40代のおばちゃんエージェントと25歳の厨房担当が道すがら話すお話

 商業地区で単独調査中、中年女性――エージェントは珍しい人物を見た。
 まだ暑い時期なのに黒ずくめの格好。そこからちらりと見える美しい顔立ち。ウィズダムシンクスの皇紀に違いなかった。
 しかし今彼は一人ではなかった。……正確には一人なのだが、彼の周りに人がいるのだ。
「話だけ! 話だけ聞いてくれればいいから!」
「……あちゃあ」
 熱烈な声で何となく察した。どうやらまた彼はスカウトマンに引き留められているらしい。
(名刺を受け取るのが最大の譲歩だって、気づいてくれりゃいいのにねえ)
 常々そう思うが、それが解るほど周りの人間は皇紀という人間を知らない。……と言うか、知り尽くした人間など恐らくこの世にいないだろう。
(やれやれ、何とかするか)
 周りに颯たちウィズダムシンクスの仲間はいない。となると、自分が皇紀をこの場から引きはがすしかないだろう。
「皇紀! こぉーきー!!」
 大声で名前を呼ぶと、さすがに聞こえたらしく皇紀がこっちを向く。当然だが、明らかに機嫌が悪い。だがひるんでる場合でもないので、足早に近づいて引きずる勢いで服を引っ張った。
「何やってんの、ご飯ご馳走するって言ってただろ!」
「……おい」
「あ、ちょっと!」
「ほら、急がないといい席取れないよ!」
 身体全体で急いでますオーラを出すと、さすがにこれ以上は無理と判断したのかスカウトマンが一瞬退く。その隙を見逃さず、一歩大きく踏み出した。

「……余計な事を」
 だいぶ距離を取ってからの、皇紀の第一声がそれだった。まあ感謝は期待していなかったので、別に気にしてはいないのだが。まあそう言わずに、と返せば、舌打ちが飛んできた。
 そのまま二人は商業地区の道を歩く。二人の足取り……というか皇紀の足取りは、迷いなくウィズダムへの道を選んでいた。
「ウィズダムに用か」
「調査終わったから、借りてた資料を返しに行くんだよ。ついでに」
「ついでに?」
「あんたの飯でも頂くわ。お腹空いたし」
「……ウチは定食屋じゃねえ」
 そうは言うものの、少しだけ顔が緩んだのを見逃さなかった。
 見た目の良さと気性の荒さのギャップで忘れられがちだが、彼は料理人としての誇りを持っている。自身の料理を褒められればそれなりの反応を返すし、何より気持ちよく食べる人間を気に入りやすい。
(そういやこの間慈玄が気に入られて、ジビエ丼をご馳走になったんだっけか)
 仮面カフェで話していたのを思い出す。皇紀自身が仕留めた獲物で作られたジビエ丼、さぞかし美味しかっただろう。
「こないだ食べたやつは美味しかったし、材料あるならそれ注文しようかねえ」
「話聞いてんのか」
「大丈夫、聞いてる」
 あえてはぐらかすように言えば、解体してやる、といつもの台詞が漏れ出ていた。
(最初聞いた時は物騒過ぎてドン引きしたけど)
 今じゃぼやきの一つのように聞こえてくる。物騒なのは変わらないし、それだけイラついてるのは間違いないのだが。
「……アレは在庫切れだ。別のやつなら出せる」
「ふぅん」
 一応注文は真面目に受けるつもりだったらしい。残念だが、今日は別の物を注文しないといけないようだ。
 そんな感じで会話をしていると、見覚えのある道になってきた。見慣れた道を歩けば、ウィズダムにたどり着くはずだ。
 今の時間は三時を過ぎたところ。そろそろ宗雲あたりがウィズダムにいる事だろう。と言うか、その時間に合わせてこっちに顔を出したのだが。
(そういや皇紀、材料の仕入れってわけでもなさそうだね)
 今気づいたが、彼は手ぶらだ。何しに外を出歩いていたのだろうか。何となく気になったが。
(……ま、聞くのも野暮だ)
 その一言で切り捨てる。エージェントとは言え人のプライベートを詮索するのは悪趣味だし、何より彼を怒らせずに外出の理由を聞ける自信はなかった。だが。
「……今夜の素材の仕入れだ。開店前に店に運んでくるよう取り付けてある」
「ありゃ、そうなのか」
「今日は団体客が来る。だから数も多く仕入れなきゃならねえ」
「なるほどねぇ」
 どうやら視線で考えていることを読まれていたらしい。説明に手を叩いた。
(何だかんだ言って話は聞いてるし、コミュニケーションを取ってはくれるか)
 気性の荒さで損をしていると思うが、これが彼なりの処世術なのだろうとも思える。彼の過去は全く知らないが、苦労はたくさんしてきたのだろうことは想像できる。
 自分が余計な事を突っ込む必要はないのだ。

 さて、ウィズダムがあるビルが見えてきた。
 当然のごとく皇紀と一緒にビルに入り、同じエレベーターに乗る。
「飯食ったらとっとと帰れ」
「解ってるって。てか、ちゃんとご馳走してくれるのか」
「……金はちゃんと払えよ」
 苦々しく言う皇紀に、ついくすりと笑う。言われなくてもちゃんと払うつもりだ。
 ウィズダムの裏口から入ると、既に開店準備を始めていた宗雲が顔を上げた。
「ん? 一緒だったのか」
「途中からね。ほら」
 バッグから借りていた資料を出して、宗雲に渡す。受け取って確認する宗雲の後ろを、皇紀が歩いて行った。
「何だ、もう厨房に入るのか?」
「……約束しちまったからな」
 道中の会話を知らない宗雲が首をかしげるが、厨房に入る彼を引き留める理由もないのでそのまま入らせる。その代わりにこっちに視線を向けてくるが、肩をすくめて答えた。別に悪い取引をしたわけでもないし、咎められるいわれはない。
「さーて、何が来るかね」
 皇紀の作る料理に外れはない。
 さほど待たずに来るであろう料理に、胸を躍らせた。