとか段ボールとか……、とにかく色々です。彼にとって、絵が描ける物ならなんでもありなんだと思います」

 ――そうですか……ありがとうございました。

 カフェのマスターへのインタビューは予想以上の成果があった。神威為士にとって全てがキャンバスであり、画材らしい。
 私はこのまま虹顔市に留まり、取材を続けようと思った。さらに彼の事を知りたくなったのである。

(×月号)

 神威為士の絵を追って二か月は経つ。
 その間虹顔市に何度も足を運び、彼が懇意にしているカフェにも寄った。その間解った事として、この市は私が思ってる以上に神威為士の絵で溢れていると言う事だ。
 カフェのマスターが言うように、工業地区のコンテナには彼の絵があったし、直に彼の絵を貰ったと言う者にも会う事が出来た(買い取ると言ったら喜ばれた)。
 それでも、神威為士という人物には近づけていないような気がしてならない。
 彼の作品は多々あれど、何故病的にまで自画像に拘るのか。大量の自画像は、何を訴えたいのか。それが解らない。
 やはり彼に直接インタビューを試みるしかないのか。そう思って、最近常連になりつつある某カフェに足を運ぶ。すると、探していた神威為士に再び出会う事があった。この好機を逃すわけにはいかない。私は直接彼にインタビューを試みた。

 ――何故絵を描くのですか?

「俺の美を後世に残すためだ」

 単純であり、病的。そして狂的。
 私が問いかける度に、彼は己の美を訴え、それを後世に残すためだと答え続けた。
 漫画で言うならば、「面白いヤツ」。現実的に言うならば「頭がおかしい」。それが、神威為士だった。
 想像していた神威為士像とどんどんかけ離れていくが、それはそれで何か人を引き寄せるものがある。それは本当に己の美だけなのだろうか。

「美は永遠のテーマだ。そして俺が追い求めるものでもある」

 なるほど。
 確かに彼はそんじょそこらの人々よりも美しく、彼自身が一種の芸術品と言ってもいいかもしれない。しかし人は老いるもの。美しさを永遠に留めることはできない。
 だからこそ、今この時を最大の美として絵と言う形で留めようとしている……そう考えるのは、私の考え過ぎだろうか。
 神威為士という存在は、まだまだ奥が深そうである。私は更に彼を追求しようとしたが、さすがに機嫌を悪くしたか紅茶一杯でカフェを出て行ってしまった。残念ながら、今回の取材はここまでのようだ。

(□月号)

 ここまでの取材で解った事として、一番に上げたい事。それは。

 彼は、病的なまでに己の美を追求している事である。

 いついかなる時でも美を求め、美を留めようとする。そしてそれが崩れ行くことを許さない。
 彼にとって美は己でないと許さない。そんな狂気すら感じるのである。
 だが自分以外の存在は全て醜いと見下しているのかと思うと、そうでもない。カフェのマスター曰く、彼から化粧やファッションの基本を教わったと言うし、彼の信奉者は自信の在り方を教わったとも言う。
 しかし彼自身、追い求めている美には程遠いと言う。
 彼は何をもって「究極の美」と言うのであろうか。心というものに対し、彼は美しさを見出していないのだろうか。
 解らない。
 考え出すと、彼の絵には何か空虚なモノも感じるようになった。レイヴン・ダンの再来とも言える多様性と可能性を持つ彼だが、その絵が全く違うのは、その空虚なモノがあるからなのかも知れない。
 しかし彼の出生は謎に包まれており、本人に聞いても答えはない。ただ今の自分をキャンバスに収める事のみに集中し続けている。
 絶対的な自信、今を追い続ける姿勢、他者の評価をものともしない断固とした態度、そして狂気と空虚。これらが今の神威為士と、彼の描く絵を作り上げていると言っても過言ではないのかも知れない。
 皆が噂する若手の新星は、取材すればするほど底の知れない何かを感じた、正に将来性のある画家だと私は確信したのであった。

 さて、そろそろ別の芸術家も紹介しろと編集長に言われたので、ここで筆をおくことにする。

(△月号)