40代のおばちゃんエージェントと27歳の遊び人が酒を飲みに行く話

「ふー、何とかピーク時は乗り切ったか」
「ご主人様、お疲れ様です」
 とある日の仮面カフェ。
 一番の稼ぎ時である昼飯時を乗り越えたレオンと中年女性――エージェントが一息ついていると、エージェントのライダーフォンがピンポン、と鳴った。この音は、メッセージ受信音だ。
 何だ何だとメッセージを開く。送信主は……海羽静流。

『おばちゃん、今夜ヒマ?』

 要件を伝えずこの質問。寂しがりの静流はたまにこうして用件を伝えず暇か否かを聞いてくるのだが、その場合は大抵「まず要件を言え」の一点張りで黙らせる。当然、今回もそれで返信した。
 間髪入れず、次のメッセージが飛んでくる。

『ごめんごめん(汗)。実は今夜、〇〇ビルでビアガーデンやるんだよ。ルーイとランス誘ったんだけど二人に断られてさ。一人で行くのもさみしいから、おばちゃん誘ったんだよね~』

「び、ビアガーデン……!」
 夏の季節においてビアガーデンは魅力的なお誘いだ。ビールは旨いし、酒のつまみや料理もたらふく食べられる。かなり美味しいお誘いだ。少し酒の量を控えろとレオンに釘を刺されている状態でなければ、だが。
 こっそりとレオンの方を盗み見れば、彼はこっちを見ていない。当然、自分と静流のやり取りは気づいていない……はずだ。
 さてどうするか。
 素直に話して小言を受けるか(または行くなと言われるか)、嘘をついて逃げるか、最初から諦めるか。
「うーん……」
 メッセージの方を見ると、反応がないのを不思議がったか、静流が『どうした?』とメッセージを送ってきていた。
 もう一度レオンの方を見て、どうするかを決めた。

 

 夜。
「「かんぱーい!!」」
 ビル屋上で開かれたビアガーデンで、二人はビールジョッキを鳴らしていた。
 顔を見合わせてから、ビールを一気に半分まで飲む。キンキンに冷えたジョッキに注がれた生ビールが、美味しく喉を通り抜けていった。
「あー、この一杯のために生きてるねぇ!」
「ちょ、おばちゃんお約束すぎ!」
 テンプレワードを言うと、静流がけらけらと笑う。それに釣られて笑い合った後、残ったビールを飲みほした。
 ほぼ同時に空のジョッキを置くと、まるで見ていたかのようにウェイターが「お代わりお持ちしますか?」と聞いてきた。
「私はお代わりするけど、静流は?」
「もち! あと焼き枝豆追加でお願ーい!」
 もう既にテーブルは食事とつまみで大部分が埋まっているのだが、それでもつい注文してしまうのが人のサガ。と言うわけで、並んでいる食事に手を付け始めた。
 出だしのビールの旨さもあって、食事もすいすい進む。あれが旨い、これは絶品だと会話も弾み、気づけば3分の1が空の皿に変化していた。
 一旦箸を止めて会話を続けていると、さっきのウェイターが追加注文を持ってきた。
「お待たせしました。生ビールと焼き枝豆です」
「さんきゅー! ……ってあんた、こないだ会ったナガタじゃない?」
「え? あ、ああ、海羽さんじゃないですか! こんばんは!」
 どうやら静流とウェイターは顔見知りらしい。陽真ほどではないが、彼もコミュニケーション能力が抜群故に顔見知りは多い。
 静流は挨拶をしてから、冗談交じりに「一緒に飲む?」とウェイターを誘っていた。
「止めてくださいよー。これでも仕事中です!」
「ありゃりゃ、振られちゃったよー。ま、しょうがないかぁ」
 呼び止められたウェイターは「楽しんでいってくださいね」と付け加えてから席を離れる。
 残された静流はわざとらしく膨れつつも、渡されたビールに口を付けた。
「振られたー。慰めてー」
 これまたわざとらしく、ばったりと倒れ伏す静流。当然だが、それをさっくりと無視して追加注文の焼き枝豆に手を伸ばした。
「おばちゃんひどい~」
「何がひどいだ。そんなにダメージ食らってないだろ」
「その一言でダメージ食らった」
 テーブルに突っ伏したままの静流だが、こっそりと焼き枝豆に手を伸ばしているのは見逃さない。武士の情けとして皿をそっとそっちの方に送ると、「ありがとー」と返事が来た。
 それからはまたたわいもない会話と食事を楽しむ。積み重なる空の皿とたくさん並んだビールジョッキは、楽しんだ証だ。
「あー、やっぱ暑い夏は生ビールに限るねぇ」
「同感。これを飲んでやっと夏が来たって感じがするよ」
 酒飲みとして、やはり夏の生ビールは欠かせない。静流も同じような考えらしく、顔を見合わせてにやりと笑った。
「でもおばちゃん、確かこないだ執事さんに釘刺されたとか言ってなかったっけ? 大丈夫?」
「ぐっ……」
 実はあまり飲むなと口酸っぱく言われたのだが、今飲んでる量はどう考えても「あまり」を超えている。これは言い訳がいるなと思いつつ、残っているビールに口を付けた。
「レオンもこっちの事を思って言ってるのはよく解ってるんだけどね」
 げっぷが出そうなのをため息で誤魔化す。今頃執事は何をしているのか。ふと思った。
 静流は残っていた羊肉のソテーを口に放り込む。ちょっと狙っていたやつだったのだが、口に入れられたらもう何も言えない。
「そりゃそうでしょ。執事さんもおばちゃんに長生きしてほしいって思ってるだろうし。もちろん、俺も」
「まあね」
 静流の言葉には嘘を感じられない。お調子者だなんだと言われがちな男だが、友に対しては誠実なのだ。
 ごと、と音を立ててジョッキが置かれる。
「おばちゃんが俺達を大事に思ってるのと同じぐらい、俺達もおばちゃんが大事なんだよ。それだけは本当だって」
 この男は寂しがりのくせして素面では本音を出し切れない。それを十分解っているから、知ってる、と返した。
「だからおばちゃん一緒に飲も~!」
 ……しんみりとした空気になりかけたと思ったらこれだ。素面でなくても本音を出し切れないのかこの男は。
 でもまあ飲もうと言うのは同感だ。まだまだビールは飲み足りないし、食事もし足りない。近くのウェイターに(ナガタではない)再度ビールを注文した。

「うーん、飲んだ飲んだ」
 楽しい時間は早く過ぎる。気づけば3時間は過ぎていた。
 静流はまだ飲みたそうな顔だったが、その顔はやや青く目も虚ろなのでそろそろ限界なのが解る。相変わらず自分の限界を考えずに飲む男だ。
「おーい、そろそろ帰るよ」
「う~……」
「うーじゃない。潰れるなっての」
「解ってまーす……」
 これはまともに歩けなさそうだ。改めて自分のテーブルに置かれた空のジョッキの数を数えて、思わず納得してしまったが。
 とりあえず後で半額ぐらい返してもらうことにして、勘定を済ませることにした。
「勘定済ませるから、ちょっと待ってな!」
「ありがとーおばちゃん……」
 半分眠ってるような声で応答する静流。そんな彼をしばらく置いて、レジに並ぶ。会計待ちの間に、ルーイに迎えに来るようメールを送っておく。本人が受け取るかは解らなかったが、送らないよりかはマシだ。
 会計を済ませてテーブルに戻ると、静流はもうほとんど潰れた状態だった。
「駄目だこりゃ」
 仕方ないので肩を貸してゆっくりと歩いて行く。こっちもしっかり酔っ払っているので、転ばないように注意しながら、一歩一歩。
 何とかビルの外まで出ると、静流がうーんと唸りつつもぼそぼそとつぶやいた。
「おばちゃんごめんねぇ……今度は奢るからー……」
 つい呆れのため息をつく。そういう風に申し訳なく思うなら、潰れないような飲み方を覚えてほしいものだ。
(ま、それも難しいだろうね)
 彼自身、こうやって酒に逃げている自分を自覚している。潰れるのはいわば、一つの自己嫌悪と逃げだ。
 そしてそれはおそらく、スラムデイズの二人は痛いほど知っている。だから誰も必要以上には言わないし、止めないのだ。
 現に。
「酔っ払いの回収、ご苦労さん」
 酔い潰れた仲間を迎えに、面倒くさがりのリーダーがやってきた。