「ああ、くそ……、鎮痛剤ぐらいじゃダメか」
日差し穏やかな企業地区で、中年女性――私はベンチに座り込んでぐったりとしていた。
別に飲みすぎたとかそういうわけではない。今回こうして倒れそうになっているのは、徹夜で仕事を片付けていたから。
年甲斐もなくエナドリなんて飲んで、これくらいまだイケると思った私が馬鹿だった。エナドリは元気の前借り。そのツケを今こうして払っている。
冷たいものが飲みたい。自販機はどこだ。そう思ってぼんやりとした視界で頑張って探すが、それっぽい影は見当たらない。そもそも私、お金持ってきてたかな。
もうちょっと移動してみるか、と自分に喝を入れて立ち上がろうとすると。
「お……ゃん!」
遠くから聞き覚えのある声がした。えーっと、ここは企業地区だから、いるのは大抵タワエンの誰か。と言うことは……。
「おばちゃん、大丈夫ですか!?」
高塔雨竜。
ベンチでぐったりしている私を見つけて、慌てて近寄ってくる。近くに社長であり兄の戴天がいない辺り、一人で外回りだったようだ。
「あー、お世辞にも大丈夫とは言えたもんじゃないわ……」
若い奴相手に弱いところを見せたくないが、今回は非常時。大人しく大丈夫じゃないことを告げる。
「救急車を呼びます!」
「あーいや、そこまではいらない。それより冷たい水飲みたい……」
「わ、解りました」
さすがに救急車は大げさなんで、代わりに冷たい水を持ってきてもらうことにした。とにかく身体が冷たい水を求めている。
と言うわけで。
自販機で冷たいミネラルウォーターを買ってきてもらった(後で何か奢ろう)私は、その水の半分を一気に飲み干す。
「あああ゛~~、生き返るぅぅ~~」
我ながら親父臭いなとは思うけど、出てしまったんだから仕方ない。隣で雨竜がぎょっとした顔になってるけど、出てしまったんだから仕方ない。
「ね、熱中症ですか?」
「いや、多分徹夜の疲れが今出てきたって感じ。家で寝てたんだけど、調査とかやることあったから外出たらこのザマだよ」
「無理しないで寝てた方が良かったのでは?」
「それ、あんたが言うか?」
若いながらも社長秘書という超激務をこなしている雨竜。当然無茶も結構していて、たまに見ていてハラハラする。私に言わせれば無理の代名詞だ。
さすがに雨竜も自覚しているらしく、私のツッコミに対してとほほな顔でうつむいてしまう。いじめたいわけじゃないんだけどねぇ。
「ともかく、病院には行きましょう。車で送りますから」
「ん~……。それじゃ、お言葉に甘えようか」
多分疲れだと思うけど、何かヤバい病気が潜んでたらたまったもんじゃない。簡単な健康診断みたいなもんだと思って行くことにした。
雨竜に肩を貸しますと言われたけど、丁重に断った。水をたっぷり飲んだことでだいぶ回復したからね。
車に乗せてもらうと、すぐに目的地……高塔直営の病院へと走り出す。コスモス財閥直営の病院もあるけど、ここはお言葉に甘えよう。
「戴天……社長は元気にしてるかい?」
「ええ」
「あいつも結構無理するからね。無理はするなって言っておいて」
「伝えておきます」
自分に休息はいらないと断言する戴天も、弟と並んでの無理の代名詞。まだ若いから無理も無茶も効くけど、徐々に身体が付いて行かなくなるはずだ。何せ、いい例がここにいるからね。
「具合はどうですか?」
「あそこでへばってた時よりかはだいぶマシだ。水が効いたよ」
「それは良かったです」
残ってた分も飲み干し、カラのペットボトルをバッグに仕舞う。雨竜が何か言いたそうな顔をしていたけど、あえて無視した。
「それにしても、年は取りたくないと言うか、年をちゃんと取りたいもんだ。無理というものが解らない」
「……? どういうことです?」
訳が解らないと言った顔の雨竜。まあなんだかんだ言って彼はまだ17歳。若さでいろいろカバーできる年だ。
さて、何て説明しようか。私はため息を一つついた。
「言葉通りの意味だよ。身体はちゃんと年を取っていくけど、心はなかなか年を取らなくてね。
まだイケる、まだ大丈夫だって、いつも思っちまう。だから気づけばこうして無理をしてるんだ」
「そんなものなんですか」
雨竜はまだ訳が解らないと言った顔だ。まあ普段は飄々としてるから(私が疲れた顔を見せないのもあるけど)、いまいち解りにくいのも無理はないのかも知れない。
ただ、気づけば無理をしているという点はある程度理解していると思いたい。無理の代名詞だからね。
「だからあんたたち兄弟も気を付けるんだよ。時間ってのは誰にでも均等に進むからね」
「……肝に銘じておきます」
神妙な顔でうなずく雨竜。
そんな感じで話していると、病院が見えてきた。
先に雨竜が手配していたらしく、すぐに診てもらえた。その結果は疲れによる体調不良。余計なものがついてこなくて本当に良かった。
ライダーフォンで「診察終わったよ」と連絡を入れると、「なら仮面カフェまで送ります」と返ってきた。
「会社に戻らなくていいのかい?」
『まだ時間に余裕はあります。カフェまで送り届けることはできますよ』
「悪いね。水の事も含めて、次来たらお望みのスイーツをご馳走するから」
『ありがとうございます』
その流れでまた車に戻ると、雨竜が「お帰りなさい」と安堵の表情で言った。
「疲れだってさ。やっぱエナドリがぶ飲みの徹夜はダメだね」
「それは普通にダメですね」
言われた。まあ仕方ないんだけど。
これはしばらくこのネタを蒸し返されるかな、と思ってたら、タブレットを出しながら雨竜が聞いてきた。
「それにしても、何故昨日に限ってそんな無茶をしたんです?」
うーん。
ちょっと情けないっちゃ情けないけど、黙ってる理由もないから話しとくか。
「単純だよ。私が財閥の仕事でヘマやらかしてね。その埋め合わせをしてただけさ。あとは……」
「後は?」
「ライダーやカオスイズムを調べたり、データをまとめてた」
「……」
要は。
自分が不器用だから徹夜してたってだけの話。
これが目の前の少年やその兄なら、数時間で完ぺきにこなすんだろう。でも私は丸一日かけないと無理だったわけだ。
「私にゃ会社勤めは無理だね。パートやバイトのレジ打ちが限界だ」
「そうですね」
私の自虐に雨竜が苦笑して頷く。この17歳、フォローすら入れてくれない厳しい性格だ。
だけど。
「それでも僕たちのために頑張ってるから、頭が上がりません」
……嬉しいことを言ってくれる。
曲がりなりにもエージェントという立場、若い奴らに全部を丸投げするつもりはない。できることがあるなら全力でやってやりたいし、手を貸してほしいと言うならいくらでも貸してやりたい。
この子だけじゃない。16人全員、私にとって大事な我が子のようなもんなんだから。
それほど時間をかけずに、仮面カフェが見えてきた。
「ここらで降りるよ」
「解りました。おばちゃん、身体には気を付けてくださいね」
「はいはい」
念には念を、と言わんばかりの雨竜に笑って手を振って降りる。私が降りたのとほぼ同じタイミングで、車はすっと走り去っていった。
やれやれ、やっぱり時間的に無理させてたっぽいね。
「さて、私も仮面カフェに入って仕事しますか」
頬をぴしゃりと叩いて気合を入れると、私は仮面カフェのドアを開いた。