シャレルから最初その案を出された時、リッキーは正気かと疑いたくなった。
だが考えれば考えるほど、実はその手しかないのではとも思えてきた。それだけ、無茶苦茶ながらも可能性はある方法だったのだ。
まだ帰っていなかったブリュンヒルデも、難色を示してはいたものの、反対する事はなかった。
「本当にやる気なのね?」
「もちろん」
シャレルは、ためらいもなくうなずいた。何度も考えたのだろう。その顔には、ほんの少しだけやつれがあった。
「……行かせてやれ。おそらく、こうするのが一番の方法なのだろう」
さっき目が覚めたばかりのレビも、シャレルの案に賛成した。一体何があったのかは解らないが、シャレルと相反しながらも、一番近しいレビだからこそ解るものもある。
やるしかあるまい。
眠っている――意識を失ってるだけかもしれないが――フートをベッドに寝かせて、その隣に用意した椅子にシャレルを座らせる。大げさな準備は必要ないことに、シャレルはちょっと驚いているようだった。
重要なのは、相手と意識をシンクロさせること。一瞬の間に、相手と自分との心に大きな同調があればいいのだが、それが一番難しい事でもある。
(まあ、この二人なら問題なかろうて)
付き合いは短いが、リッキーも二人の絆を疑うつもりは毛頭ない。
シャレルはもう既に精神を集中させている。リッキーはシャレルの手とフートの手を握らせて、呪をつむぎ出した。
最初に感じたのは、風だった。
さらりと流れる風は、あまりにも自然的で、それでいて不自然な感覚を呼び覚ます。内側からぞっとくるこの感じは、人と人の心が繋がってしまった結果なのだろうか。
そう。ここはフートの精神内だった。リッキーの仙狐の秘術によって、シャレルの魂はフートの中へと入り込んだのだ。
精神に直接侵食しているダークに対して、外部からの攻撃はほぼ無意味だ。パイルドライバーを使えば何とかなるかもしれないが、それだとフートも浄化してしまう。
だから直接フートの精神内にもぐりこみ、中にいるであろうダークを排除するのだ。相手は銀河意思だが、フートの中に入っているのはその欠片のはず。勝算はないわけではない、という程度だ。
それでもシャレルは、迷わずこの方法を選択した。自分が転生させた以上、自分以外フートの中に入っていける者はいないのだから。
明かりらしい明かりはまるでないのに、何故か真っ暗闇ではない。どこかから、ほんのりとした明かりがあちこちに舞っているのだ。
まるで蛍みたいだな、とシャレルは思う。この時代、蛍は文献ぐらいでしかお目にかかれない生き物で、昔母が見せてくれた絵本に、かわいく模写された絵があった。
(フートはあの絵本、読んだっけかな)
結構本を読むのが好きなフート。母の書斎に行って、その絵本を読んでいてもおかしくない。
その蛍光が舞う中を、シャレルは一歩一歩進んでいった。この広い世界に道などないが、適当に歩けば真意へと近づけると言うのは解っている。
「何とか成功したか」
リッキーがかいてもいない汗をぬぐう仕草をした。
その隣で、ブリュンヒルデがどこかからシーツを持ってきてシャレルにかける。意識はないはずなのに、二人はしっかりと手を握り合っていた。
この手が離されると、シャレルは自分の体の中に帰る事が出来なくなる。つまり、握り合った手は橋の様なものなのだ。
そしてその手は、彼女らの絆が強いと言う事を示している。人の意識の中に潜り込むということは、それだけ強い絆がなければ無理なのだ。
渡魂の術。リッキーたち狐の一族は、この秘術をそう呼んでいる。人と人との記憶を道として、魂の中に魂を渡らせる術。
この術があれば、フートの精神に根付いたダークと直接対決が可能になり、フートを傷つけずにダークだけを相手に出来る。
だが、渡魂の術はほぼ禁呪に近い術であり、また渡った精神世界の中で自分の魂が消滅してしまえば、残った体はただの抜け殻に成り果ててしまう。
また、この術で確実に相手の精神世界に入れるわけでなく、道を見失った魂は永遠に己の身体に戻る事も出来なくなると言う。
そんな危険度の高い術でも、シャレルはためらわずに使うことを決意した。ダークと言う大物相手に、今更危険も何もないのが一つ。もう一つは、フートを助けたいという思いからだ。
「ここまで私たちがお膳立てしてやったんだ。後は何とかして帰って来い」
ふらふらとなりながら、レビが言い放つ。
彼女が今までどうしていたのかは解らないが、その口調からするに彼女もダークと戦っていたようだ。まあ、どこで戦っていたのかは解らないが、何故先に戦っていたのかは予想がつく。
おそらくダークは、闇も光も受け入れる事のできる月の力を持つ者を、最初に潰そうとしていたのだろう。イモータルからは不滅の存在と崇められているダークだが、存在する以上消滅は在り得る。
危険は早めに潰すのは、戦術として正しい。だから最初にレビたちを狙ったわけだ。
(ま、シャレルという乱入があった。どうなるのやら)
現在ダークは、フートと言う器の中に存在している。その中に直接入り込んだシャレルは、最大のターゲットとなるだろう。
(上手く立ち向かう事ができればいいんじゃが)
リッキーはぼりぼりと頭をかいた。
蛍光の中、ゆらりと何かが現れた。
「ん?」
目を凝らしてみてみると、それは赤い鎧の少年――エフェスだった。
一瞬、何故ここに彼が、と戸惑いそうになったが、ここがどこだかを思い出して納得する。フートは過去に彼と出会い、何らかの絆を築いたのだろう。
それだけではない。シャレルがいつも感じていた違和感に近いもの。それはエフェスからフートに近い何かを、いつも感じていたからだ。
(もしかして……)
一つの考えが脳裏に浮かぶ。
だが、それを聞く前に、エフェスの幻はうっすらと口を開いた。
『――こころって、なに?』
「え!?」
『ひとのこころは、なぜわからないの? どうしていくつもあるの? どうしてエフェスみたいなのを作れるの?』
『どうして光と闇に分かれるの? どうして憎みあうの?』
『人は、なぜ他人を許せないの? 他人は殺したいの? 自分以外を認めないの?』
『じぶんがないひとは、どうするの?』
はっとして辺りを見渡すと、あちこちにエフェスらしい影が見える。中には人の形すら成していない影もあり、残留思念の不安定さが伺えた。
そんなエフェスの思念の影は、ふらふらと彷徨いながら何かを残していく。
現れては何かを残し、そしてまた消える……。それは不完全な魂を持つ哀しきものの、最後の抵抗なのだろうか。
とりあえず適当に拾ってみると、それは何かの欠片らしい。人の像だとは解るのだが、完全なものにするにはピースが足りなかった。
まだ見つけてないエフェスの欠片があるのかな、と思っていると、またふわりと蛍光が現れる。ただし、今度は黒の鎧の少年――フートだった。
『俺は生きているのか? それとも、死んでいるのか?』
『生と死の違いは何だ? 不死とは、死んでいるのと同じじゃないのか?』
『死んだ者はどうして生きている者に干渉できる? 死は人から何を取り払うんだ?』
『生きているとはどういう意味だ? 心がないものは、なぜ生きていると言わないんだ?』
『……魂とは、何だ? 遺志とは、何だ?』
エフェスと同じように、フートも彷徨いながら何かを残していく。ここは確かにフートの精神領域のはずなのに、主であるフートも、同じようにこの領域で迷っていた。
それは、フートもエフェスと同じ存在――迷い子だからなのだろうか。
考えるのは後回しにして、落ちていた像のピースを拾い集める。シャレルが予想したとおり、フートが残していったピースで、人の像は出来上がった。
見る角度で憂いにも、喜びにも、怒りにも見えるその像は、人の形そのものを描いていた。
完成した像を適当な台に添えると、像は何回か点滅した後、すぐに消えてしまった。そして、それに呼応するかのように、奥底から何かの鳴き声が聞こえてくる。
……おお……おおおお…………
「……下?」
上下左右の感覚がなくなりそうなここだが、下には行けるらしい。手探りで下へと行く道を探し、警戒しながら下へと降りていった。
ゆらゆら ゆらゆら
雪のように舞う白い羽
蛍のように光る白い羽
ゆらゆら ゆらゆら
全ての始まりと終わりが集い、今ここに目覚めん
「……はっ!」
気がつくと、シャレルは固い地面の上に立っていた。
辺りを見回すと、何の変哲もない暗い一本道が続いている。警戒しても意味がないだろうと踏み、そのまま進んだ。
歩く事数分。道とこの先を隔てる、大きな扉の前に立つ。これまた変哲もない黒塗りの扉に手をかけようとした瞬間、ふわりと空気が動いた。
「……行くの?」
幻影でも何でもない、「本物」のエフェスが口を開く。シャレルが薄く微笑むと、彼の表情はさっと翳った。
「エフェスはフートの身代わり。フートはシャレルの身代わり。でも、フートはフートになれたのに、エフェスはエフェスになれなかった。
ダークはフートのいらないものを捨てた。捨てた塵からエフェスが出来た。だからエフェスはフートに還るか、エフェスになるかを選ばなきゃならなかった。
……でも、エフェスはエフェスになれない。だからフートの……ダークの元に還らなきゃいけない」
エフェスの“形”が、だんだん薄れていく。それは自分を生み出したフートが、どんどんダークに飲み込まれていると言う事に他ならなかった。
そして。
赤い大鎌だけを残して、迷い子は消えた。