40代のおばちゃんエージェントと29歳のラウンジ支配人が墓参りする話

 その日は、五月にしては蒸し暑い日だった。

 俺はラウンジ・ウィズダムの代表として、先代エージェントの墓参りに来ていた。
 この人は、俺の人生で一番に世話になった人物と言っても過言ではないだろう。故に、何かと機会を作ってはこうして墓参りをしている。今日はその機会の日と言うわけだ。
 懇意にしている花屋で花を買い、暑い日差しの中しばし歩く。中央駅から歩いて十分ほどの場所にある共同墓地。そこに、先代は眠っている。
 もう慣れたルートを迷わず歩けば、あっという間に先代の墓にたどり着く。相変わらず、先代の墓は花が供えられており、誰かが来ているのが容易に想像できた。……その「誰か」も何となくだが想像はつく。
 枯れた花を除けて、買ってきた花を供える。前日に買っておいた線香を取り出していると。

「あれ、宗雲じゃないか」

 後ろから聞き覚えのある中年女性の声。
 振り向くと花と桶を持った現エージェントがそこに立っていた。

 花屋と見間違えそうな量の花を何とか瓶に入れ、線香に火をつける。
「こんなにしょっちゅう誰かが来てるんだったら、父さんもちょっと困ってそうだねぇ」
「そう言う貴女も来ているが」
「私は父さんと旦那の顔を見に来てるからいいんだよ」
 とんだ屁理屈ではあるが、最愛の人が眠る場所に来るのに理由は要らないと言うことだろう。
 墓誌の方に視線を向けると、先代の隣に見知らぬ名前が一つある。おそらくこれがエージェントの夫なのだろう。なるほど、どうやら遺骨はこっちに入れられているようだ。
 それから俺たちは無言で手を合わせる。先代への現状報告を心の中で述べていると、気まぐれに風が吹いた。
 瓶に差した花が花びらをぽろりと落とす。自分が持ってきた花ではなく、エージェントが持ってきた花だ。これは……。
「ハナミズキか」
「そうだよ。さっすが宗雲」
 笑いながらバッグからウーロン茶を出す彼女。どうやら自分の分しか持っていなかったらしく、こっちに申し訳なさそうに手を合わせた。別に飲み物が欲しいわけではないので、そのアクションはスルーする。
 しかし。
 ハナミズキはこの時期に咲く花ではあるが、墓前に供える花にしては珍しい気がする。俺のように花屋に頼んで選んだのか、それとも自身で選んだのか。

 ……そこまで考えて、俺は一つの歌を思い出した。

 どこで聞いたかは覚えていない。客の一人が歌っていたのか、それともラジオが流していたのか。
(内容は、確か……)
 歌のフレーズを少しずつ思い出す。たくさんの命が無慈悲に散っていった事件を前に、平和への祈りを込めて作られた歌だったか。
 その歌がよく流れていた頃、彼女は愛する夫と共に幸せな日々を過ごしていたのだろうか。
「そういやハナミズキなんて歌もあったっけか」
 こっちの思考を覗き見たかのように、彼女がぼそりと呟く。
「結構聞いてたよ。私が好きな曲だった」
「『だった』?」
「今思い出したからね」
「なるほど」
 ここまで会話して、ウーロン茶のボトルをしまった彼女は思いついたように手を叩いた。
「……ああ、私がその歌からハナミズキを持ってきたって思ったのか」
「……」
 言葉は思いつかなかったので沈黙で肯定する。そんな俺の姿を見て、彼女はからからと笑った。
「歌は私が好きだったけど、花は旦那が好きだったやつだよ。母の日には大抵これをくれたもんさ」
 母の日はカーネーションが当たり前だが、花言葉の「私の想いを受け止めてください」「永続性」を考えればこれもまた相応しい花だ。
 歌を愛した女、花を愛した男。どうやらお互いがお互いを思いやる、幸せな夫婦だったようだ。
「旦那が渡してくれた分、こうやって私が返してるってわけ」
 実際には渡された分はもう超えているのだろうが、それは些細な事なんだろう。要は、彼女がこの花を選ぶ理由の一つでしかない。
 もう一度墓誌を見てみる。彼女の夫が亡くなったのは、数年前のようだ。もう数年。たかが数年。それが長いのか短いのか、俺には解らない。
 彼女が煙草を一本出して吸い始めた。
「時が経つのは早いもんだ。父さんも、旦那も死んで数年だ」
 その間、彼女を取り巻く環境は大きく変わってしまった。次期財閥総帥、仮面ライダーのエージェント。どれもが重く、一人の女にはきつい役割。
「……再婚は、考えないのか?」
 ふと頭に浮かんだ疑問を、俺はそのまま口に出してみた。
 唐突な質問に彼女はちょっと目を丸くしていたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「旦那よりいい男が見つかればね」
 ……つまり、当面は結婚する気はないと言うことのようだ。
 もったいない、と思う。
 フリーでい続ける彼女もだが、そんな彼女を放置する男たちもだ。ウィズダムで何人もの女を相手にしてきた俺から見ても、彼女はなかなかいない「いい女」だと思う。まあ自分が手を出すつもりはないが。
「結婚に関しては私もあんたに聞きたいけどね」
「……」
 どうやらこの質問は俺にも少しまずいようだった。まあ俺の場合、事情があるのでそう簡単に結婚はできないのだが、それでも痛いものは痛い。
 話を変えることにした。
「この後はどうするんだ?」
 聞かれるのを予想していた質問だったようで、彼女は煙草の火を消しながらごくごく普通に「仮面カフェに戻るよ」と答えた。
「実は休みを貰えたのは午前だけでね。午後は仕事してくれって、レオンに釘さされた」
 時計を見ればまだ十時半を回ったぐらい。まだ余裕はあるようだ。
 ……と、そこまで考えて、俺は自分の考えに思わず笑うところだった。別にこの後一緒の予定があるわけではなかろうに。
 なおその彼女は桶に突っ込んであった柄杓を出して、墓石に水をかけていた。手伝おう、と声をかけたものの、「シャツが汚れるだろ」と軽く断られた。
「花を供えてくれただけで十分さね」
 バッグから雑巾を取り出し、水をかけた部分を丁寧に拭き取る。
「こっちは赤の他人の旦那を受け入れてくれた分、しっかり親孝行しないといけないからさ」
「この墓に入れるようにしてくれたのは誰が?」
「レオンだよ。旦那の親はだいぶ前に亡くなってて、墓に入れるとしたら独りぼっちになりかねなかったからね」
「ふむ」
 高塔ほどではないが、この一族も結構結束が固い。総帥の娘の連れ添いと言えど、本家の墓に入れるのは結構骨が折れたことだろう。それでもやったのは、彼女を一人にさせたくないと言う思いやりからだろう。
「レオンの思いやりが、嬉しかったよ。そうでもしてくれなけりゃ、私は本当に一人になってた気がする」
 俺は記憶を掘り出して、彼女の夫の死因を思い出す。確か、暴走車に撥ねられての事故死だったはず。
 ごくごく普通の日常が無慈悲に奪われた衝撃。彼女はそれを一人で耐え、乗り越えてきたのだ。

 ……やはり彼女は「いい女」だと思う。

 先代と言い彼女と言い、俺達はいいエージェントに恵まれた。本人を前にして言うつもりはないが、俺は彼女を尊敬できる。そう思った。
「俺も手を合わせていいか?」
 そう聞くと、彼女は無言で頷いた。
 この強い女性を愛し、育んでくれた男への、敬意と感謝を込めて、俺は手を合わせた。

 ウィズダムに帰る際、俺はハナミズキを一輪買った。